03 手紙
草をかき分け、道なき道を進む。
時間はちょうど昼頃だろうか。
ここへ来る前は夜だったのに一瞬にして時間が飛んでしまった。
そのおかげで時間の感覚は狂い、空は明るいのに気持ちだけは深夜のように暗い。
思い出すのはほんの少し前のやり取りである。
ここに来た原因が分からなきゃ帰り道だってさっぱりだ。
気づけば森の中。
体はゲームのもの。
変な知識のオマケ付き。
右も左も同じような木々の連なる景色。
まるで取り残されたかのような状況には呆れを通り超して呆然とするしかない。
もう一度言おう、どうやって帰るんだ。
何度でも言おう、どやって帰ればいいんだよ。
ひざ丈ほども伸びた雑草を見れば、ここは人も通らない場所だってすぐにわかる。
つまり遭難だ。
ここはどこ……?
こんな場所に放り込むのなら道くらい用意してくれよ……。
だがそんな状況でも元気に草むらをかき分けるオオカミがいた。
二足歩行でなければ好奇心旺盛な可愛い犬と見間違えていたかもしれないが、相手はコスケさんだ。
「キビユ草……グルードの実……。おっと、これはコゴエ草ですね。アーさん、やっぱりここ『ダリオン』の世界ですよ」
「冗談だろ? さっきまで遊んでたゲームに何で……。いや、そもそもゲームはゲームだろ、なんで」
「ではこの現状をどうやって説明するんですか? ゲーム内にあった収集素材がすっごいリアルになって自生してるんですけど」
「……」
分からない。
分かるわけがない。
調べものをしようにもネットが無ければ繋がらないし、そもそもメニュー画面も存在せずログアウトすることも不可能だ。
完全に放り出された。
手元にあるのは『ダリオン』というオンラインゲームで使っていたアバターと武器にカバン、それに意味不明な手紙だけ。
助けを呼べるのなら呼びたい。
しかしそれも現状不可能と言えよう。
僕がため息で返事をすると、コスケさんは再び野草探しに戻る。
なんだか、あのオオカミがウキウキしているように見えるのは気のせいだろうか。
「アーさん、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ。こういうのは必ず活路が開けるものなんですから。もっと自然体で気楽に行きましょ」
どうしてそこまで気楽になれるんだろうか。
不思議でしょうがない。
帰れないのだから進むしかないのは確かに間違いないのだけど……。
いっそのこと、自由なオオカミに身を任せてしまうのが理想的にさえ感じてしまう。
悩んでも分からないのだから仕方がない。
結局どう転んでも博打であることに変わりはないようだ。
先行するコスケさんの後を追いつつ、肩の力を抜く。
ぶら下がる手に硬質な物が当たった。
腰に身に付けた細剣が目に入る。これも『ダリオン』で装備していた物だ。
刀身が細く細剣に部類される軽い剣。
数ある武器の中で装飾が少なく非常にシンプルではあるが、その性能は間違いなく優秀だ。
なにより『ゴースト特効』が付いているのが最高に良い。
名は【冥府の王】。
強化の過程で勝手に付いた冠名だが、能力はまさにピッタリと言える。
汎用性も高くエンドコンテンツにも耐えうるステータスの高さ。
僕はこの武器を長年愛用し、まさに相棒と呼べるほどの愛着も抱いていた。
こうしてリアルになった今でも性能がそのまま引き継がれているか分からないが……。
指で押し上げるように軽く剣を抜いてみる。
曇りなく光を反射する刃。それは鋭利で鋭い。
隙間から見えるその品位と威圧感は本物だろう。
「いざとなれば頼りにしてるよ」
剣に、というよりは自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
――
――――……
どれくらい歩いただろうか。
コスケさんの手にはこの世界で自生していた素材たち。
それをカバンの中に無造作に突っ込んでいた。
ゲームに存在していたアイテムが生えているのには驚いた。
しかしそれ以上に驚いたのがこのカバンだ。
肩掛けであるにもかかわらず、戦闘や大きな動きにも耐えうるよう体にぴったりとくっついてくるが注目すべきはそこじゃない。
仕様が『ダリオン』とまったく同じだった。
というのも、見た目以上に物が入るようになっている。
カバンを開くと中に広がっているのは暗闇で、手を突っ込めば物をたくさん突っこめるという仕組みらしい。
それもゲームのように整理された状態で。
いくら中を覗こうとも真っ暗で何も見えないのに中身が分かったり、見た目はただのおしゃれカバンのままなのにゲームみたいにたくさん入れられる。不思議なもんだ。
いったいどうなっているのやら。
くしゃくしゃの手紙を突っ込めば、やはり綺麗に闇の中へ吸い込まれていく。
「便利だけど、ほんとうにどうなってんだこれ……」
体も不思議だがこのカバンも未知だ。
そうこうしていると、コスケさんが何かに気づいたように声を上げた。
「アーさん、こっちこっち」
振り向き手招きで誘ってくる。
疑問に思いつつも草をかき分け近づけば、生い茂っていた草木が晴れて、見晴らしのいい景色が広がる。
少し肌寒いが天気のいい快晴。
だがそうも言ってられない景色が目の前に広がっていた。
「これは……渡れそうにないね」
「結構深いですよ、大きな地震でもあったんですかね」
それは深い深い谷。
底が見えないほど深く、そして幅の広い谷だった。
そこだけぽっかりと消失したように垂直の崖が下まで続く。
対面も似たように森が広がり地層の見える地面が遥か下まで続いている。
木々の根っこが飛び出ているが、とても降りられそうにない。
こりゃあ落ちたら命はなさそうだ。
そう思えるほど絶望的に深かった。
それに向こう側へ渡るにもかなり距離がある。
たとえ高層ビルが横倒しになろうと届くかどうか……。
しかし無意識に橋かなにか探してしまう。
渡れそうなものはないかと周囲を見れば、自然に作られたにしてはその谷は真っすぐと、そして先が見えないくらいにどこまでも続いているようだった。
当然向こう側へは行けそうにない。
コスケさんはそんな谷を覗き込みつつぼやく。
「これを渡るのは……ちょっと無理そうですね」
「でもこれに沿って歩けば同じところをクルクル歩く心配はなさそうかな」
「そうですね。こういった意味あり気な場所にはイベントも付きものですし」
確かに曰くつきではありそうだけど……イベント?
「もしかしてコスケさん、ここをゲームの世界だと本気で思ってるの?」
「えっ。むしろアーさんこそ『ダリオン』に関係ない場所だと思ってるんですか? ……第一普通じゃあり得ないですよ、こんな……えと、アバターの体になっちゃうなんて……夢か幻か、ゲーム以外考えられないじゃないですか」
「でも、体の感覚とか説明つかないだろ。尻尾とかほら見てよ」
ローブの下から細く白い尻尾を見せつけ、動かしてみる。
意識すればヘビのように。
まるで別の生き物のようだが、生まれた時から存在しているかのように馴染んでいた。
もはやゲームだとか現実だとかの概念を超えた状態だ。
魔法や奇跡とかそういった類に近いだろう。
だがコスケさんは口元を抑えて笑いを堪えているようだった。
「そのポーズ、あざといっすね」
「いや! こっちは真面目に言ってんだけど!?」
「怒ってる姿もキュートっすよ」
「……」
そういう事じゃなくてさぁ……!
言いたいことが伝わらないもどかしさ。
お互い声まで変わってしまって調子が狂いそうだ。
だがその時、空気に別の匂いが混じる。
風に乗って漂う強烈な獣臭。
こうして言い合いしている合間にも近づいてきているようだ。
コスケさんも同時に気づいたようで、視線が森の奥を覗くように自然と向く。
「アーさん、嫌な予感がするんですけど……」
「森の中なんだから獣くらい当然でしょ……」
とは言ったものの、ここで野生の獣など会いたくもないのだが……。
しかしそんな願い虚しく確実に僕たちの方へ向かってきていた。
草木を揺らし姿を見せたのは鼻息荒くした獣。
細い足が地面に沈むほどの体重。長い首に立派な体格をした……。
あれは……?