09 遠い世界の暮らし
作戦会議そのものに意味があったかどうかは断言できない。
しかし現状の問題にしっかりと目を向け、目標を定めれば目指す先が見えてくる。
だがそのためにはまず腹ごしらえが重要だ。
何をするにもとにかく飯。
考えるにしろ悩むにしろゲームを始めるにしろご飯は重要な要素に違いない。
「手伝いますよ」
「ありがとう」
モフモフとした毛並みのコスケさんは僕なんかと違いよく気が回る。
子供のようにそのままぼうっとしていた僕の元にもご飯が配られていった。
皿に盛られた料理はよく煮込まれた何かドロドロしたやつとチーズ。
準備ができればみんな揃って席に着く。
ふたりで生活するには少々大きく感じるテーブルを囲み、いただきますも言わず黙々とした食事風景が始まるようだ。
そんな中コスケさんは礼儀正しさの模範のように深々と頭を下げるのであった。
僕も慌てて口に入れようとしていたスプーンを戻し、釣られるように深々と頭を下げる。
「この度は本当に泊めていただきありがとうございます」
「ありが――ぐっ!」
――ごちん。
そんな音と共におでこに鋭い痛みが走る。
テーブルに頭をぶつけてしまった。
思ったよりもテーブルが高かった……。
そんな焦りと不注意に顔が熱くなるのを感じていれば、シンシアとアレクシアさんが声を抑えて笑いをこらえている。
なんだか余計に恥ずかしい。
「ふふふ。そんな畏まらなくても追い出したりしないから大丈夫だよ。ささ、そんなことよりも料理を食べてください。せっかくの温かいスープだ、冷めてしまったらもったいない」
「それでは遠慮なくいただきます」
ドロドロとしたご飯は意外にもお腹の膨れるものだった。
スープだと言っていたが、僕の知るスープとはだいぶ違う。
お米のように水分を吸ってパンパンに膨れた、なんかそんな感じのアレだった。
隣のオオカミさんは長い口の先に器用にスプーンを運んでいた。
僕よりも大きな変化をしているためか、だいぶ食べづらそうに見えてしまう。
「そういえばふたりは珍しい身なりだけど、旅人なのかい?」
ふとアレクシアさんがそんなことを聞いてくる。
見れば当然の疑問だった。ここの住民と僕たちの恰好は違い過ぎる……というか奇抜と言っていい。
白い服に白いローブ。対してコスケさんは黒い魔術師ローブで全身を染めている。
コスプレ集団にしても驚きのクオリティの高さだ。
僕が答えに迷うとコスケさんが謎の視線を送ってくる。
意味は分からないがとりあえず頷くと、オオカミの口が開いた。
「そうなんですよ。色々と各地を旅してまして。ただこの地方へ訪れたのはつい最近で、道も分からずといった状態なんです」
「そうなんですか。こんな森の中に街があってさぞ驚いたでしょう」
「ええ。……そういえば大きな谷もありましたね。そこに街があるんですから驚きも倍でしたよ」
「外から来た人はみな驚かれますよ。実はあの谷、『世界の傷』ですからね」
「世界の傷?」
「ご存じないですか? 世界を横断するように刻まれているから『世界の傷』と」
「あー……あぁ、アレがそうなんですか! いやあ初めて見ましたよ、ハハハ!」
いや、コスケさん知らないだろ。
いかにも知ってましたと言いたげな頷き方だけど。
それと、僕たちが手紙によって飛ばされてきた事などは聞かなくていいのだろうか。
せっかく親切な人がいるというのに。
まあ、コスケさんにはコスケさんなりの考えがあるのだろう。
適材適所、そう適材適所だ。
うん。
「この街は『世界の傷』ができる前からある歴史ある街なんですよ」
「なるほど、それはすごいですね。ところで……"邪悪なるもの"について何かご存じありませんか?」
それは唐突な質問だった。
確かに重要な話題だが、あまりにも違和感のある話題転換では……。
そんな緊張を抱えつつもアレクシアさんを盗み見てみれば、特に表情を変えずあっさりと返してきた。
「"邪悪なるもの"かい? えっとそれがどうしたんだい?」
いかにも悪徳な名前だが、口にするのはとくに問題ないようである。
『ダリオン』のクエストの中には名前を出しただけで死地に飛ばされるようなクエストもあったのだが……、どうやら問題ないみたいだ。
「実は私たちの旅の理由がそれなんですよ。各地で似たようにお話を聞き出して調べているんです。もしかしたら笑ってしまうほどどうしようもない理由かもしれませんが……」
「へぇー、珍しいものを調べてるんだね」
「できれば知っている物をできる限り教えて下されば」
「難しいことを言うね……。うーんそうだなぁ」
僕たちはアレクシアさんの話を聞き入った。
要約すると、それは言い伝えやおとぎ話のような古い話ばかりだった。
つまり今の時代で何か起きた形跡や話は広まっていないことになる。
手紙には"邪悪なるもの"を討てとハッキリ示されていた。
にも関わらず現在の話が一切出てこないのはどういうことなのだろうか。
「そうだシンシア。街に旅芸人が来ていただろう。明日仕事が終わったらみんなで見に行ってみようか」
「えっ! いいのお父さん!」
「おふた方もどうですか? そこで"邪悪なるもの"の詳しいお話も聞けるかもしれないし……特にお嬢さんも旅芸人さんの人形劇を見たら喜ぶかもしれない」
それまでずっと黙りながら話を聞いていたシンシアは嬉しそうに喜んでいた。
しかし……お嬢さんって誰だ?
そんな疑問を頭に浮かべていれば、毛むくじゃらの手が僕の頭を乱雑に撫でてくるではないか。
あぁ……そうか、そうだね……、お嬢さんだね……。
「よかったですねぇアーさん。だーいすきなお話が聞けるそうですよ」
「やったー……」
「ハハハッ。この子恥ずかしがりやなんです」
覚えてろよオオカミめ……。
無駄に響くコスケさんの笑い声。
ウキウキとした顔を浮かべる少女シンシア。
だが僕の表情は死んだ。
そんな人の感情など知らずにコスケさんとアレクシアさんの会話は弾んでいるようだ。
さり気なく街の内情や近状を聞き出したりと、あのオオカミは見た目と同じく抜け目ない。
そんな和気あいあいとした空気にアレクシアさんはふと思いついたように言った。
「そうだ、おふたりのお話も聞かせてくれませんか。旅のお話を」
「旅のお話ですか?」
「はい、私の娘は外の話を聞くのが好きで、せっかく旅人さんもいらしているんだから良ければ聞かせてもらえないかと。――どうでしょう?」
「そんなことでしたら喜んでお話ししますとも。せっかく泊めていただけたんですからお安い御用ですよ」
旅の話かぁ。
安請け合いするコスケさんに僕は他人事のように思った……が。
いやいや、えっ? 旅ってただ森を歩いてただけじゃん!
コスケさんの快諾に思わずそんな声が飛び出しそうになってしまう。
いやぁ……まてまて。
当然だが僕たちは旅らしい旅など今までしたことがない。
しかし、そんな不安をよそにコスケさんは意気揚々と話し始めたではないか。
「そうですねぇ、これは各地を旅して見つけた珍しいダンジョンのお話をしましょうか」
ダンジョン……。
そうか、なるほど。ゲームの話でいいのか。
実はちょっとだけコスケさんのプライベートな旅行話でも飛び出すのかと焦ったが、別にそんなことはなかった。
「珍しいダンジョン?」
「そうなんです、なんと入るたびに形の変わる大変珍しいダンジョンだったんです」
「なにそれ凄い!」
外の話が好きという好奇心は本物なのだろう。
シンシアは先ほどまでとは違い、大きくその話に食いついていた。
好奇心に満ちた目はコスケさんを離すまいと力強く見つめている。
輝かしいほど純粋な眼差し。
でもそれは『ダリオン』というゲームのお話なんだ。
現実には実在しないんだ。
騙しているような罪悪感。
しかしコスケさんはさも実在するかのごとく、その長い口がペラペラと冒険譚を紡いでいく。
コスケさんの話は盛りに盛った虚実合わせた大冒険へと変化していた。
僕の記憶よりも大幅に脚色され、それはもうフィクションと大差ない大冒険である。
身振り手振り交えてのささやかな一大スペクタクル。
手に汗握るバトルに愉快な仲間たち。
そんな中で僕は脇役のままフェードアウトしていた。
見た目は子供だからね。仕方ないね。
だが作り話でもこの世界では貴重な娯楽なようだ。
アレクシアさんはジッと話に聞き入り、シンシアはテーブルに身を乗り出すほど夢中だった。
――話の腰を折ってしまうが、この物語の元になった冒険はもちろん遊びの一環でしかない。
ダンジョンに入る前に攻略サイトを見て事前に対策したり、仲間内でふざけ合っていたらそのまま全滅したりと、美談なんてひとつもない普通の攻略だ。
それをさも現実であったかのごとく語れるのだから、コスケさんの誇張とねつ造だらけの創作能力や恐るべし。
「――そして私たちは壮絶な戦いを制すことができたのです……。仲間たちと互いに健闘をたたえ合い、そこで財宝までも手に入れたのでした」
「財宝って今も持ってるの!?」
「もちろんありますよ」
シンシアの歓声のような問いかけにコスケさんはカバンを漁り始めた。
さて、何が出てくるのやら……。
取り出したのは小さな懐中時計。
コスケさんが装備している品のひとつのようだ。
その効果は確か……魔力の増幅だったか。占星術師であるコスケさんが持てば役に立つのは間違いない。
だが注目すべきはその作りだ。
現実化となった今、その懐中時計は本当に神秘的で目を惹きつける精巧さを見せていた。
何も知らなければ本当にダンジョンの財宝に見えてしまうくらいに。
周囲の明かりを反射しきらめく鏡面。
細かい模様が掘られた蓋は高級感が漂い、それを開けば小さな宇宙が時を刻んでいるようだった。
天体が浮く文字盤。
占星術師用の装備らしく、意匠には星座と星が用いられている。
詳しくは知らないが、見たことのない星座と星々は『ダリオン』の夜空を描いているらしい。
コスケさんはそれをテーブルの上にゆっくりと置いて見せた。
ふたりの反応を見ては、どこかオオカミの鼻が伸びているように見える。
おそらく気のせいではないだろう。
コスケさんのその得意げな表情が全てを物語っていた。
「どうぞ、これです」
「素晴らしい……」
「綺麗……」
まるで宝石店員のような丁重さ。
感嘆のため息をつき職人目線で褒めるアレクシアさんと、その見た目を褒めるシンシア。
テーブルに置かれたそれを食い入るように見つめていた。
だがその蓋もすぐに閉じられてしまう。
どこか物足りないような目は自然とコスケさんに向いた。
「あー、こほん。どうでしたか? 私のお話しは」
「すっごいよかったよ! ねえ他にはないの!?」
「素晴らしいお話しでした。思わず聞き入ってしまいましたよ」
どうやら好評だったようだ。
ゲームの話にも関わらず、ここまで好意的な反応をもらえるのは新鮮だった。
コスケさんもまた満更ではなさそうに、そして調子づく。
「そうですね……あれは確か――」
そんな話と共に異世界の初日は過ぎていくのであった。