01 はじまり
ゲームが好きだ。
限られたルールの中にある自由な世界。
プレイヤーの理想に答えてくれる爽快な空間。
僕はそんなゲームが大好きだ。
自分の理想を追い求め、相手を打ち負かし、完ぺきを創造していく。
努力を重ねれば、運が伴えば、全てにおいてゲームは答えてくれる。
僕は気づけばプロゲーマーと呼ばれるまでになっていた。
きっかけはそう、VRゲームにドはまりしたことだ。
VR、ヴァーチャルリアリティはその名の通り作り物の世界。
専用の機器で電子と虚構の世界に入り込み、現実では叶わなかった全てが人の手で創造できる世界。
発売されたゲームは今じゃ星の数ほど。
しかし世界的に有名になるタイトルはいつの時代も限られている。
運が良かったのか僕はその有名タイトルで遊び、戦い、勝ち続けた。
『Role of Da'at Elyon : Battle Tournament』
通称『ダンバト』と呼ばれるそれは、元はVRMMORPGの追加コンテンツとして発売された。
しかしそのジャンルはRPGではなくVR対戦アクションというのだから驚きだ。
だがその内容はゲーマーという生き物を熱中させるには充分だった。
VRという架空の体をこれ以上ないほど自由自在に動かせる。
革命に等しいアクション性は誰もが夢中になった。
賞金付きの大会、宣伝のための勝負、SNS上で広がっていく話題性。
人口が増えれば自然とその規模も大きくなっていく。
僕はその世界でひたすら勝ちを求め、テクニックを極め、強さという実力で押し通ってきた。
いつしかプロゲーマーとしての肩書を背負い、大会での優勝を重ね、チームでの敗北に辛酸をなめ、様々な感情を僕に与えてくれた。
作り物の世界。
ポリゴンのぶつかり合い。
しかしそこで交わされるのは互いのプライドと技量を持っての真剣勝負。
負けと勝ちが現実に直結するリアルな勝負。
ゲームが好きだからこそ、僕はその戦いが好きだった。
負ければ悔しく勝てば嬉しい。
その世界で相手との駆け引きを制す喜び。戦うことの楽しみ。そして誰よりも強いという証明を持って、僕の今がある。
しかし当然それはずっと続くものじゃない。
人は人である限り『敗北』という呪縛から逃れることはできないのだ。
――目指す先は無敗の戦士。
その称号はまるで太陽のように眩しく輝き――
――いまだ僕の手にとどかないほど遠くにあった。
■
青い空に太陽が眩しく輝く。
本物ではない作り物の太陽。
VRMMORPG『ダリオン』。
そんなゲームの世界でひとつの区切りを終えた僕は、ぼうっと物思いにふけていた。
考えることはたくさんある。
だが気分転換で始めたゲームの最中に考えることではなかったようだ。
見上げるような背丈のオオカミ獣人が僕に話しかけていた。
そこから聞こえてくるのは見た目と不釣り合いな女性の声。
「アーさん、あと素材何個くらいですか?」
「んーっと、残り12個かな」
「じゃあ後4回くらいですね、ボス倒すの」
「ごめんね、わざわざ付き合ってもらっちゃって」
「いえいえ……最近はあんまりギルド内でもお話しする機会なかったですし、むしろこれくらいしか手伝えなくてこちらこそ申し訳ないくらいです。『ダンバト』の方じゃ足引っ張ってばかりですし……」
オオカミの顔をした大柄な獣人はそう言って体を器用に動かす。
ポリゴンから作られた仮想アバター。
グラフィックは近年のゲームと比べてもそん色はないが、細部を見れば負荷軽減のための工夫は至る所にされていた。
テクスチャ―はのっぺりだし、口の動きも大雑把。
表情も動くが、声のトーンに合わせて限られた表情しか作れない。
そんなオオカミ獣人であるコスケさんが扱うアバターはどう見ても大男、しかし聞き取りづらいマイクから聞こえてくるのはやはり女性の声だった。
なぜ大型のオオカミ男なのか。なんて気にするだけ無駄だ。
僕だって似たようなものだったりする。
コスケさんを見上げているのは単純にそれだけ視点が低いから。
きっと見た目だけならば可愛らしい猫耳少女だろう。
白い髪に白いローブ、三角耳に細い尻尾、そして全身真っ白なアバター。
しかしそこから飛び出す自分の声は低い男の声だ。
「いや、むしろ動けてると思うよ。もうちょっと自信持っていいって」
「完全に素人ですけど……練習の邪魔になっちゃったりしてないですか?」
「他の人と合わせるのも結構練習になるよ。それに息抜きでやってるってのもあるから。……あー、少し休憩にしようか。飲み物取ってくる」
「そうですか。それなら私もアイス吸引してきます」
見上げるような背丈のオオカミ獣人コスケさんの頭上に『AFK』の文字が浮かぶ。
それに追従するように僕もコントローラー操作に切り替え、見える景色をゲームから現実へと切り替えた。
頭に身に付けたバンド状の小さなゴーグル。メガネのように軽いそれは目を覆っているにも関わらず向こうの景色を薄らと映し出していた。
PCモニターには今僕が遊んでいるゲームの画面。
視線を少し横に向ければ時計が夜遅くであることを伝えていた。
プロゲーマーとなってしまえば当然日中からゲームばかりしていることになる。
そこには疲労もあるし、すくなからず飽きがくることもある。
それでもずっと続けていられるのはやはり単純に上達してくのが楽しいからだろう。
他人と競い、上手くなる。
シンプルだがこれ以上にないくらい大切な理由だ。
それでお金まで貰えてしまうのだから今の生活に不満はなかった。
収入の不安定さはあるが。
「んっ……」
ひとつ伸びをしてゴーグルを外す。カラになったコーラ缶はいくら振ろうともやはり中身はなかった。
長時間椅子に座るとやはりなにかしら負担がかかっているようで、立ち上がるのに力がいる。
そろそろ寝ながらゲームも考えた方がいいのでは。
昔は冗談で言っていた言葉が、今や本気でそんな考えが浮かんでしまう。
よっこらせと。
声には出さずとも体には出ていた。
コーラ缶を捨てに行くついでにカラの菓子箱も拾い、そして……。
「なんだこれ……?」
手紙だ。
それも日焼けの目立つ古い手紙。
しかしこんなものを置いた覚えがない。
ゲームの最中に誰かが置いたのか……?
幽霊でも出たような背中の寒気。
気味の悪さを感じつつ、恐る恐ると手に取った。
「っ!?」
瞬間、全てのスイッチが切れたように全ての光と音が消え去った――
◆
――何が起きた!
強い衝撃に視界の暗転。
前触れもなく起きた立ち眩みのような……一瞬だけ意識を失った喪失感。
とっさに手紙を離し、目頭を押さえてしまう。
何かヤバい病気だろうか……。
世界から取り残されたようなおかしな感覚が体の中で渦を巻くように残っている。
激しかった動悸がだんだんと落ち着くのを感じつつ、視界もいつの間にか戻り、気づけば耳もちゃんと聞こえるようになっていた。
ゆっくり落ち着くように視線をあげると……。
「森……?」
一面の緑。
あと……木だ。
草もある。
……いやいやいやいや!
室内に居たはずなのに何で!?
右を見て、左を見て、上を見ても下を見ても、外だ。外にいる!
いったいどいう事なのか、あまりの事態にパニックになりつつも、しかし一瞬見えた体に違和感を感じた。
僕はどんな格好をしていた? さっきまで部屋着で普段の恰好で……。
現状を受け入れられず、しかし恐る恐るのぞき見ようとし……。
「あっ、アーさん?」
まるでおじさんのような野太い声。
突然の不審者の登場かと警戒しながらその声に振り向けば、見覚えのあるオオカミの顔がきょとんと僕を見ていた。
獣人で見上げるように背が高く、黒い魔術ローブをまとった……。
「コスケ、さん……だよね?」
「は、はい」
しかしその見た目はどうだろう。
ゲーム内にしてはやけに毛並みがハッキリしていて一本一本細部まで見える。
表情は自然で口もなめらかに動き自然な瞬きとともに瞳は僕の方をしっかりと見つめていた。
何もかもが自然。
だからこそおかしい。
いや、そもそもだ。
僕はいつからゲームに戻っていた?
記憶がないとかじゃない。
明確に欠けている。
ゲームに戻った覚えもなければ、この森に来た記憶だってない。
それにゲームの中だとしてもありえないはずだ。
緩やかに吹かれる風も、擦れてささやく草花も、木がさわさわと騒ぐ音も。
地面を踏む感触も、服が擦れる感覚も、髪がなびく表現だって……。
こんどはハッキリと自分の体を見下ろした。
そこにあったのは白いローブに子供のような白く丸みのある手。
肩にかけたカバンにはわずかな重みがあり、腰に身に付けた剣には硬質な感触が伝わってくる。
何より足にはジャージではなく……。
わずかに露出した太もも部分はまさにアバターのそれだ。
風が吹くとその太ももの隙間を冷やしていく。
身震いというよりはもはや悪寒でしかない。
おぞましい何かが体を駆け抜け、ぞわりと血の気が引いていくのがわかった。
ゲームなら……そう。
ゲームはそもそも、感覚なんて伝わってこないはずだ……。
なのに……なんで……なんだよこれ……。
認めたくはない事実。
再度確認するように頭に触れる。
ゆっくりと触れた頭の上にはしっかりと耳があった。
人間の耳ではない。ネコミミだ。
コリコリとした感触。
むず痒さを感じ、パタパタと動く自分の耳。
いやいやいや……。
だがどんなに否定しようとも感覚は確かにそこにある。
ようやく出た声はしかし……。
「コスケさん……だよね、ほんとうに」
まるで自分のものとは思えない声。
それはどう聞こうとも少女のもの。
僕の頭がおかしくなったのか、それとも耳が狂ったのか。
だが続いて聞こえてくる声も違和感がある。
野太く、低く、見た目通りの厳つい声。
「むしろこっちが聞きたいくらいです……。あなた、アーさんですか?」
声なく頷く。
壊れた人形のように何度も頷いた。
だって……本当なんだから、ハイとしか言いようがない。
「な、何でだろうな……リアルだ、すっごい……。はは、ははははっはは……」
「そうですね、本当に……私の毛もぼうぼうで……はははは、はははははは……」
頭が真っ白だ。
意味もなく互いに笑いあった。
だってもう笑うしかないよ、こんな状況。