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中編



 体育館に向かう足が、震えた。



 みんなはキャンプファイヤーのほうに気を取られており。ひと気が少ない――というのが、俺の嫌な予感を、倍加させる。


 近づき、重く閉ざされた扉を開く。――前に、靴を確かめる。女物のローファーに馬鹿でかくて小汚い運動靴。一対一か。


 薄暗い室内に、差し込む一条のひかり。それが左右に段々広がっていき――


 そこで俺が見たのは。



 体育館の真ん中で。



 セーラー服をまくりあげられ。


 素肌を吸われる――


 篠崎ひかりの姿だった。



「離れろ!」俺の声は怒気に満ちていた。「離れないと――




 殺すぞ!」



 ……


 第三者の登場にも、怯まない。やつは、ゆったりとした調子でからだを起こした。遠目に見ても、格闘家みたいな体格なのが不気味だ。苅田という男。


 俺的には喧嘩を売っちゃあいけない男ナンバーワン。


 黒い噂を聞く。ヤのつくひとびとと繋がりがある。体育館裏で乱チキパーティーを行って先生に呼び出された――……。


 やつが俺に接近する一方で。


 視界に、泣きそうな顔をして、まくりあげられたセーラー服をお腹に引っ張りおろす、篠崎ひかりの姿が映り込む。いますぐにでも声をかけて慰めてやりたいのだが――それは、次の段階。


 ひとまず、こいつを、どうにかせねば――


 俺たちに明日は、無い。


 俺と、苅田の視線が交錯する。『何しに来やがった』というような、戸惑いも怒りも感じられず。ただ、現状を把握しようと思考を走らせているのが分かる。見た目よりも冷静な野郎だ。女を蹂躙する最中を邪魔されたことへの怒りなど微塵も感じられない。灰色の瞳。なにが起きても対処できる男。……手ぶらか。腕っぷしの強さで勝ち続けたタイプだな、ありゃ。


 ――俺?


 チキチキチキ、と、俺は後ろポケットから取り出したカッターナイフの刃を、徐々にスライドさせ、やつに見せつける。覚えておくことその一。


 希死念慮の強い人間は、必ずこの手の代物を持ち歩いているのだ。


 ぎらり。薄闇に光る殺意――。


 見せつけられても動じない、苅田の姿が不気味だった。


 それでもよぉ。


 俺がうああ! って絶叫しながら苅田に突っ込めば、傷を負わせることは可能。――さあ。


 どうする? 俺よ。……


 俺は、性的暴行をしやがる人間を抹殺したいという欲求に起因する震えを押し込め、笑いに口許を歪めた。「――なあ苅田。どこから刺されたい? 首か? 腹か?」


「そうだな」この手の体格の男特有の野太い声を出すと、こき、と男は首を鳴らし、「――全部」


 ――やばい!


 と、思ったときには、だぁん! と激しい音を立てて、俺は後ろ向きに叩きつけられていた。間合いが、取れない。経験値が、違う……。


 ぐわんぐわん脳みそがシェイクしている。


 思考が、……まともに働かない。……指先一本、動かすことも、ままならず。……


 見上げた天井が、おそろしく、遠い。霞がかって見える……。


「さぁーて。次は、おまえか。どこから食べてやろうか……?」


 そんな俺の耳に響く、捕食者の声音。


 ――おいおいおい。


 まじかよこの展開。ヒロインを救いに来たやつがここでヤられるって展開か? んなの、誰も望んじゃいねーよ。しかしながら。


 極太の腕に固定され。俺のからだは、びくともしない。――万事休す。カッターを持っているほうの手も、揺らすことも出来ないと来た。……笑える。いや、笑えない。俺は結局――



 弄ばれるためだけに、生まれてきた。


 か弱く、無力な、存在――。



 ぎゅうっと目をつぶったそのとき。



 ごん。



 と、なにか、鈍い音がした。――れ? 俺は声を発す。


 獲物をいたぶる目で、俺を覗き込んでいた男が……床に、突っ伏していた。見れば。


 体育館のどこからか消火器を持ってきた、篠崎ひかりが、それを使って苅田の後頭部を殴った……それだけは、理解できた。


 * * *


 騒ぎにしたくない――


 という、本人の意向もあって。


 警察沙汰には、ならなかった。が。


 病院送りとなった苅田には、なんらかの処分が下される。退学やむなし、といったところだ。なんせ婦女暴行未遂だ。アレをちょんぎられてもいいくらいだ。――俺は。


 職員室でひと通りの説明を終えた篠崎ひかりを待っていた。


 出てきた彼女は俺に気づくと、気丈にも笑った。「ありがとう。りょうちゃん……」


「怪我がなくて良かったよ」と、俺は、彼女の艶やかな髪を撫でた。「それに。礼を言うのは、俺のほうだろどう考えても。助けに来たはずが、助けられてさ……」


 俺は、既に整えられた彼女の着衣に目を向けた。「大丈夫なのか? その……」


 ――『あんなこと』をされて。


 俺は、彼女が苅田にされたすべてのことを見たわけではない。だが、……想像はついた。


 俺のほうが、それ以上のことをされている。けども。


 程度の問題なんかじゃない。


 あくまで本人の、こころの、……問題なのだ。


「送るよ」俯いて言葉を返せずに居るひかりを、俺は促した。「うち、……どこだっけ? 田村町のほうだっけか?」


 いつもいつも明るい笑顔を保っていたひかりが。


 ここに来て、初めて、涙を、こぼした。


「――うん。お願い……」


 * * *


 どう見ても社宅でーす。


 ……て感じの建物の一角に入り、すいすい中へと通された。


 おやっさんもおふくろさんも、在宅。俺は頭を下げ、……ひかりの部屋へと入った。「お邪魔します」


 ……整理されている。


 俺の部屋とは、大違いだ。六畳と見た。コンパクトに、あらゆる物が仕分けされ収納されている。


「……座って?」――あ。


 うちでご飯食べてく? とひかり。「おうちに電話とかする?」


 気遣わしげなひかりの顔が、やけに、俺の目に輝いて見えた。――彼女は。


 守られている……。


『被害』を受けた直後だというのに、よくも知らぬクラスメイトの胸中を思いやれる性質。それは、おそらく。


 篠崎ひかりが、心身ともに健康的に成長する過程において。家族や仲間との交流を通して大切に育んできたものなのだろう。


 俺には、それが、……


「したく、……ない……電話なんか」俺の声は震えた。足を踏み入れただけで分かる。インポータンスオブビーイングアイドル。


 これぞ、家庭のあるべき姿。


 あたたかく守られた空間……。


「……ちょ」立ちすくんだまま涙を流す俺を見てひかりが驚きの声をあげた。「どしたの? りょうちゃん? 大丈夫?」


 ――帰りたく、ない。


 あの家になんか。あの家に、なんか……!


 そこは、魔窟だ。


 マイホームなんかじゃ、ない。この社宅は。


 うちよりもずっと狭いけれども。愛に夢に、満ち溢れている……!


「……ぐ。ひぐっ……」情けないことに泣きじゃくりをあげる有り様だ。俺は、ろくすっぱ説明もできねえ。「……ひかり。俺は。俺は……」



「――ひとりで悩まないで」



 人生という迷路で立ち尽くし。


 言葉を失った俺に――ひかりは。


 手を差し伸べた。


 あたたかなぬくもりに満たされ。ひかりの祈りがやさしさが、凍てついた俺の氷を溶かし出していく――。


「……ひかり」


 俺の背中をなでこなでこしてくれる手の動きを感じながら俺は、あることを口にする。――俺な。



「『決めた』」



 そのとき、俺の脳裏に蘇ったのは。


 暴行未遂をされたにも関わらず、俺を救うため、消火器を振りかざしたひかりの勇ましい姿、だった。――俺。



「戦う」



 *


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