後編
眩しい真夏の日差しが背を焼く。
こんなに暑いのに、どうして日本の女は別の方法でダイエットをしたがるのか――と疑問を呈したのは汀こるもの先生だったか。
場所は新宿。
せっかくなので、フルーツパーラーにした。俺は、なにげに甘いものが好きだが、ひとりでは行きたくないから。待ち合わせの相手は。
約束の時間の五分前に、姿を見せた。「ひさぶりー! りょーちゃーん!」……俺が目にするのは。
八年ぶりに見ても眩しい、
篠崎ひかりの、胸を焦がすような笑顔、だった。……
「お待たせー。さ、入ろ入ろー!」先日、オーストラリアから日本に一時帰国したばかりと聞くが。思いのほか日本語は流暢だ。あまり日本から長く離れるとちょっと喋り方が変になるとか聞くが……。惑う俺をよそに、ひかりは、さっさと中へと俺を誘った。
* * *
「でー。なんでラブホー?」
積もる話は、山ほどある。
本日、平日。ひかりは、向こうで日本語教師の仕事を始めた。――俺は。『あの日』。
ひかりの部屋に泊まった。『戦う』前に、覚悟が必要、だったから……。
ひかりは、一晩中、俺のことを抱きしめてくれた。ひかりは、俺にとって、無償の愛を授けてくれる、初めての存在だった。あのとき。ああしてくれたから。俺は。
立ち向かう勇気が湧いた……。翌朝、俺は、早速動いた。
学校を休み。母のパソコンからデータをすべてプリントアウトすると、ALL消去。
父に、すべての証拠を見せ。……結果。
離婚。
当然のことながら、俺は、父に引き取られることとなった。
なお、父は、母に『その手の趣味』があったことは、まったく知らなかったそうな。
俺は大学はおろか、高校すら行っていない。休憩も出来る宿泊施設で、清掃員の仕事を始めたのだ。中学だけはなんとか卒業した。
ひかりとは。残り少ない中学生活をべったりつきっきりで過ごし(周囲のニラニラムラムラする視線はガン無視)。
ひかり自身は、高校からオーストラリア留学という、……なかなかに大胆な人生を歩み始めた。
苅田については、聞いたところによると。……あいつ。中学中退後は、悪行からキッパリ手を洗い、清廉潔白な生活を送り。肉体労働に従事するようになったとか。休憩時間には俺やひかりの写真を眺めていると聞いてゾッとした。勝手に売って小銭を稼ぐ連中が居るのはマジ鬱陶しい。ひかりの海外逃亡はその辺にも理由がある。
俺は、苅田の、悪さをしてきた人間に特有の、ぎらついた瞳を思い浮かべてみる。……初恋が、『更生』させたってやつか? 興味ねえが。
恋ねえ。
んなこと考える余裕なんかないくらいに没頭してたさ。
俺は、そんなこんなの八年間に思いを巡らせつつ、ひかりの冒頭の質問に答えた。「『風営法』……て知ってる?」
「うん?」と背の高いパフェをつつくひかりが首を傾げる。「なにそれ?」
「昭和60年に施行された法律。あれのせいで、回転ベッドとか、鏡張りの天井とか、厳しく検閲されて廃止されるようになって……いまや、昭和のラブホは絶滅種なんですよ。そのことを知って、熱心に昭和のラブホを個人的に取材してくれる、ブロガーさんも居るくらいで……」俺もあのひとたちには頭が上がらない。
あのあと。日本各地のラブホで働いた。
結果。
伊藤整の小説に出てきたような、いかにも日本旅館的なラブホを作る……!
のが、俺の、夢。
いまはそのために。必死に働いて貯金をし、スポンサーやコネクションを作り上げているさなかだ。
……ということを説明すると、ひかりは不可思議と言いたげな面持ちで、「でも。りょうちゃん。『ああいうこと』があったのに、性の道に進むって……どうして?」
「『ああいうこと』があったからこそ、なんですよ」母がどうしてるかなんて知らない。短い刑期を終えてきっとどこかで元気にしていることだろう。再犯してねーといいんだが先ず相手が見つからんだろう。「あのねえ。人間は生きている以上こころの交流を重ねる。見も知らぬ誰かに救われる。これ絶対。水とか食事とか、常日頃俺らが接するもんを介してな。俺たちは、愛情を受け取っているんだ。だから……
面と向かって誰かと関わり合うのなら。
『性』の道は、不可避なんですよ……」
「彼氏出来たぁ?」
突然の話題転換にも、俺は動じない。「出来るかよ。『俺』だぜ『俺』」
「だよねー」くすくすとひかりは笑う。学生時代を思い返しているのだろう。「りょうちゃん。宝塚の男役っぽくて。すっごく女子に人気あったもんねえ。だーから。髪、長めにして、横に流して、いかにもー! ……てスタイルにしてみて欲しかったんだけどなあ」
「ひかりはさぁ」甘酸っぱい苺の味に浸る俺。ひかりと過ごした、短かった青春を思い起こす。「夢とか、……あんの?」
互いに文通はしていたが。やはり、手紙だと、話すことが限られるというもの。
面と向かって、こうやって話せる機会は貴重だった。すると「あるねー」とひかり。
「……どこに行ったって。人間は、人間を、差別するの。
誰かが誰よりも価値があるって決めつけて……
選別して。妬んだり、愚行に手を染めたり、痛めつけて……それが連鎖して」
戦争のない社会を、作りたい。
と、まっすぐな目でひかりは夢を語る。「わたしひとりじゃ、なにもできないかもだけど、……でも。ちっちゃなところから」イッツ・ア・スモールワールドだね、とえくぼを作り、「自分の周りからだけでも、世界を、変えていきたい……」
「『俺』もそう思う」
ここでひかりは。「そろそろ『俺』呼称卒業したらぁ?」ちらり。入り口のほうを見やり、「割りとねーりょうちゃんねー。人の目を集めやすいんだよねえ。気づいてる? 何人かの男のひとが、ちらっちら、こっちのほう見てるって……」
はー。と俺は長く息を吐く。「めんどくせーな。んとに。『俺』は『俺』だっつーの……」残ったパフェを掻き込むと、「な。それ食ったら別んとこ行かね? カラオケとか行きたいだろ?」
「行きたい!」叫ぶひかり。――俺は。
『俺』が『俺』を殺すのは。……もうすこし先。いや。
一生、起こり得ないのだろう……。
実母に性的虐待をされ。どうして俺がこんな目に。はだかで膝を抱えて泣き続ける俺。あれも『俺』の、大事な一部だかんなあ……。
レシートを手に席を立つ。絡みつく視線は――無視。分かってんのかひかり?
おまえ、見目形がいいから、目立つんだぜ? ……たく。
向こうで変な男に捕まってないか、友達としては、すっごく心配。避妊、ちゃんと、してんのかあ? ……様々な疑問を乗せ。
俺たちは店を出る。むんとした雑踏が出迎える。いつ来ても新宿は人が多い。――と。ビルとビルの隙間に広がる青空。なあひかり、と俺は振り返る。
「なぁに」
手をかざし、ひこうき雲を眺めやるひかりを見て俺は笑った。――離れていても。
「俺たち、繋がっているんだぜ」
―完―