そうやって、僕は敷かれたレールから降りた
僕の母は、恐らく強迫性障害を発症していた。
別に、そのことを僕はどうとも思っていない。
世の中には自身の子供を殺す、虐待する、売り飛ばす親がおり、僕はそのどれも行われなかった。
むしろ、僕のことを気遣い、大切にし、愛情を持って育ててくれたと思う。
それが普通と言う人もいるが、その普通に当たることの難しさを知れば、僕自身は酷く幸運だったのだろう。
件の強迫性障害を除けば。
母の口癖は「普通の人生はつまらない。」だった。
だからだろうか、僕には「あなたの為に。」と言って、将来何も不自由をしないために、何でもかんでも習い事をさせた。
まるでそれが使命であるかのように。
身長を伸ばすために、体操を。
泳ぎ覚えるために、水泳を。
サッカー、野球、バスケにダンス、武道として柔道や剣道もやらされた。
体を動かす以外にも、文化的な面も充実させるため、様々な稽古も習わされた。
英会話にピアノ、茶道に果ては花まで生けることを覚えさせられた。
これが、小学生に上がるまでに習っていたものだ。
学校に入学すると、多くの習い事の合間を縫って、東大のアルバイトによる家庭教師も増えた。
毎日毎日、起きて学校に行き、習い事を終え、勉強をして眠るだけの生活が何年も続いた。
僕がそんな毎日に嫌気を持ち、他の子供として遊びたいと抗議すると、「あなたの為に。」と言って止められ、それが何回か続いたころには友達は僕を遊びに誘わなくなった。
ゲームや漫画、過激な表現のある本は勿論、PCなども完全に禁止されてしまった。
僕はだんだんと感情が薄くなり、そんな僕をみた母によって増やされた劇団での稽古の結果、無理やり感情を出すことができるようになった。
だが、腹から笑うことも、悲しくて泣くことも、他人を殺したいほど憎むことも、僕にはできなくなってしまった。
何が楽しいのかわからない習い事と家庭教師、そして子供らしい生活を犠牲にした結果、僕はとんとん拍子にエリートたちが通うような学校へと駒を進め、そして一流の商社に入社をした。
その時には、僕は何かが壊れていたのだろう。
毎日毎日、決まった時間に出社し、優秀な営業成績を残し、ほんの少しだけ残業をした後帰宅する。
そんな機械のような生き方をしていた。
そして、こうも思う。
本当に機械だったら、どれほど楽だっただろう、かと。
なくしたはずの微かな感情さえ、理解できないのだから。
ある日、夕食の支度でジャガイモの皮をむいていた。
包丁のかかとを使い、芽を取り除いてた時、うっかりと手をすべられ人差し指をザクリと切ってしまった。
不思議と、痛みはなかった。
僕は指先から滴る血を、何も考えなし見ていた。
2,3分眺めていただろうか、足がひとりでにリビングへと向いた。
そして、僕はリビングの真ん中に置いてあるソファーに座っていた母の前に立ち、血の滴る左手を差し出した。
母は瞬間驚いた顔をしたが、何も言わず僕を見て微笑み、「あなたの為。」と呟いた。
その醜く歪んだ笑顔を見て、僕は右手に持っていた包丁を、振りかぶり---。
僕は、母の呪縛から解放されたのだった。
警察の現場検証で家探しが行われた結果、鍵のついた机から一冊の古びたノートが発見された。
被害者である母親が生前書いていた日記のようで、様々な思いが綴られいた。
自身が平凡な家に生まれ、平凡に育ち、平凡な結婚をしたこと。
彼女が平凡であることを心底嫌っていこと。
そして、自身の子供の人生は平凡にしたくなかったといこと。
そのために、自身が子供に殺される必要があることを。
最後のページに、でかでかと赤いペンで、一言書き殴られていた。
「あなたは、いつまでも私のレールの上」と。