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04 手紙





「シカ……?」

「シカですね」


 枯れ枝のような角が頭を飾り立て、スラリと引き締まった強靭な四肢は鉄筋とさえ思わせる。

 小さな頭にある両目は血走り、口元からはまるで餌を求めるように涎がだらだらと滴り落ちていた。

 大きさは……そう、見上げるほどに大きく、頭はちょうどコスケさんと同じ位置に……。


 明らかに草食動物のそれではない。

 気性の荒い肉食動物よりも肉食してそうだ。


「コスケさん……ヤバいですよコイツ……逃げましょう」

「アーサン、ウシロ、ガケ……」


 なぜかカタコトになるコスケさんを背に、僕はじわりと足を横にずらした。

 後ろは崖。

 今一番危ないのはこのまま一緒に突き落とされてしまうことだ。

 ここは僕が気を引いてコスケさんが後ろから支援を……。


 いや、いやいや! ゲームじゃないんだから……!

 でも……だったらどうする……。


 じわり……じわりと……移動しながらのにらみ合い。

 あまり歓迎はできないが、その顔はしっかりと僕に狙いを定めたままである。


 明らかに小さくて弱そうな僕を見ているのだ。

 威嚇するわけでも興味を失うわけでもない。ただそこでジッと血走った目で見ているのが恐ろしい。


 家でゲームしてたはずなのにどうして森でシカと睨み合ってんだ。

 いや、そもそもシカなのだろうか。


 あーくそ! この状況を作り出した奴に文句のひとつくらいは言ってやりたい気分だ。


 視界の端では、コスケさんが僕と反対方向に向かってゆっくり移動していた。

 左右に分かれての移動。

 上手くいけばお互い逃げられそうな気もしてくる……。


 どうか……どうか見逃してくれ……!

 心で何度も祈りつつ、凛と立ち誇るシカに念を送る。

 心なしか向こうの涎が滝のようにだばだばと垂れているように見えなくもないが……。


 そろり、そろり、そろり。

 相手を威嚇しないよう、威嚇しないよう……威嚇しないように……。


 シカが煩わしそうに首を振る。

 涎が飛び散り、そして――。


 パキンッ。

 と、何かを踏み折る音。


 びくりと反射的に視線を向ければ、コスケさんの毛が逆立ち驚いた顔が目に飛び込んできた。

 瞬間ラッパのような重く鋭い声が耳をつんざく。


――ボゥオオオオオオオオオオウゥゥゥゥゥゥォォォォンッ!!


 目の前のシカが土を蹴り上げコスケさんの方へ向いたのだ……!


「ひぇっ!?」

「コスケさん!!」


 名を呼ぶと同時に自然と動いた足。

 僕はとっさに駆けた!


 足は想像以上に軽く、視界がぐんと伸びる。

 わけもわからず、しかし無意識に。一瞬にしてコスケさんに衝突しそのまま転げていく。


 回転する視界を無理やり止め素早く体勢を起こした。


 シカは空を切り、そのまま谷へ落ちるのではないかという勢い。

 だがしかし、強靭な四肢が崖スレスレで踏みとどまる。

 いや、それどころかこちらに向かって駆けてきた!


「コスケさん起きて!」


 慌てるように体を起こすコスケさんに焦りを募らせ、だが、まだ僕には剣がある……!

 【冥府の王】を引き抜き構えた。

 銀に輝く刀身が頼もしく、そのまま眼前の敵に向けてやる。


 剣のように伸びるシカの蹄が崖を崩しながら迫り、地面を揺らして一気に速度を上げてきた。

 その一歩が地面を突き刺すように鋭く。まるでその音が何頭にも増えたように錯覚させる。


 巨体から漏れる息使い、躍動、筋肉の軋み。それらが近づくにつれ圧迫感となる。

 壁のような熱気と体温、枯れ枝のような角。

 その先端が鋭く貫くように向けられ……。


「アーさん、無茶ですってッ!」


 交差する瞬間、毛むくじゃらの腕によって引きずられてしまった。

 あわや寸前、串刺しになる所だ。


「こ、こわっ! 突然横から引っ張るの止めてくれ、ビックリしたよ……」

「ビックリしたのはこっちですよ! 早く逃げましょう!」

「確かに……。でもとても逃げられるとは思えないけど」


 地面を擦るようにシカが方向を変えてくる。

 崖際だろうがなんだろうが遠慮のない頭突きだ。

 確実に僕たちを仕留めにきてるのだろう。


 相手から伝わってくる明確な殺意。

 空気に苦みが混じるような緊張感。


 小さく息を吐く。


 相手は強敵だ、とても子供の体じゃ敵わないような。

 でも、ここが『ダリオン』と関係した場所だって言うんなら……イチかバチか。


「コスケさん覚悟を決めて。いつものやつ行くよ!」

「ま、マジですか……!?」

「ここがゲームの世界だってんならやってみせろ! 行くぞ!」


 動悸が止まらない。

 自分の心臓の音が良くわかる。

 気を抜いたら手が震えそうだ。


 でも……でも、この沸き起こる感情は長年経験した親しみあるもの。

 突然知らない場所に飛ばされて、体が変わって、訳が分からない状態……。だけど。


 僕のこの感情だけは変わらない。

 そこに敵がいる限り……この緊張感を味わっている限り、変わったりなんてしない。


 それさえ分かれば充分だ。


「アーさん、『スペルブック』は!?」

「無くていい、僕がアレを叩く。コスケさんはそのまま崖に……あっ、位置取り気をつけて!」

「了解っ!」


 コスケさんが後ろに下がる。

 いつもの陣形……と呼べるものでもないが。

 簡素で簡単で自然にそうなったような位置取り。


 眼前に構えるは【冥府の王】。

 細いその刀身には波打つように力が満ちる。

 柄を握る小さな手は不思議と馴染み、まるで現実で何年も振るい続けていたように自然と体の一部となっていく。

 心強い。


 魔法なんていらない。

 僕には剣技がある。

 ゲームで培ったなんて聞こえは悪いが……、そんなもの実績で払拭すればいいだけだ。


 相手はすぐには来なかった。

 僕たちの空気が変わったことに気づいたのだろう。その血走る目に観察するような警戒が見て取れる。

 シカの足踏み。

 無音の睨み合い。


 来る――ッ!


 強靭な脚力。

 蹄が地面を蹴り上げ、角による刺突。

 頭が上がるごとにシカの呼気音、同時に全身が迫りくる!


 だが相手は巨体ときた。

 なら僕の選択は――!


 体の軸を前に倒し、その勢いでシカに肉薄する。

 想像以上に間合いは短く一瞬だった。


 刺突に合わせる気なんて最初からない……!

 僕はそのまま剣を前に全身を低く股下へ潜り込む。


 ほとんど滑るように。

 同時にシカの頭が真上を通り、涎と鼻息を無視して剣を薙ぐ。


 手に伝わる肉を絶つ感覚。

 赤い液体が散り、瞬間上がるうめき声。


 大柄なシカが後ろ脚をバラバラにしながらその身体を崩した!


 トドメだ!


「コスケさん!」

「『ザイン』!」


 叫ぶと同時に形成され放たれた魔法。

 球体状の光り輝くエネルギーが線のごとく飛ぶ。

 渦を巻き、風を切るそれが巨大なシカを撃った。


 瞬間――弾ける。


 鋭い音を響かせ、『ザイン』の魔法が弾けたのだ。

 耳を圧迫する破裂音。

 圧縮した空気が四方に飛び散るように、強い力がシカを吹き飛ばす。


 宙を舞い、まるで紙のように。

 あの巨体が舞ったのだ。


 まるでこの一瞬だけゲームに戻ったかのように。

 首と前足は投げ出されくるくると回りながらそのまま谷底へ落ちていく。

 血を散らしながらくるくると。


 物悲しい断末魔の声が谷に響いていた。


 一瞬の緊張感がまるで嘘のようにほぐれ……、僕はそれを見送っていた。

 あっけない……。

 思ったよりも拍子抜けと言うべきか……。


 だが、まあ、ひとまず……終わったようだ。

 呼吸を整え、コスケさんを見れば、オオカミの顔もまたやり切ったように笑顔を浮かべていた。


「ふぅ……やりましたね」

「意外と弱かったね」

「なに言ってるんですか、あの角だってヤバかったでしょう! 凄い迫力でしたよ!」


 興奮冷めぬオオカミは鼻息を荒くしてそう語る。


 残ったのは後ろ脚2本。

 未知の環境、見知らぬ敵、初めての戦闘としては上々ではないだろうか。


 見上げるほど大柄なコスケさんに向けて手のひらを差し出す。

 するとコスケさんもその手を叩いた。

 ぽふんと。


 最後まで気の抜けるような音に苦笑いだ。

 そんな僕たちは少し不格好なハイタッチで今回の戦いを締めるのであった。



――

――――……



「いやぁ、魔法がこうビュンっと飛んで、そこからパァンッ! ですよ。さすが私。いえ、さすがモフモフと言っておきましょうか」


 手を交え擬音で説明しながらシカとの戦闘を振り返るコスケさん。


 今回は乗り切ることができたが、あんな生き物に再び襲われたんじゃかなわない。

 というわけでさっさと森を出ようと移動をしているのだが、その間にもコスケさんの口が止まることはないようだ。

 具体的な名称も何も出てこないが、それだけ興奮しているということなのだろう。


 確かにアレは凄かった。

 ゲームよりも遥かに迫力があった。

 魔法という力も凄かった。音の圧が体を押しつけるほどの威力も凄かった。

 ゲーム内じゃ決して味わえることはないだろう。


 しかし、それが皮肉にも現実の証明になってしまっていた。


 それに……。


「『ダリオン』じゃ見ない敵だった……」

「あー、そうですね……。私たちの体とか、魔法は確かに『ダリオン』のものなんですけど……」

「体を動かした感覚とか、武器の性能を見る限りたぶんステータスもそのままなんだよね」

「リアルになった部分と完全に消えたシステム部分……ですか」


 戦った感覚的に、『ダリオン』でのジョブもそのまま適応されていると考えてよさそうだ。


 剣を扱う僕のジョブは『剣聖』だった。

 文字通り剣の達人であるという設定で、覚えられる魔法も戦闘補助のようなものが多い。


 ……だが、軽く動かしてみただけでも感じた違和感。

 現実じゃ剣なんて触れたことすらないのに完璧に扱える技量……。

 とても設定だからと済ませられる状況ではない。


 一方コスケさんのジョブは『占星術師』だ。

 器用貧乏とよく言われているが、戦闘補助、敵の弱体化、回復と何でもそつなくこなせる。

 専門職には一歩劣り、攻撃面も貧弱。しかし占星術師の特徴である条件付き魔法は強力な助けになる。


 魔法は見た限りゲームと変わらず、しかし僕と同じようにその"扱い方"も自然と理解しているのかもしれない。

 見たこともない文字で書かれた手紙の内容が分かるように。

 尻尾や耳が自然と馴染んでしまっているように。


「うーん、手紙の内容をもう一度見てみましょうか」


 そう言ってコスケさんはカバンから再び手紙を取り出した。

 何もかもが荒唐無稽で混迷を深めるこの状況。

 一旦仕切り直すには丁度いいだろう。


"『神々に選ばれた放浪者に信託を授ける。"邪悪なるもの"を探せ。そして討て。さすれば元の世界へ帰還でき、安寧の日常へ戻れることだろう。君たちは選ばれた。それを幸運に想い日々を生きよ。導は常にそこにある』"


 神々に選ばれただとか、信託だとか……それよりもまず"邪悪なるもの"がなんなのかすら分からない。

 だが明確にここを別の世界だと示す言葉が書かれている。


「元の世界へ帰還でき、安寧の日常へ……って、あらためて思ったんですけど、なんか随分と上から目線ですね、これ」

「要は"邪悪なるもの"を倒して欲しいってことだろ?」

「そのためにわざわざ戦いの素人である私たちを呼んだんですか?」

「『ダンバト』はやり込んでるつもりだけど……まあ、ゲームに変わりないからなぁ」


 僕の言葉に「さっきのアレはまぐれだったんですか?」と呆れるような言葉が上から降ってくる。

 そうは言われても、戦えたから戦っただけだとしか言いようがない。

 ゲームが上手ければ現実も超人染みた動きができるなんて思われてもさすがに困る。


 コスケさんは手紙に視線を落としたまま「しかし……」と続けた。


「この手紙も意味分かりませんね。元の世界は安寧の日常と書いておきながら、君たちは選ばれただとかなんだとか……。まるで私たちに装備だけ渡して『後はよろしくー!』って放り出しているような……」

「放り出されてるな」


 生い茂る木々や断崖の谷。

 家も無ければ人もいない。下手したら僕たちの明日は来ないかもしれない。


 まさにコスケさんの言った通りだ。

 僕たちは別の世界に投げ出されそのままポイっとされてしまったようだ。

 先行きの見えない現状、頼りが『ダリオン』のアバターと手紙だけとはなかなか辛いものがある。

 いっそ夢ならば……。


 そう思った矢先、ようやく現状を脱せる糸口が見えた。

 森の切れ目からわずかに見える壁のようなもの。


「おっ、アーさん建物です、建物ですよ!」


 喜々とした声をあげながら毛むくじゃらが指し示すその先には大きな人工物。

 巨大な壁はまるで城壁のように立ちはだかり、外部の脅威から身を守っている。

 あんな巨大で狂暴なシカがいれば当然の守りだろう。


 石で作られた巨大な壁は、堅牢すぎて中の様子が全く分からない。

 それ以上に理解できないのは谷のそばに作られている理由だ。


 頭の中にぼんやり浮かぶのは断崖の谷に沿って作られた半円状の国。

 崖崩れとかに弱そうだ。


 そんな気の抜けたような想像をしていると、隣のオオカミさんはもっと気の抜けたことを言う。


「やっとご飯にありつけるよ~……。やっと布団で眠れるよ~……」

「確かにお腹空いたよなぁ。美味しい物とか食べられればいいんだけど。そういえばこの国の物価とかって……、あっ」

「……あっ」


 ついぞ全く意識していなかった驚愕の新事実。

 この地域のお金などもっているはずがない。


 つまり僕たちは一文無しとうわけだ。

 そんなまさか……。

 『ダリオン』のお金は取り出せるだろうか……。


「もしかしたら全部タダな地域だったり……」

「もしそうだったらビックリだよ」


 不安と観測的希望を口にしながら、歩哨が立つ門を見つけ近づいて行ったのだった。




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