海の王者(リムと魔獣。修正/2 .00)
(過去。リムが水帝になって少しぐらい。)
スライムが四天王にまで登り詰めた噂は魔物達の世界では有名だった。
最弱の種族であり、それも人間界生まれのスライムが魔軍の一団を統べる立場になると誰が予想できただろう。
まぐれだと非難する者もいるし、大魔王に媚びたのではと中傷する者もいる。
しかし、そのスライム――水帝リムの実力を裏付ける激闘が起きる。
リムは自身への悪口など気にしていない。
ただ、リムを四天王として昇進させた大魔王のため尽くす気だ。
前水帝が企んだ謀叛のこともあり、軍内部にいまだ不穏な動きがある。
まず、軍を統制せねば。
再編成や移籍も行った。
リム率いる水軍は水に関わる魔物や弱小種族、訳ありの人間が大部分を占める。
数は揃ってきたものの、実力はまだまだ。
そこで、大海を支配する魔獣を傘下につけようと計画する。
魔獣たる老クラーケン。
魔界の海を数万年間統治しているという幻想の海の王者だ。
四天王に匹敵するとも、海中なら勝るとも謳われている。
魔界の海に住む魔物は彼の配下であり、大規模な軍勢だ。
そのクラーケンさえ従えることができれば、海の覇権を握るも同じ。
魔王時代のみならず大魔王時代になっても、海は自治領だった。
そこを制圧する。
スライムごときが、と嘲笑うものもいたがリムは迷わない。
魔獣の待つ大海を訪れる。
魔王城から遠く離れた、幻想の海。
太古から生息する海の魔物達は他の海の魔物と比べるまでもなく強い。
それぞれが、陸の魔獣ほどの強さを持つ。
これらを統べる王者は、どれほどの強さだろう。
しかし。
そこに大きなスライムが現れる。
スライム姿で海に飛び込むのは、リムだ。
普段は悩みの種でしかない本来の姿を惜しげなく晒し、戦う。
スライム族のほとんどは、海中でも行動できる。
それどころかいたるところに武器や回復薬があるようなものだ。
海恐竜の叩きつけも、鬼鰻の締め付けも、角海豚の突き刺しも効かない。
柔らかなスライムだからこそ、ここの魔物達と戦える。
一番苦戦した魔物は、電撃鮫だろうか。
雷属性に弱いリムはなんとか逃げ切り、電撃鮫と他の魔物を感電させる罠にはめた。
そうして魔物達を蹴散らし、海を荒らしてクラーケンを呼び出す算段だ。
単純極まりないが、魔物の世界では通用する策だ。
さすがに海の主には通じないよなぁ、と違う手段を考え直す。
その時に、海水を震わせるような声がした。
「――儂の住処を荒らすのは誰ぞ!」
全てを平伏させるような重みと威厳に満ちた問い。
覇気ともいうべき気配は、海の長に相応しい。
どこから聞こえたのか。
上だ。
果てしなく巨大な岩山に見えたが、魔獣クラーケンのようである。
渓谷のようなそれは、太く長い触手だった。
恐ろしいまでの巨体だ。
その巨体ゆえに、海から出てこないのではなく、出られないのだろう。
強さのみならず、大きさも魔獣に分類される理由となる。
「答えよ!」
「スライムだ!」
クラーケンが、大木のような触手を振り回す。
打撃は怖くない。
辺りの岩、それどころか全てを一瞬で粉々に破壊する威力は、本来なら脅威だ。
ただ、物理攻撃の効かないスライムには無効なだけだ。
ただ。
何か付与効果があるかもしれないから、かわす。
範囲や手数が異常なため、通常ならば一撃で絶命するだろう。
実際、配下のはずの半魚人や刃海月がいくらか巻き添えをくらって死んでいた。
「スライムがこの海に入れるわけなかろう。儂の兵が、スライムを通すはずがないわ!」
通常のスライムならば高濃度の魔力が含まれた海水に耐えられず、核が砕ける。
数百年の時をかけて、強くなることに専念したリムだから無事なだけだ。
不自然なスライムに警戒心を抱いたようで、怒りのまま暴れさせていた触手を止める。
これにはリムも慎重に行動する。
相手は歴戦の海王だ、どういう戦法でくるかわからない。
海水を吸収して体積を増やしつつ、神聖魔法で防御壁を展開する。
仕留めてきた勇者達から奪った技は、魔界では重宝する。
暗黒の使徒たる風軍の連中とも戦えるようになったのは、この神聖魔法があってこそ。
クラーケンから黒い何かが溢れだす。
烏賊墨だが、成分を解析してみれば暗黒魔法による猛毒と石化の効果が付いている。
やはり、力押しだけではない。
海を暗く濁す墨は大量だ。
「……化け物かよ」
スライムでなければ毒の餌食になっていた。
神聖魔法がなければ、石化している可能性すらあった。
石化しても死にはしないが、海中で動けなることは危険だ。
リムはこれほどの暗黒魔法の使い手を、大魔王やブラド、三魔将ぐらいしか知らない。
魔力を吸収できる種族でなければ、神聖魔法が途絶えた瞬間に石像になっていただろう。
スライム姿で石像は嫌だなぁ、という小さなこだわりもある。
墨も無駄と断じたクラーケンが、別の攻めに転じる。
その場で巨躯に似合わぬ素早さで回転し始める。
何千本もの巨大な触手が、特大の渦を作る。
近辺を根こそぎ吸い込むそれは、まさにブラックホールだ。
岩やら魔物やら海草やら、何が何だか判別できぬほどの勢いで渦の中心に吸い込まれ、塵と化していく。
勝ち誇ったように豪快に笑う海の暴君が、渦の中で待ち構えている。
恐らく、この技で人魔問わず敵を海の藻屑にしてきたのだろう。
リム激流に逆らえず、渦に呑まれていく。
墨が消えた際にかけた属性効果半減の魔法によって水によるダメージは防いでいるが、衝撃そのものはどうにもならない。
渦中でぷるぷるとスライムの身体が引きちぎれそうなほど揺れている。
リムも反撃できないが、触手を使えないクラーケンも同じ状況だ。
痺れを切らせば、何か動きがあるはず。
リムは核付近の成分を変化させる。
動きを封じられたまま急所たる核を貫かれれば、きっと致命傷。
防御に全力を尽くす。
それが幸いして、渦が緩んだ時に伸びてきた触手の攻撃に耐えた。
「……汝の核は何ぞ?」
この老クラーケンは、触手の一撃に自身があったはずだ。
船を薙ぎ払い、敵を貫き殺す武器が数千あるため、ここまで攻めに困ったことはない。
「スライムの核にしては面妖よ……」
クラーケンの意表をついたのか、感心したように回転も触手突きも止めた。
核の防御に専念して正解だった。
勇者を抹殺して奪い取ったオリハルコンと、精霊を騙して献上させたヒヒイロカネが役立ったのである。
だが。
満足気にこちらを見下ろすクラーケンから敗北の色は窺えない。
「幾万の時を生きておるが、汝のような者は初めてぞ。幻想の海の王者の本気を受けてみよ!」
長ったらしい口上が耳障りだが、暗黒魔法の動きが気になる。
上部から、魔力が溢れている。
頭らしき頂上が、いや口が開いた。
大いなる渓谷のような口内には、歪な刃のような歯が生えている。
闇のようにどす黒い歯から漏れる魔力は先程の墨と同等かそれ以上。
あれで噛まれたら魔法金属でも損傷するかもしれない。
海水ごと何もかも吸う闇の渓谷。
リムも引き寄せられていく。
何かしなければ、死ぬ。
それでも作戦は浮かばず、鋸のような歯が近づく。
「うおおおっ!」
リムは叫ぶ。
――まだ死ぬわけにはいかない。
身勝手な行動をして大魔王に迷惑をかけるわけにはいかない。
部下達を残して逝くわけにはいかない。
これは、一か八かの賭け。
苦手な雷を海中に召喚する。
勇者から奪った、天の雷。
裁きの雷が海底から、天に向かって伸びていく。
ちょうど、クラーケンの口を通っていく。
賭けは成功したらしく、海の主は焼け焦げて吸い込みを止めている。
しかし、血のように紅い何かがスライムを睨んでいる。
――眼か。
ようやく、眼を見つけた。
リムも魔法の反動と感電のせいで動けずにいたが、 先手を取る。
きっと、心臓には届かない。
弱点があるとしたら、この眼だ。
リムの体積より遥かに大きな眼に寄り、オリハルコンで硬化した腕で貫く。
まだ足りない。
身体全てを刃とし、クラーケンの眼に突き刺さり、抉る。
クラーケンが形容しようもない恐ろしい悲鳴をあげるので、聴覚を遮断して眼を攻め続ける。
クラーケンも動けるようになったのか、触手を振り回してまだ暴れている。
視覚も遮断したくなるような、何かわからない不気味な液体が海に滲む。
毒かもしれないから、抵抗しておく。
両目を破壊した頃、聴覚を戻す。
「……スライムよ。汝の目的は、何ぞや?」
老クラーケンの声は弱々しい。
「儂の命が欲しいなら、眼から潜り、臓物も刺すが良い」
やはり眼が弱点だったようだ。
瞑れた眼から、暗黒色の血を流している。
相変わらず不気味だ。
しかし、降伏しながらも、堂々たる態度は崩れていない。
「だがな。この海に住まう者は助けてやってくれぬか」
さっきお前も味方巻き込んで殺してたろうが、と突っ込みたくなるが、リムは黙って聞いていた。
もしこのクラーケンが自分の命を乞うような軟弱者ならば、リムはそれこそ殺害しただろう。
見苦しく自分だけが生き残ることは、兵を率いる者としては許せない。
自分以外の物が配下を傷つけることは許さぬというある種の傲慢さに溢れた姿勢は、海の王者に相応しい。
「馬鹿野郎。勝者たるボクがお前と仲間達をどうしようが勝手だろ?」
「……その言葉、間違っておらぬわ」
クラーケンが、諦めたように瞑れた瞳を閉じる。
自分が海を支配した時代が、自分の命が終わろうとしているのを感じている。
その時。
瞑れた瞳に温かい魔力を感じた。
甦りつつある片目を開けば、見たことがない人間の少女がいた。
いや、この治癒魔法の性能や海中にいることから人間ではないだろう。
そして、魔力の質は――先程のスライムと同じだ。
「だから、生かしてボクの部下にしたっていいわけだ」
視界に映る少女が、にぃ、と微笑んでいる。
その声も、先程のスライムと同じだ。
「お前とこの幻想の海に住まう者達は、これより大魔王軍の水軍に所属する!」
高らかに宣言する少女に、頷く。
まさか人間の娘に擬態できるとはな、と内心で改めて感心するクラーケン。
「招集があるまで、今まで通りで構わないさ」
「……条件が良すぎるであろうに」
儂が汝を闇討ちしたらどうする、と問いかける。
「その時は今度こそ殺すよ?」
「異論ない。儂は汝に、いや貴女に従おう」
弱肉強食の世を生き抜いた老将はついに降伏した。
誓いをたてるように何千もの触手を掲げる。
海に、大きな波もたつ。
そうすると。
「大魔王アビゲイル様にも誓って」
大魔王の名前を呼ぶ時の穏やかな表情は、死闘を繰り広げたスライムとは思えないほど。
「誓おう。貴女と貴女の主君に忠誠を。貴女の名は?」
自分から名乗るべきだが、このクラーケンは気の遠くなるような年月を海の覇者として過ごしたため人間流の礼儀は知らない。
また、リムもその程度でわざわざ部下を咎めない。
「ボクはリム、だよ。お前は?」
「名はない。気づけば、海の王と呼ばれていた」
「ん~……。クラーク! 決めた、お前はクラークだ!」
名付け、自分のことのように喜ぶスライム少女。
戦いには負けたが、魔獣クラーケンは、いやクラークは満足だった。
幻想の海から、大魔王城の方向を眺めるクラーケンがいる。
激闘からいくら経ったやら。
海の王者を従えたことで評判になったスライムは、両目を治そうとしてくれた。
忠誠の証として、片目は瞑れたままにしておいてもらった。
戦があっても、「切り札は最後までとっておくものさ」と滅多なことでは自分を呼ばぬ主に最近会ったのはいつだろうか。
主を訪ねて、魔王城近くの海辺に行ってみたこともある。
少女姿で待っていたリムの傍らにいた男が大魔王らしい。
いくら部下が配下を得たからといって大魔王が日中堂々と外を出歩くことに驚愕したが、二人のやり取りを観察していれば納得できるものがあった。
若い者は良いのう、と感じるほど。
その光景だけなら、クラークは大魔王を恐れなかっただろう。
強大な魔力と底知れぬ異能。
それと、珍しい種族に連なる生まれの存在だと察した。
クラークの長年の宿敵たるブラドですらこの大魔王に敗北し、傘下についている。
リムやブラド以外にも、戦に燃える竜人の猛者や叡智に富むゴーレムが四天王らしい。
「大魔王アビゲイル、恐ろしき男よ」
今もきっと、主はその男の側にいるのだろう。
「大魔王……。リム様を泣かせるでないぞ」
遠くの主を想う。
夕暮れの空を見上げる。
沈む夕陽が、スライムの姿に似ている気がした。
【終】