第一章四 美少女はちょっと力持ち
悠然と姿を見せたガーヴトース。獲物は男と女の子が一人ずつ。ソウジたちを睨め付けながら少しずつ距離を詰めてくる。
「リッタ……法術とかであいつ追っ払える?」
「無理でしょうね。私火の精霊としか相性よくありませんし、出せてせいぜい一瞬です。この森にはあまり火の精霊多くないですし、五十数える時間くれるならここら一帯の精霊集められますけど。アレ引きつけられそうですか?」
「五でも無理」
五秒もあれば物言わぬ肉塊になってる自信がある。
みっともなく声も体も震えているソウジとは対照的に、リッタはおびえた様子もなく普通にガーヴトースを観察している。もしかして。
「あいつ、なんとかできるの?」
「ええまあ、普通に追っ払えると思います」
軽い口調で軽く請け負うリッタ。
女の子にあんなのを任せるのも、とソウジは思いつつも自分ではどうしようもないので、自信ありげなリッタに任せるしかない。
リッタが数歩前に出て、ガーヴトースに声をかける。
「私たちも争いたいわけじゃないので、ここは平和的」
「ヴァァァアアウ!!」
リッタが言葉を言い終わる前に、巨大な口を開けて飛びかかってくる。
ああやっぱだめだ。言葉なんて通じるはずもない。リッタを牙の届かないところへ突き飛ばそうとしても間に合わない。死ぬならせめて一発でもぶん殴ってやろうと無理無理恐怖で足が動かない。
そうして結局一歩も動けないソウジが目にしたのは。
「もう、鬼の話は最後まで聞かなきゃいけませんよ」
いとも簡単そうに魔獣の上顎と下顎をつかみ取り、あっさりと受け止めたリッタの姿だった。
え、と信じられない光景にソウジは言葉を失う。線の細い少女が、大して力を入れてる様子もなく、大の大人だって無理であろうことをやっているのだ。
「グルッ……ガ……ゴァァアア!!!」
魔獣は暴れるが、リッタの両腕はぴくりともせず、魔獣を押さえ込んでいる。これ以上力比べは不利だと悟ったのか、魔獣は鋭い爪を持った前足を振る。さすがにいくら力があると言ってもあんなので引き裂かれたら――
「えいっ」
かわいらしいかけ声と共にあり得ない光景が展開される。
リッタは魔獣の上下の顎を掴んだまま、肩越しに両手を高々と振り上げ、魔獣の巨体を手頃な金槌でも扱うように持ち上げた。緊張の為かピンと張った魔獣の尾っぽが、ソウジの前まで下がってくる。
――ええ、どんだけ振りかぶってるの。
「そりゃー」
気の抜けるかけ声と共に、巨体が宙を舞う。そして細めの木にぶつかり止まると思いきや、その木がへし折れ後ろの大木に当たってようやく止まる。折れた木が地面に叩きつけられ、その地点から離れているソウジの足下にまで、風で巻き上げられた葉っぱや小石が転がってくる。馬鹿力ってレベルじゃねえぞ。
しかしあまりに現実離れした光景に、喉は引きつるばかりで動かない。
「グル……ゴッ……」
それだけの衝撃を受けたにもかかわらず、魔獣はその巨体をよろよろと起こす。
いや、君もどんだけ丈夫なんですか。
しかし魔獣はもう近づきもせず、後ずさりしていく。
「手荒なまねしてごめんなさいね。でもあんまり聞き分けないと……食べちゃいますよ?」
リッタが一歩足を踏み出すと共に、魔獣は鳴き声も上げず文字通り尻尾を巻いて逃げていった。
「縄張りに入っちゃったのこっちなので、ちょっと悪いことしちゃいましたかねぇ」
のんびりと言いつつ、リッタが何ら変わらぬ歩調で近づいてくる。あ、ちょっと涎が……これ臭いですね。髪の一房を手に取り鼻に近づけ、その臭いに端正な顔をしかめる。
「言い忘れてましたけど、私、ちょっとだけ力持ちなんです」
ほらほらー、と力こぶの一つもない細腕を曲げながらアピールをしてくる。
「……ちょっとって、そんな可愛らしい表現じゃ無理あるだろ」
やっと絞り出せた声は、ソウジの顔と同じくかなり引きつった声だった。
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「到着です。タリル村へようこそ、何もない村ですが歓迎しますよ!」
「おお……」
日没。タリル村へ着いたソウジたちを迎えたのは思ったより活気のある村だった。
先の方に見える光は露店だろうか。声が飛び交い、楽しげに語り合う声や子どもを探す母親の声なども聞こえる。ゲラゲラと笑う上機嫌そうな大きい声も。この雰囲気は、元の世界でも感じたことがある。
「祭り?」
「そうですよ、豊穣感謝祭です。季節が変わるたび、食べ物をありがとうってことを大地や家畜、神様に感謝して各地でお祝いするんです」
この世界にも四季はあるのか、と考えるソウジの横を豚面の男が歩いて行く。
「……え、オーク?」
「そりゃいますよ、彼ら鬼種ですし」
村の中央に進んでいくと、人の数が多くなるにつれてオーク、それにゴブリンと思わしき鬼や、明らかに病弱そうな顔色の悪い人もいる。あれ吸血鬼かな。
というよりも、圧倒的に人間に近い姿をしてる人の数が少ない。大部分がゴブリンやオーク、それに類似する姿のものたちだ。
「ここって、もしかして人間誰もいない?」
「鬼の国の、しかも辺境ですからね。繁殖力の弱いトロルとグールも私以外いませんし、ソウジさんみたいな人間族は誰もいませんよ」
まあゲームとかみたいに敵じゃないならいいや、とソウジは思う。ゴブリンやオークばかりに囲まれてるのも変な感じだが。
「リールッタさん、うちの串焼きうまいの知ってるよね! 食ってってよ!」
「リールッタさんに似合う首飾りあるから見てって!」
この村に来て初めてわかったリッタの人気っぷり。そりゃまあ食われる心配なけりゃただの気のいい美少女だし当たり前か。キャッチをうまく断るリッタから、ソウジは声をかけられないよう少し距離を離して歩く。
しばらく歩き、祭りの喧騒から離れた村の端。ちゃっかりただでジュースのようなものをもらっていたリッタと、祭りのために用意されたであろうに誰も座っていないベンチへとソウジは腰掛ける。
「俺のこの格好、みんな見慣れてないはずなんだけど誰も聞いてこなかったな」
「豊穣感謝祭の時は仮装とかする鬼いますからね。仮装だと思われたんじゃないですか?」
なるほど。しかし割とぼろぼろのこんな制服着てるのおかしいと思わなかったんだろうか。これがお似合いってか。はは。ちょっと悲しい気分になったソウジに、リッタがジュースのようなものを渡してくれる。
「どうぞ。喉渇いてますよね? パルーのジュースですが、嫌いではないですか?」
いやそもそもパルーとやらがわかりません。だがリッタの好意をむげにはできず、ソウジは受け取った琥珀色のジュースを口に流し込む。これは……リンゴジュース?
「……うまいな」
「ですよね! 私もパルー大好きなんです!」
パルーはリンゴ、とソウジは記憶に刻みつける。しかしこの子食べ物のこととなるとほんと嬉しそうだなあ、このジュースもすごいおいしそうに飲んでるし。
とはいえソウジもかなり喉が渇いていたので一気飲み。あー、染み渡る。
二人とも飲み終わり、手に持ったコップを弄りながら、リッタが聞いてくる。ソウジが考えまいとしていたことを。
「ソウジさん、今夜はどうするんですか? 服乾かしてるとき気づきましたけどお金持ってないですよね? それにこの村、宿とかないですよ?」
「嘘でしょ、宿代を皿洗いでの返却予定がそもそも選択肢にすらなかったと!?」
ソウジはこの村に来たとき考えていた厚かましい予定が消え、どうしようと思い悩む。
「野宿は……」
「秋も近づくこの時期に?」
「ですよねー」
寒風が吹きすさび、ソウジの体がぶるっと震える。ならばしょうがない。多分馬小屋とか豚小屋とか貸してくれる鬼もいるだろう。渡る世間鬼ばかりだけどここの鬼たち気良さそうだし。
「なんか家畜飼ってる鬼に心当たりない? 皿洗いとかで宿代勘弁してくれそうな優しい鬼がいれば」
ソウジの問いかけをスルーしたリッタは、んー、と何か考えてる様子。うん、と納得したように頷く。
「うち来ます?」
「……まじですか?」
お父さん、今日この人泊めて欲しいの。なに? こんなどこの馬の骨とも知らん奴を? 娘に近づくな。まあまああなた、体のお肉いただければいいじゃない。
ソウジの想像力がここぞとばかりに膨れあがる。
「俺、親御さんに紹介できない怪しい奴でして……」
「あ、うち親いないので安心してもらっていいですよ」
なに? 親もいない家へ招くと? 健全な少年を?
悲しいことに経験のないソウジには今回の想像は膨れようがない。
「私、ソウジさんのこともいろいろ聞きたいですし、人を見る目はあるので見た目ほど怪しい人ではないってわかるので」
断る理由などあるだろうか。いや、ない。
「……えっと、じゃあお願いします」
コップ返してきたら案内しますねーとリッタは露店に走って行く。
その後ろ姿を眺めながら、ソウジは美少女と一つ屋根というシチュエーションに、喜びよりも先に緊張が勝る。大丈夫だろうか、間違い起こさないだろうか。あ、起こしそうになってもリッタにいろいろへし折られるだけか。
興奮は一瞬で霧散した。