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第一幕 信州戦役の終結、政策の転換

 この作品は『GAME OF PROLOGUE』の序章において主人公との戦いを終えた人物たちがその世界でその後どうしたのかを描いた作品です。

 そのため、連載作品ではありますが、比較的短めに仕上げております。 

 1592年 信濃国川中島


 ここはかつて5度にもわたる大戦を武田信玄、上杉謙信という二人が繰り広げた場所である。


 それからすでに30年近くたとうとしていた。


 そこを一人、馬に乗ってカッポラカッポラと先に見える城に向かう男がいた。


 彼は普段ならば絶対に一人で行動することはできないはずの男。

 

 本来であれば、この男は今頃、はるか西、九州の地において全国統一後の一大事業“大陸外征”を行うはずであった。


 その男の名は無論、“豊臣とよとみ秀吉ひでよし”。


 日本史上初ともいえる九州から東北までを一つにまとめた男。


 天下一の出世頭ともいわれる。


 秀吉は外征目前にしてその事業をある人物によって邪魔されることとなった。


 今回、信濃まで赴いたのは邪魔した男が起こした謀反に終止符を自ら打つためであった。


 その者の名は“山口信濃守”という。


 ここ信濃国の大半を治める大名であった。


 謀反を起こす前までは特に“大柄な男”といった外見以外はたいして気にも留めるほど重要な人物ではなかった。


 むしろ関東に移封した徳川家康の方ばかり警戒していたせいでもあったが。


 結局、紆余屈折いろいろあったものの秀吉は、築城中であった川中島の城塞にて信濃守と和解。同時に今後の天下泰平の世の行く末について語った。


 秀吉はその中で自分が行おうとしていたことのあまりにも無謀なこと、利益がないことを自分でも不思議なほどに理解できた。


 今後とも天下泰平のために力を貸してほしい、


 そう秀吉は言ったものの残念なことに信濃守はにこやかに、しかし無言に秀吉を城外に退去させる。


 そして先ほどまで楽しんだ茶室に火をかけ自害したのだった。


 同時にいつの間にか火薬を仕掛けていたのだろう、川中島城内の至る所から爆音とともに火の手が上がったのだった。



 信濃国長野城内


 そこは、山口信濃守率いる山口軍の本拠地であり、信濃国内においてもっとも大規模な城郭である。


 東国における有数の織豊系大名であった彼の居城は、信濃国内唯一の総石垣に囲まれた主城郭に加え、此度の戦を予期していたがごとく巨大かつ重厚な総構でかの小田原城以上の規模か、ともいわれるほど広く堀が穿たれている。


 川中島の一件は、山口家にも秀吉の命により参戦していた諸将にも伝わっていたようで、各員とも一時的に戦火を沈め、各々の本陣、または本拠に帰還していた。


 山口軍の本拠は、無論ここ長野城である。


 城外の南にて10000の軍勢にて徳川・長宗我部軍18000と激闘を果たし生還できた浪人衆たちも3000ほどに減少していたものの軍団長、“明智日向守”をはじめ多くの将が部下たちに守られながらも帰還できていた。


 「…。」


 徳川・長宗我部軍を迎え撃った陣城で明智日向守こと明智光秀は、味方が帰還するのを見届けている。


 そして、この戦いで散っていった者たちに黙祷を掲げていた。


 犠牲となった者は7000近く。


 殆どが最前線で長宗我部軍と激突した佐々成政、大道寺政繁の軍勢である。


 特に大道寺軍は当主の政繁を含め副将格であった柳生親子などの主だった将校も討死。


 また、先駆けの将である前田慶次、可児才蔵も全身に傷を負い、部下たちが馬の鞍に足を縛り付けてようやく城に向かわせたのだった。


 一方、野戦陣地にて陣頭指揮し火器による後方からの射撃に徹底した明智勢も無傷ではなく、数百名が戦死。


 斎藤利三、明智茂朝といった重臣たちも敵の流れ弾にて重症に陥っていた。


 「これで全員引き揚げましたか…。」


 光秀の声は疲労が見え隠れしていた。


 彼はすでに齢55を越えており、それ以降の加齢は補正によりはないものの本来であれば隠居してもおかしくない。


 この齢になってからの戦場は、まさに老体に鞭打つの如くだ…。


 そう感じながら、自身も陣城を退去した。


 騎馬を長野の方に向けると、長野城より少し左にずれた辺りから黒煙が見えた。


 川中島の火災はまさに業火の如し。黒煙は天に登る龍が如く。


 消火しようにも水をかければかけるほど炎の勢いが増す。


 そのため帰還していく豊臣軍も、遠巻きに眺めるのみで消火作業はもちろん近づくことさえ避けているように見えた。



 信濃国松本城本丸


 (…山口殿、お見事でござった。)


 南より長野城攻撃の任を受けていた“徳川家康”は、山口信濃守自害の報を聞くや、自軍の率いる将たちに一時退却の合図を送り、自身も周辺の軍勢を収容次第、迅速に撤退した。


 確かに今回の一連の騒動の発端は『朝鮮外征』に反対した信濃守の謀反である。しかしそれを裏でそそのかしたのは何を隠そう、この家康であった。


 …しかし、儂が予想していた以上に信濃守は動いてくれた。


 家康は松本城の本丸、たかせいろう櫓より、南蛮渡来の遠眼鏡を使い、近くの軍勢、および長野城の動きを確認していた。


 そこから見える景色を眺めながら、今回の戦における反省と後悔をしていた。


 …けしかけた…。


 確かに信濃守殿に朝鮮出兵を止めるために、関白、いや秀吉殿に進言してほしいとは言った。


 天下人となった秀吉に唯一、強い進言ができるのは自分でもなく、親友の『前田利家』でもなく、ましてや毛利や上杉ですらない。

 

 間違いなくあの男のみであった…。


 いや、進言ならば弟である、『豊臣秀長』もできるだろうが、秀吉の命に対し反対意見を述べれるのは間違いなく、山口信濃守殿のみであろう。


 なにしろ秀吉殿とは桶狭間以前よりの付き合い、そしてあの墨俣城の一件も加わっていたと聞いている。


 当時、農民上がりの秀吉は亡き信長公以外に理解者は僅かしかいない。


 この儂も信濃守殿とは金ケ崎以来の付き合いだが、結局あの御仁のことは未だに理解できない。

 

 当初は“織田家”に仕えているのだと思っていた。


 だが三方ヶ原の折には日和見の織田軍とは別に独自で援軍として来てくれた。


 それに長久手…上田…関東。


 他の歴々に話を聞くとほかにもいろいろな戦場で目撃している話がある。


 …配下の真田信幸いわくあの龍虎決戦におけるここ川中島の戦にも参戦していたとの記録もある。


 …信じられんな、まるで何人もいるかのようだ…。


 それは置いても万能な将である、という評価は定着していた。


 だが今回、あの関白殿を密にといえ信濃まで引きずり出し、挙句の果てに休戦まで持ち込んだほどの手腕にはうだつが上がらない。


 いったん遠眼鏡を外し未だに燃え続ける黒煙を見る。


 『…信濃守殿の意志が、まるで龍が登るかのごとくに見えた…。』


 後に家康によって書かれたであろう手記には、この戦についてこう書かれていたという。


 そして、ちょうど秀吉からの密使が参った。

 

 数秒後


 「…誰ぞ!」


 家康は、背後にいるはずの者に声をかける。


 「こちらに。」


 無論そこにいるのは家康の忍である『服部半蔵』である。


 「忠勝らを呼んでまいれ。」

 

 家康は、自身の腹心たちを呼び出す。少しして『本多正信』、『本多忠勝』が現れた。二人はまだいくさがつづくこともあるので甲冑姿ではあったが。

 

 「関白殿の命令だ、半蔵、忠勝。共に長野城に参るぞ。」


 家康は、そういって二人を見る。


 「「御意。」」


 呼ばれた二人も、呼応した。そして家康は正信に、


 「正信は、帰還して来た将兵たちに炊き出しと休息の一切を任す。」


 そう言って、戻ってきた大名の軍勢たちを慰撫しながらも自身は服部半蔵、本田忠勝といった重臣たちとともに秀吉が向かったとされる、長野城へ向かうのだった。

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