◆金か命か(前)
ハッピーエイプリルフール2025!
いろいろリクエストを頂いた中(ありがとうございます!)から、今年はレオとブルーノを含む孤児院組のドタバタで書かせていただきました。
楽しんでいただけますように。
さてその日、ハンナ孤児院――というよりはそのすぐ近く、最近のブルーノが根城にしている酒場に激震が走った。
「西花街の片隅に、男専用の娼館ができるだと……?」
すっかり町の御用聞きとして成長している孤児院の弟分たちが、買い物中にそんな情報を仕入れてきたからである。
「そうなんだよ、ブルーノ兄ちゃん! 娼館連合の幹部から聞いた話だから、まず間違いないと思う」
「なんでも、連合の中の金儲け主義の一派が、独断で話を進めているらしいわ。表向きは小姓養成所ってことにして、実際にはいろいろ仕込んだ後、金持ちに売り飛ばすんだって」
「法的には健全な職業訓練って扱いだから、一度サインしちゃうと、『訓練生』を娼館から引き剥がすのが難しいらしくて。これは今後トラブルになりそうだなぁと思って、報告にきたんだ」
順に、エミーリオ、アンネ、マルセル。
元々聡い三人であったが、十二歳となり、その賢さは一層磨かれている様子である。
彼らは、今日も買い出しのため市場に赴きつつ、その帰り道に、酒場「踊る金貨亭」に立ち寄ったのであった。
「ふん。たしかに、世間知らずの子どもなら、騙されるやつは多そうだな……」
身を乗り出す三人の話を聞いて、モップを片手にしたブルーノは物憂げに呟いた。
すでに孤児院の卒業年齢となった彼は、最近では孤児院のすぐ隣にある酒場に居座って――もとい、お邪魔して、主人の弱みを握る――もとい、深い関係性を構築することで、酒場の用心棒という職を得ていた。
日中はこうして、酒場の清掃を担う――ふりをしながら、ダラダラと過ごしているのである。
ここにいれば、孤児院に残っているレオの動向もわかるし、年に一度レオが「レオノーラ」となる期間も聖堂に目を光らせておくことができる。
しかも噂好きのエミーリオたちが、毎日のように新鮮な情報を届けてくれるために、面倒な社交に手を出さずとも自然に世情を把握できる。
昼夜逆転の生活も、闇の精霊の庇護を受けるブルーノにはすこぶる都合がよい。
機嫌がよいので、気まぐれに人助けもする。
腕っ節の強いブルーノが悪人を退治してくれるため、元は治安の悪かった酒場付近も、今ではすっかり穏やかになった。
そんなこんなで、最近のブルーノは、半ば下町のドンと化しつつあるのであった。
「一応、下町の連中には周知しておくか」
ブルーノが呟くと、エミーリオはあまり気乗りしない様子で肩を竦める。
「んー、まあ、孤児院連中は世間ずれしてるから、そう簡単には騙されないとは思うけどね」
「なに言ってるのよ、エミーリオ。女子の売春警戒は相当なものだけど、男子なんて今まで狙われたこともないぶん、呑気なものよ。もっと警戒したほうがいいと、私は前から思っていたわ」
「うん、世の中には、うぶな男の子がいい、っていう変態もいるからね。ちゃんと警戒させないと」
だがすぐにアンネとマルセルがしたり顔で告げたことにより、「それもそうか」となった。
では明日にでも、下町全域に広がるブルーノの子分を通じて男専用娼館への警戒を呼びかけよう――と話がまとまったその瞬間、酒場の扉が乱暴に開かれた。
「ちょっと、ブルーノ! いる?」
ローブで全身を覆った小柄な体に、高飛車な話し方。
レーナである。
パン屋の隣の粉挽き小屋で引きこもり生活を続けている彼女は、この日、貴族的な美貌を見られぬよう全身をローブで覆いつつ、珍しく「踊る金貨亭」にやって来たのであった。
「どうした、レーナ。日中から珍しい」
「どうしたもこうしたも。いやな予感がするから駆けつけたのよ」
ブルーノが尋ねれば、レーナはばさりとフードを下ろして顔を顰める。
そうして、思いも寄らぬ話を披露したのであった。
「今日は実験用の薬草を集めに、森に出かけていたんだけど、そこで偶然、移動販売バイト中のレオに出会って。そしたらあいつ、やけににこやかなのよ」
「レオがご機嫌なのはいつものことでは?」
「だとしても、私に出会った途端、『イェア! レーナ! 今日もいい天気だな! 無料で日光を注いでくれる太陽ってマジ偉大だぜ!』ってハイタッチしてくるのは、ちょっとテンション高すぎでしょ」
ブルーノと三人組は一瞬考え込んだ。
発言内容自体は通常運転のような気もする。
だが、複雑な関係にあるレーナに対し、いきなりハイタッチしてくるレオというのは、たしかに珍しい。
というか、孤児院仲間以外とそんなに気安く接しないでほしい。
「……まあ、少々浮かれている、か?」
「異常なのはここからよ。薬草摘みで疲れていた私は、レオが持っていた販売用のジュースに気付いたの。それで、『あら、美味しそうじゃない。私にも一本ちょうだいよ、友人割引で』と言ったら、なんて返したと思う?」
質問を振られて、レオの気性をよく知る孤児院メンバーは次々に真顔で答えた。
「『ふざけるな、友人ならむしろ倍額で買え』?」
「『十本買うなら一パーセントだけまけてもいい』とか?」
「『割引してもいいよ。ただしその薬草、全部俺にタダでくれよ』かしら」
「案外、『容量を半分に減らして価格は八掛け、ってことならいいぜ』あたりかな?」
四者四様、しかしどれもレオの守銭奴ぶりを強調した返答を聞くと、レーナはふっと笑い、声を低めた。
「なんとね。こう言ったのよ。『割引なんてせせこましいこと言うなよ。一本やるぜ、サービス!』って」
「な……っ?」
「えええええ!?」
「嘘でしょおおおおお!?」
「信じられない!!」
途端に、四人は息を呑んだり絶叫したりする。
特に三人組はさあっと青ざめ、天を仰いだり周囲を見回したりした。
「今は夏だけど雪が降るのかな」
「精神を変質させる変な病気が流行ってるんじゃないでしょうね」
「絶対中身別人だよそれ! 今度はレーナ以外の何かと入れ替わっちゃったんだよ!」
散々な言われようである。
ブルーノも驚きを隠せぬ様子で、「いったい何が?」と尋ねてきたので、レーナは続きを説明することにした。
「私も驚いて、どうしたのか聞いたの。するとあいつ、ものすごく実入りがいいバイト先に声を掛けられたんですって。十五歳までの少年限定で、職業訓練を受けさせてくれる養成所で、訓練中にも破格の給料が出るって。そこに入所するつもりだから、がっぽり稼げるって」
「ああああああああああ!」
「早速すぎいいいいいい!」
「レオ兄ちゃんがあまりにもレオ兄ちゃん!」
だが、その途端に三人組が頭を抱えだしたので、顔を引き攣らせる。
「な、なに?」
ブルーノが代表して「養成所」の真実について説明すると、レーナは絶句した後、顔を覆って天を仰いだ。
「なんっで! あいつは! 真っ先に! 事件に巻き込まれに行くのよ! ていうか、すんごい美少年でもないくせに男娼にスカウトされるってどういうこと!?」
「いや、あいつ、愛嬌だけはやたらとあるからな……」
「これは花街のお姉さん情報だけど、一番人気の娼婦って、絶世の美女より聞き上手なお馬鹿系らしいよ」
「正直、スカウトマンの見る目はあると思うわ……」
「なにせうっかり皇妃に収まりかけた実績の持ち主だし」
四人の反応に、レーナは何も返せない。
それはそうかも、と納得してしまったからだ。
「まあとにかく、養成所云々のことは知らなかったけど、なんか怪しい話だと思って、あんたたちに告げ口しに来たってわけ。あんたたち、しっかりレオに釘刺しておいてよ」
「言われなくても」
ブルーノは短く応じたが、そこでふと気付いたように、エミーリオを振り返った。
「――そういえば、レオの今日の予定は?」
「え? えーっと、午前中は刺繍と食器磨きの内職で、午後は移動販売」
「どこで、午後の何時までだ?」
「……花街近くの西通りで、昼時が終わるまで。後は珍しく、予定なし……」
レオ信者のエミーリオは、すらすらとレオの予定を答えていたが、途中からあることに気付き、どんどん話す速度が落ちてゆく。
その場にいた五人は、一斉に息を呑んだ。
――今日にも申し込みに行くつもりだ!
特に年少三人組は、今にも扉から飛び出しそうな気配を滲ませた。
「ははは、早く、レオ兄ちゃんを止めに行かなきゃ!」
「サインしちゃったら一巻の終わりよ!」
「こ、ここから西通りまでってどれくらいだっけ!?」
見かねたレーナが割って入った。
「さすがにレオだって、そこらのおぼっちゃんよりは世間を知っているはずよ。いざ養成所の建物に着いたら、いかがわしい雰囲気を察知するに違いないわ。官能小説の翻訳だってしていたくらいなんだから、その手のことには詳しいでしょう」
「――いや」
だがそこに、ブルーノが重々しく告げた。
「実は、小姓の誘いだとか、男専門の売春については、レオに一切の情報が入らないよう、俺の方で数年前から統制を強めている」
「なんでよ!」
意外な状況を前に、レーナは反射的に二の腕を擦った。
「まさか、大切な幼なじみにはいつまでも性的に未熟なままでいてほしいとか、そういうキモい理由じゃないでしょうね!」
「違う」
このエランド出身の闇の愛し子は、基本的に過保護かつ友情が重いタイプの男なので、思わず叫んだのだったが、ブルーノはきっぱりとそれを否定してみせた。
「『身一つで金を生み出せる職業がある』と知ったら、あいつは躊躇いなく『やります!』とその界隈に飛び込んで行きそうだったからだ」
レーナはふと口を噤み、数拍の間考えてみて――それからカッと目を見開いた。
(ありえる!)
脳内には、目を金貨の形にし、口元をだらしなく緩め、いそいそと寝台にダイブするレオの姿があった。
「たしかにレオ兄ちゃんには、『ケツの穴と金、どっちが大事なんだ?』って聞かれたら、迷いなく『金です!』って答えそうな危うさ、ある……」
「向上心も強いから、なんなら指名が増える工夫を凝らすまであるわね……」
「笑顔で地獄に突進していくレオ兄ちゃん、見えるね……」
年少三人組も震え上がった。
レオのけちくささや、世知辛さは折り紙つきだ。
けれど彼は、時々妙なところで自分をあっさり売り渡してしまうし、悪意に対して無防備なところがある。
「でもさすがに、金の精霊が止めてくれる、わよね……? だって愛し子が穢れちゃったら、まずいじゃない。愛し子の危機なら、守ってくれるでしょう?」
「金の精霊は世俗的な性質を持つので、愛し子に清廉性は求めない。そもそも俺に言わせてもらえば、レオが異様に崇拝しているだけで、金の精霊の序列自体はあまり高くない。彼女の権能は、主に光ったり輝いたりするだけだ」
「使えねえ!」
思わずレーナは口汚く罵った。
そういえば輝く感じが光の精霊に似てはいるものの、アルタはしょせん金の精霊、いいや、カネの精霊に過ぎないのだった。
「レ、レオ兄ちゃんが闇堕ちしちゃう……っ」
「急いで止めなきゃ!」
「早く西通りに行こう!」
いよいよ恐慌を来した三人組は、大慌てで酒場から飛び出していく。
ブルーノはもうそれを止めはしなかった。
「レーナ。俺たちはこのまま西通りの娼館に向かう。おまえは、間に合わなかったときに備えて、町で一番、娼館連合に対して権威がありそうな連中の当たりを付けておいてくれ」
「権威がありそうな連中?」
「ああ。法律家でも役人でもなんでもいい。どれだけ金が掛かろうが構わない」
ブルーノは淡々と告げ、かと思えば黒い瞳を不穏に細めた。
「後からそいつらの弱みを握って、負けてもらうからな」
つまり、法律家やら役人やらを脅迫し、レオがうっかり娼館連合にサインしてしまった時には無効化してもらおうということだ。
「任せて。ぶっちぎりに権威のありそうな連中を見定めておくわ」
ちなみにレーナは、善性を覗かせるレオのやり方に比べれば、ブルーノのこうしたあくどいやり方が嫌いではない。むしろすんなりと身に馴染む。
「それじゃ、あの馬鹿をよろしく」
「ああ。うちの馬鹿が迷惑を掛けるな」
二人は同時に扉に手を掛け、それぞれ西と東に分かれていった。
***
さて、それから西通りに向かってブルーノが爆走した甲斐あって、年少三人組を含む四人は、あっさりと件の娼館に到着した。
さすが表向きは養成所を装っているだけあって、質実剛健な造り。
ほかの娼館のように昼間から客引きが立っているわけでも、嬌声が響き渡るわけでもなく、まるで学舎のような佇まいだ。
四人は「まずは穏便な回収を目指そう」という方針に落ち着き、アンネを覗いた男三人で、養成所に申し込みにきた振りをすることにした。
一階の受付に座っていた男は、突然三人もの少年がやって来たことに驚いたようだったが、なかなか整った顔立ちをしているエミーリオやマルセル、異国人の客に対応できそうなブルーノを見て、「ふむ、いいだろう」と下卑た笑みを浮かべる。
ついで、
「面接ならこの上だよ。ちょうど今、一人やってる」
と二階を指差した。
ろくな身元照会もなく面接を受けられるなんて、やはり後ろ暗い職業の斡旋でしかないが、この場面ではそのいい加減さに助けられた。
三人は何食わぬ顔をして階段を上り、面接が行われているという部屋の扉前までやって来た。
「――自己紹介ですか? お任せください! どんな相手にだって最高の第一印象を残す、完璧な自己紹介をしてみせます!」
扉の向こうからは、はきはきとした少年の声が聞こえる。
間違いなく、レオだ。
三人はさっと顔を見合わせ、やっぱりか、と呆れるような、間に合ってまだよかった、と安堵するような、複雑な表情を浮かべた。
さて、ここからどうするか。
「ほほう、完璧な自己紹介か! いいねえ。やっぱり小姓というのは溌剌としていないと」
部屋のさらに奥からは、面接官と思しき男の声がする。
建前上は小姓の養成を謳っているわけだから、こちらも爽やかな、まるで教師のような口調だ。
彼はしきりと「もっと君の人となりを確認させてほしいな」「うんうん、素晴らしい! 君は最高の素質の持ち主だと思うよ!」などとレオを褒めちぎり、レオも「ええっ、そうですか!?」と嬉しそうにしているものだから、ここで強引に踏み込むのも躊躇われる。
いや、厳密に言えば、ブルーノにそうした機微はないのだが、エミーリオとマルセルが表情を曇らせはじめたのだった。
「なんか、レオ兄ちゃん、すっごく嬉しそうだね」
「孤児の僕たちを真正面から褒めてくれる人って、なかなかいないもんね……」
そう。
二人は、レオのあまりに上機嫌な様子を察知して、これが詐欺であると指摘するのが忍びなくなってしまったのだ。
レオは大変朗らかな人間だ。
基本的にお守りの金貨さえ握り締めていればにこにこしているし、いつだってエミーリオたち弟分のことを褒めたり、励ましたりしてくれる。
ではレオ自身はいったい誰にそうしてもらえるのだろうかと言えば、実は、孤児院でも最年長となった彼を評価してくれる人は、そういない。
ハンナは誠実な人物だが厳しくもあり、そう簡単に人を褒めないし、町ゆく人々も、バイト先の客も、レオのことは「しょせん孤児」としか見なさない。
それが、業界に引きずり込むためとはいえ、この面接官が熱烈に褒めてくれるものだから――というより、レオがこんなにも喜んでいるものだから、この空気を壊しにくくなってしまった。
「なんとか、レオ兄ちゃんに水を差さずにサインだけ回避させられないものかなあ」
「くだらない。相手の歓心を引き出すための嘘だぞ」
「でも、喜ぶレオ兄ちゃんの感情は本物じゃんか……」
三人が踏み込むタイミングを測りあぐねている間にも、面接は更なる盛り上がりを見せていた。
「いいねえ、レオくん! すごくキャラが立っているよ! そういうのってこちらも売り込みやすいんだ。ちなみに座右の銘とかある?」
「はいっ、『金が第一』です!」
「はははっ、安全第一じゃなくて、金が第一なんだ。面白い!」
「いやもう正直、命より金ですからねー!」
「うーん、潔い! 素晴らしい!」
二人はもうノリノリだ。
扉の手前のエミーリオたちは、しかし発言を聞くと、しょんぼりと肩を落とした。
「レオ兄ちゃん……」
「そんなこと、言わないでよ……」
レオの割り切った守銭奴ぶりは、年少組にとってずっと憧れだった。
どんな悲惨な境遇もからりと笑い飛ばし、陰湿な世間の視線も振り切って一途に金を追い求める。
その陽気さと強さに、弟分たちはずっと救われてきた。
だが最近、エミーリオたち自身が大人に近付いてきたことで、思うようになったのだ。
命より金だなんて、言わないでほしい。
彼が仲間のためにガンガン稼いでくれる金は、何よりありがたいものだけれど、でもそれよりもずっとずっと大切なのは、レオ自身のほうなのだから。
「……阿呆」
扉に背を預けて腕組みしていたブルーノも、ぽつりと呟いた。
あの馬鹿は、誰よりがめついくせに、一番大切なものに限ってぽんと投げ出そうとする。
「――じゃあさ」
扉の向こうで、ふと風向きが変わったのはそのときだった。
「君みたいにしっかりした子に、特別に案内しているコースを受講させてあげるよ」
「特別に?」
「そう。要求レベルが高い依頼主を相手にしなきゃいけないんだけど、そのぶん給金は弾むよ。なんと訓練生の時点から、月に金貨一枚だ」
三人ははっとした。
いよいよ面接官はレオを男娼に引きずり込もうとしているのだ。
「月に、金貨一枚?」
「破格だろう? 君みたいな孤児には、普通ならまず手に入らない額だよ」
レオが心惹かれた様子で聞き返している。
こつ、こつ、と、面接官がレオに近付いてきているのがわかる。
「これが契約書だ。ここにサインさえしてもらえば――」
踏み込むなら今だ。
ブルーノが、扉を蹴破るべく静かに片足を後ろに引く。
エミーリオとマルセルが飛び込むべく構えを取る。
「……んー」
だが、その後に続いた意外な言葉に、三人は目を見開くことになった。