第一章二 異世界転生したらしいです
パチッ、パチパチパチ。火のはぜる音が聞こえる。ああ、暖かい。さっきの川下りで冷えた体が熱を欲している。夢見心地のままソウジはもっと熱に近づくために、手を熱源の方に寄せ――
「熱っちい!」
「なにやってるんですかお兄さん!」
指先に感じた熱さで目が覚める。ソウジは焚き火に突っ込みかけていた手を慌てて引っ込めると、手をパタパタと振って冷ます。馬鹿か俺は、と自分に呆れる。そして先ほど声がした方に顔を向けると、深い紅の瞳を持った少女がいた。
「――」
思わず息を飲んだ。特徴的な瞳に目を奪われたが、それ以外を見ても非常に美しい少女だったからだ。肌は白く透き通っており、端正な顔立ちを引き立てている。銀色と言うにはややくすんでいる灰色の長い髪は、焚き火を照り返し薄く赤色に染まっていた。宝石のようなその紅い瞳は少しいたずらげにつり上がっていて、作り物かと思いそうな容貌を可愛らしくしている。
思わず見惚れていると、少女が問いかけてきた。
「どうかしました?」
首をかしげる姿もこれまた似合っている。
「あ、いや……」
「かわいさに見とれてました?」
「自分で言うんかい」
思わず突っ込むと、少女はクスクスと笑った。そのおかげでソウジは少し肩の力が抜け、苦笑いを浮かべることができた。
「ありがとう……でいいのかな? 俺を川から上げてくれたの君だよね?」
「そうですよ。こんな森での怪我人の救助なんて、どこかに依頼したら八千ラピスは下りません。是非とも感謝し今後返してくださるとうれしいです」
えっへん、と偉そうに胸を張る少女。なにこの子かわいい。
それはそうとして、ラピス? とソウジの頭に疑問がよぎる。話の流れ的にお金の単位だよな? ここ何国? というかこの子は何人?
いったん疑問がふくれあがると、次から次へとソウジの頭に疑問が浮かんで止まらない。この少女は変な虎のような獣に見覚えはあったりするのか? 崖から落ちて体に怪我、どころか死んでもおかしくなかったのになんで体に傷がないんだ? 上半身裸だけど君が脱がしてくれたのか? いや最後のは少しどうでもいい。いろいろと聞きたい気持ちをこらえて疑問をこねくり回した後、ソウジは一番知りたかった質問をぶつける。
「悪い、俺、どこから来たのかよく覚えてなくて……ここはなんていう国?」
自分が来たところ覚えてないなんて変な人ですねえ、と少女は呟いた後こちらの質問に答えてくれた。
「レグオですよ」
レグオ? そんな国は聞いたこともない。いや世界は広いし俺何十カ国かしか知らないし、とソウジは自らを納得させ次に気になっていた質問をする。
「このレグオ? って国では……その、なんだ、変なサーベルタイガーみたいな獣が普通にいるの?」
さーべるたいがー? と少女が不思議そうに尋ねてきたので牙が長い奴、というジェスチャーをする。
ああ、と少女は納得した声を上げる。
「ガーヴトースのことですか。人里離れたところにならいますよ。普段はそんなに凶暴ではないですが、縄張りの中に入ると追っ払うために襲ってきます。特に子どもがいるときの母ガーヴは危険ですね」
ああ、あの小さい猫みたいなのあいつの子どもだったのか。子ども守るためなら必死だわな。というかあんなにかわいかったあいつも、大人になるとああなるのか。諸行無常。
死にかけた原因の正体も判明する。そして、段々とこの場所がどこかわかり始めていたが、それでも確信には至らず――というよりも信じられず、次の質問。
「俺の体、結構傷あったと思うんだけど、どうやって治してくれたの?」
「もちろん、治癒法術ですよ」
……ほうじゅつ。術?。
「……それって、なんか怪しい術だったりするの?」
「怪しくなんかありませんよ。法術を知らないって、お兄さん頭打っちゃって記憶喪失になっちゃいました?」
本の中でならお約束ですね……ここから始まる恋物語? なんかこのお兄さんすごく食欲そそられる匂いしますしいいかも。
え、この子ちょっと怖いこと言い始めた。なに食欲そそられる匂いって。
「まあ、頭ならさっきいやと言うほどぶつけたけど」
確かに、さっきすごい勢いで崖から転がり落ちてましたもんね。と少女は自分がぶつけたわけでもないのに頭を痛そうにさする。かわいい。じゃなくて。
「法術? ってのが何なのかを教えてくれないか?」
「はい。まず、法術は……」
説明するより見せた方が早そうですね、と少女はソウジから少し離れた位置に立ち、右手を空にかざした。
「ガーズ、アレイフ!」
少女が声を上げると共に、手から炎が吹き上がった。うおっ、とソウジは驚きに声を上げる。炎はすぐに消えたが、まだ驚いたままのソウジに少女は近づいてくる。
「今のが火法術です。そしてこれが……」
少女はさっき焚き火で火傷した、ソウジの右手に手をかざす。
「ガーズ」
少女のつぶやきと共に、先ほどまでチリチリとした痛みのあった中指から、あっという間に痛みが引いていく。そして少し赤くなっていた部分も、周りの皮膚と同じ色に戻った。
表情が驚いたままで固定されたソウジに、少女はにこりと笑みを浮かべちょっとドヤ顔で言う。
「これが、治癒法術です」
信じられない。というか自分が夢でも見たのかと思っていた方が信じられるが、こんなに死にかける夢は見たくないし嫌だ。
懐疑が確信へと変わる。
およそ地球に存在してるとは思えない獣。
手から炎を吹き出したり、傷を一瞬で治したりする少女。
聞いたことのない国に、知らない通貨の単位。
信じられないが、本当に起こったのだろう。
なんとなく空を見上げ、おそらくこの世界とは異なる空の元にいるであろう家族を思い浮かべる。
拝啓。どうやら俺は異世界転生したらしいです。
でも勇者だとか、チート持ちじゃなさそうです。聖剣とかも持ってないし。
黙り込んだソウジに、弾んだ声で少女は話しかけた。
「あとですね、お兄さん」
「何でしょうか」
「多分お兄さん、もう死んでますよ」
「……はい?」
聞き間違いかとソウジは耳を疑ったが、少女はとてもうれしそうな――まるで大好きなご馳走が目の前にあるかのように、目をきらきらさせて言った。