第一章七 役に立たないはずのもの
「食べる価値もない輩ですね」
リッタはそう吐き捨て、男へと近づいていく。普段の雰囲気など欠片もない。ただその姿から感じ取れるのは、怒りのみ。
男はソウジからゆっくり視線を外し、より危険度が高いであろうリッタに視線を向けた。何のつもりか、相好を崩ししゃべり始める。
「参ったなあ、トロルの血を引いた相手に勝てるとは思ってなかったから寝込みを襲うつもりだったのに。一回きりの機を逃し」「よく動く口ですね」
ほんのわずかな間に、拳を構えたリッタが男の懐に潜り込んでいる。近すぎてナイフも振り下ろせない間合い。彼女がそのまま拳を振り抜くと、男は壁を突き抜け庭へと吹き飛んでいく。てっきり男の体が潰れるスプラッタなシーンが展開されるかと思いきや、男の体はリッタの拳を受けても潰れるようなことはない。
そのことを彼女も不思議に思ったのか、自分の拳を見つめて眉をひそめる。しかしそれも一瞬のことで、ソウジに駆け寄ってきた。
「どう見ても……大丈夫じゃなさそうですね? ほぼ死人の香りしかしなくなってますよ」
「疑問系じゃなくて素直に心配してくれると嬉しかったかな! ……俺にも自分の体がどうなってるのかわからない」
ソウジは自らの体を見下ろす。右太もも、多分大丈夫。腹部、おそらく致命傷。しかし血は、服についているのと廊下の絨毯に吸われた以外、今ソウジの体からは一滴も流れていない。痛みも感じず、こうして立っていられるのは明らかにおかしい。
そして……先ほどから、嫌に体の感覚が鋭敏だ。月光が届いていない廊下の隅まで見えるし、普段なら聞こえないリッタの息遣いまで聞こえる。なにより、ナイフを投擲したとき普段のソウジが投げられる力ではなかった。
火事場の馬鹿力、なのか? 二度も全力を超えて使った右肩はもううまく上がらない。
「ソウジさん、もうしばらく耐えられますか?」
「多分大丈夫。よくわからんけどいけそう」
「治療はしばし待ってください。先にアレを締め上げてきます」
そう言うと、リッタはぽっかり壁にあいた穴から飛び出していく。
後について出ると、彼女が気を失ってる男の首元を掴んでつり上げていた。
「……っ」
「やっと起きましたか、いいご身分ですねぇ。とりあえず誰を狙ってやってきたのかを話したもらった後は、頭蓋骨砕かれるのとガーヴトースのエサ、どちらがいいですか?」
男はこの状況に及んでもまだへらへらと笑う。
「どちらも勘弁して欲しいですね。とりあえず怪我をしたくなかったら、その綺麗なお手を離してくださいませんか?」
「そんなおもちゃが私に通用するとでも――っ!?」
「だから言ったじゃないですか。ああ、なるべく余計な傷はつけたくなかったのに」
男を放り投げ背後に飛びすさったリッタの手には、わずかな切り傷。傷口から血がつうっと伝う。
「トロルの硬質化させた皮膚を裂くとか……なんですか? そのナイフ」
「種明かしをする手品師は多くないでしょう。気分が乗ったら教えてあげますよ。――とてもいい顔も見られたので、ね」
男はソウジの顔を見てにたりと笑みを浮かべ、屋敷の外へと駆けていった。
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男の気配がなくなり、しばし経つ。屋敷の陰からロカが出てきて、あの男は精霊が伝えられる範囲にはいなくなったよ、と言ってきた。
「そんなことがわかるのか?」
「んー、精霊とちょこっと仲いいからね。精霊自体に意思はほぼないけど、なにがあるとかって情報だけは伝えてくれるの」
「ふふ。ロカは誰とでも仲良くなれるもんねー」
もうリッタの方がいい子じゃんかー、やだロカったらそんなこと言って。
「あ、ソウジさんの傷治さないと」
「俺のこの傷ってロカといちゃつくより優先順位低いの?」
割と致命傷っぽいの負ってるんですが。夜風に吹かれ、心なしか傷口が痛むような気がする。ソウジがぶるっと震えると、リッタがガーズ、と呟きソウジの腹に暖かい光の灯った手をかざす。ああ、暖か……
「痛い痛い痛い! なにこれめっちゃ痛い!」
気が抜けると共に、傷口が開き血があふれ出す。痛覚が喜んで仕事をし始め、体が悲鳴を上げた。痛みに耐えられなくなったソウジの体をリッタが慌てて支えてくれる。
いい匂い。リッタってこんないい香りするんだ。痛みのあまり現実逃避。だがそれも続かず、ソウジはあまりの激痛に意識を手放した。
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「知らない天井……じゃないわ、何度か見た」
差し込む朝日に目が覚める。寝起きにくだらないことを言えるし、特に頭が鈍ってるわけでもない。ソウジは体を起こすが、頭がフラッとしもう一度ベッドに倒れ込む。
「夢じゃ、ないよなあ」
新品の服をまくり上げて見るも、腹に傷などない。毛布が掛かったままの右足を曲げ伸ばしするが、特に痛みもなし。
昨日の戦いの残滓は体のどこにも残っていなかったが、頭の中には嫌と言うほどこびり付いている。
焼け付くような痛み。口内の鉄の味。血と共に命が流れ出ていくような感覚。そして何よりも――死が近づいてくる恐怖が、未だにある。
控えめなノックに、思考が遮られた。
「どうぞー」
「ソウジさん!? 目、覚めたんですね……よかった……」
心の底から安堵したようなため息を洩らすリッタに、嬉しさと申し訳なさがソウジの胸にわき起こる。
「うん、おかげさまで。治してくれてありがとう、リッタ」
「治療したのはロカです。傷があんなに深いと思わなくて、私じゃ治せませんでした」
「ロカが? そんなに治癒法術得意なのか」
「彼女は精霊との親和性が高いので。そこらの法術使いとは比べものにならないですよ」
へえ、と呟く。ロカの奴、そんなに凄いのか。普段の適当な彼女を見てると想像もつかないが、ソウジは内心で彼女の評価を改める。
聞きたいことが、と言いつつ身を起こそうとすると、再度のめまい。ソウジの体を、リッタが優しくベッドへと横たえた。
「無理しない方がいいですよ。傷は塞がったとはいえ結構血流したんですから」
彼女は目線でそのまま聞きたいことを話してください、と促す。
「あれからどのくらい経った? あの男はどうなった? ……俺の体は、何が起きてたんだ?」
矢継ぎ早にいくつも質問を投げかけるソウジに、リッタは一つずつ答えてくれる。
「二日とちょっとです。あの男はあれから一度も現れません。ロカが精霊を使って見張ってくれているので、誰か来たらすぐわかるようになってますのでご安心を。あのときソウジさんの体に何が起こっていたかと言われると……恐らく、魔術ではないかと」
魔術。リッタから聞いた話を思い出す。確か、
「法術は精霊の力を借りて起こすもの。魔術は……死にかけると使えるんだっけ?」
「正確に言うと、死に元から近いものが死を迎えかけると、時々目覚めることがある、です」
私もそんなに詳しいわけじゃないのですが、と彼女は前置きする。
「私やロカをはじめ、鬼族やエルフは寿命が長いんです。平均すれば三百前後、長ければ四百年近く生きる者もいます。巨人族も体の頑丈さ故か似たようなものですし、獣人族なども百年ちょっとは生きます。それに対して人間族の平均は、五十年前後です」
まじか、結構早死になのなここの世界の人間族。でも元の世界でも昔の人は衛生面や栄養面からそのくらいだったと言うし、大して変わらないか、ん? でも、とソウジは疑問を投げかける。
「法術で病気とか治すことは出来ないのか?」
「大陸中で試みられていますが、未だ成功したことはありません。傷ついたのを治してくれるのに力を貸してくれる精霊はいるのですが、どういうわけか病を治してくれる精霊は見つかってないんです」
そんなもんなのか。治癒法術が病気を治せれば本当に万能なんだが。そうすれば人間族ももっと長生き出来る人多いんじゃないか?
考え込むソウジに、リッタは話を戻しますね、と言う。
「その特性からか魔術は人間族に目覚める者が集中してるんですが、なにぶん使えた人がとても少ないんです。それも病気の子どもや老人が目覚め、病気が治ったのにその後亡くなってしまったことから、『病気を治せるが魔に魅入られ命を削る』という意味がないものとして見なされてきたんです」
だからソウジさんの体に起こっていたことはよくわからず、魔術というのもただの憶測にすぎません。ただ、魔術が命を削るものだとしたらおかしいんです、と彼女は続ける。
「もしも魔術であったら、死に近づくはずのソウジさんから死臭が濃くなってないとおかしいんです。なのにソウジさんから漂ってくる臭いは前と全く変わりません」
私の鼻は確かです、と言うリッタを横目に見ながら、ソウジは思いを巡らす。自分の体から漂うという死臭。それはグールの血を引き死に敏感な彼女にしかわからない臭いだという。
さらに魔術。もしもソウジが魔術に目覚めたとしたら、命を削っているはずだと。なのにソウジの死臭は濃くなってないという。そもそも命を削るとはどういうことだ? 傷が一時的に塞がったり、感覚が鋭敏になっていたのは?
必死に考えていると――
「……いっつ」
頭痛。
あまり考え込まないでください、今度ロカも交えて一緒に考えてみましょうとリッタが声をかけてくれた。彼女が立ち上がる。
「病み上がりに長々とすみませんでした。もうすぐお昼ですが……ご飯、食べられそうですか?」
「今は、いいかな。ちょっと休みたい」
「わかりました。でも、食べないと弱っていっちゃうのでなるべく食べてくださいね。晩ご飯の時また聞きに来ます」
そういって部屋から出て行くリッタ。その背中にありがとう、ロカにもお礼言っておきたいんだけど、伝える。彼女見張りで手一杯で来られなさそうなので、伝えておきますねと言ってくれる。
彼女は部屋から出る間際、ソウジを心配げにちらりと見る。大丈夫という意味を込めてサムズアップ。わかってくれたのか、ふふっと微笑みまた来ますね、と手を振る。かわいい。
リッタが去った後、体が睡眠を欲していたのか睡魔に襲われる。それに逆らうことなく、ソウジは再びまどろみへと身をゆだねた。
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夕方。日が落ちゆくのをベッド上から眺めながら、ソウジは自分なりの推論を出していた。分からないことも多い。だが、あの男が一度で引き下がるような気配はなかった。もう一度襲われたら、彼女らはともかく自分はどうしようもないだろう。魔術に期待するにしても、首でも落とされ即死したら無理だろう。
となると――
「確かここだな……」
机の引き出しを開け、目当ての物を取り出す。それをポケットにしまい込むと、リッタが呼びに来てくれるまでせっかくだから待ってるか、と思いベッドに再び横になる。
時間が過ぎてゆく。日が完全に落ち、部屋の中は暗くなっていた。うつらうつら。ああ、気持ちいい。このまま気のゆくまで惰眠をむさぼろうと考えていると、ノックもなしにリッタが扉を開け放ち近寄ってくる。
「ソウジさん!」
「俺が男の子の時間過ごしてたらどうするつもりだったの――とかいう冗談言ってる場合じゃなさそうだな」
ええ、と彼女が頷く。その瞳は緊張に彩られている。
「奴が来たとロカが呼んでます。私たちの近くが一番安全なので、来てもらえますか」
「惰眠にうつつを抜かすのもいいけど、美少女たちのお呼びの方が優先だな」
震えそうになる声を無理に押さえ込み、ソウジは冗談と共に己の恐怖を吹き飛ばそうと笑みを作る。
とっくに塞がったはずの腹部の傷が、ずきりと痛んだような気がした。