花の冠と冒険、そして幕引き
――五日目
明け方になり娘の体温は下がった。息は少しだけ落ち着く。
娘は……、娘は勝ったのだ。
本当に、本当に強い子だ。
私は娘を背負って歩き出す。
「ん……」
「起きたかい? おはよう」
「……おは……よう」
娘はまだ話すのが辛いようで気を抜けば聞き逃しそうな声で話す。
「……まだ、……夜中なんだ……ね」
「……うん、容体が良くなった間に少しでも行こうと思ってね」
娘はやはり目が見えていないようだ。
でも、それも火の試練を乗り越えれば問題のないことだ。全て良くなるんだから。
「お前はすごいな、言った通りに打ち勝ったな」
「……ふふ、……そう……でしょう? ……でも……もう……--かな」
娘の声の一部が聞き取れなかった。
「……お父……さん」
「うん? なんだい?」
「……あり……がとう。……--、……--、……--」
ありがとうの後から聞き取れなかった。
娘は何か話した後、荒い息を静かにさせる。
本当に、本当に静かだ。
まるで息をしていないように。
娘はおそらく、力を溜めているんだろう。この後は火の試練が待っているんだから、それくらいでちょうどいい。
そう思うが少しだけ不穏な思いが頭をよぎる。
まさか、死――
そう思いそうになった瞬間、娘の声が頭に響いた気がした。
『シチューっ? やったぁっ!』
突然の現金な声に私は少しびっくりするが答える。
「はは、どうしたんだ突然。でもそうだね、火の祠から帰ったらいっぱいシチュー食べような」
『ううん、お父さんと一緒に食べた方が美味しいから。はいっ』
「なんだ、独り占めするつもりだったのかい? お前が食べきれないほど作ってやるから大丈夫だよ」
『えー、やだー』
「えーやだーって、やっぱり独り占めするつもりだったのかい? どれだけ食いしん坊なんだっ」
『キャハハハ』
私はご機嫌すぎてなんだか発言がチグハグな娘と話しながら先を急いだ。
◇◆◇◆◇
日がある程度高くなってきたところで一度休憩する。
娘はよく眠っているようで、背中ではあれほどはしゃいでいたのに下ろすとピタリと静かになる。
少しくらい食事をさせた方がいいとも思うが、せっかく休んでいるところを起こすのも何だと思って、娘の唇を湿らすだけにする。
寝るつもりはないが私も少しだけ目をつむる。
◇◆◇◆◇
少しして、耳触りな虫の羽音で目が覚める。
時間は?
日の位置がまだあまり変わっていない。どうやら一瞬だけだったようだ。
私はホッと胸をなでおろし耳障りな羽音の方に目をやる。
虫は娘にはまとわりついていたようだ。
私はすぐに払い退けた。
まったく忌々しい。悪い虫がつかないようにと育ててたつもりが、本物の虫がついていては冗談にもなっていない。
娘は虫の羽音も音も気にせずにとても静かに眠っている。 一瞬やっぱりとも思ったがすぐに頭を振って否定する。
今娘は力を溜めているのだ。火の試練は壮絶だ。
もし辿りついても火の試練を乗り切れなければ意味がないのだから。
さぁ急ごう、もう火の祠はすぐなのだ。
冷たいほどに体温の下がった娘を背負う。
『お父さんっ! おはようっ』
「あぁ、おはよう。寝てたのがばれたか。でも、もうすぐ火の祠につくからな」
やっぱり娘は背負うと話しだした。私は足早に歩き出す。
◇◆◇◆◇
夕暮れまじかになるとようやく火の祠に辿りついた。
私の体力はもう限界などとうに突破していたが、これで娘が助かるのだと思うと足がちぎれんばかりに駆けつけた。
そして火の祠にたどりつくと少しだけ中に入り、娘を下ろして寝かせる。
娘は相変わらずぐっすり眠っているのか、とてもとても静かだ。
「もうついたからな、あとちょっとだ。がんばるんだぞ」
私は娘に一声かけてから周りを見渡した。
テング様はどこだろう。ここにいたら来てくれるのだろうか。
とりあえず呼んでみることにした。
「テング様ーっ、テング様ーっ。居られませんか? どうかっ、どうかっ、娘を助けてください」
私は力の限り声を振り絞った。ぐっすり寝ている娘を起こしてしまうかもしれないが、ちょっと我慢してもらおう。
そう思っていると、入口の方に人影が空から降りてきた。
「小生に何か用か? 火の試練を受けにきたのか?」
地のそこから揺らすような声を響かせながら、一人の人が近づいてきた。
テング様を名乗る方は口元以外を仮面で隠されているため、年齢も表情わからない。少年のようにも見えるし、はたまた老人のようにも思える。
しかし、その仮面はまさしくテング様のもの。そして空からきたのは精霊術でだろう。
確実にテング様だっ
よかった、これで、……これで娘が助かるっ!
「あぁ、テング様。そうです、火の試練を受けにきたのです」
「そうか。なるほど、そなたの左目……だけではないな。肺の病を患っているようだ。すぐにどうこうはならんが、おそらく半年から一年ほどで命を落とすことになるだろうな。ではすぐにでも始めるか?」
「えっ?」
確かにここ最近たまに息苦しいこともある、昨日に至っては喀血もした。
しかし、いま重要なのは私じゃない。
「いえっ、私の事より娘です。娘はもう限界なのです。一刻も早く娘に火の試練をお願いしますっ」
「ふむ……、火の試練はあくまで火の精霊が生命力を増幅させる力だ。生きているものにしか通用せんぞ?」
そんなことは知っている。だから急いできたのに、こんなところでもったいぶられてはたまらない。
「だからですっ! 手遅れになる前に娘にお願いしますっ!」
私は地に頭をこすりつけて頼んだ。
「……だからその娘にはもう効かんと言っている。
娘の口に手をかざし、
娘の胸に耳をあててみよ」
どういうことだ……?
私は、すぐに娘の方に振り向き直しテング殿の言われた通りに手をかざす。
娘の吐息がない? いや極小なだけじゃないか? 心臓はきっと動いている。 私は娘の胸に耳を当てる。
ほら聞こえ……
ない……
聞こえ……ない……
聞こえない聞こえない聞こえない。何も聞こえない。
なぜだナゼだナゼダ?
いつから?
いまさっき?
いや、今朝からか……
思えば、背負ってる途中に娘の力が抜けた後の会話は、娘がどこかで言っていた内容の焼きまわしだったように思える。
私は娘との思い出と話しながらここまで歩いて来たと言うのか……。
こんなこと……、こんなことって……
私は冷たい娘を抱きかかえて呆ける。
「ここにたどり着くまでに娘が耐え切れなかったか。
ふむ、……風の精霊がその娘の発しきれなかなった今際の言葉を拾っているようだが、……聴くか?」
「お願い……します」
私は娘を抱えたまま中空を見つめて答えた。
娘の言葉ならなんでも聞きたい。
「わかった。言葉を拾いし風の精霊よ、彼に彼女の言霊を伝えたまえ」
テング様が祈りを捧げられると、丸い体に羽根がついた風の精霊が私の目の前に一体現れた。
それは息を大きく吸ってゆっくり吐きだした。
『……うさん、ありがとう。』
娘の声が反響する。
これは私が最後に聞いた言葉だ。
確かにこのあとに何か呟いていた気がする。
今度は聞き漏らすものかっ。
私は話さない娘を見ながら耳を済ます。
『……今度生まれ変わったらお父さんのお嫁さんになりたいな。
……いや、やっぱりまた、娘がいいな。
……またね』
娘の声が途切れると風の精霊は姿を消した。
娘の寝顔は、うっすらと微笑みを湛えている。
娘はこの言葉を言った後に時を止めたのだ。この言葉をこの表情で……
「ウワァァァァァァァ」
私は泣き叫びながら、永遠に少女のままとなった娘を抱いてうずくまった。
――六日目
私は一晩中娘を抱き締めて泣き明かした。
夜明けと共に少し離れた所にいる、テング様の仮面を付けた顔が照らし出された。
テング様はその間ずっと見守って下さっていたようだ。
「申し訳……、ありません。どうやらお時間をとらせてしまいましたようですね」
「かまわない。小生は作る事を諦め人の暮らしを捨てテングとなった身。人のように縛られる時間などもとよりない。
……それより、そなたはどうする? そなたは火の試練を挑めば、ゆっくりと蝕む死の病も、かつての目の傷も治すことができよう。
……無論、耐えきれればの話だ」
テング様は仮面の奥から覗かせる目をこちらに向けて提案して下さるが、私は頭を横に振って断った。
「そうか、そなたは残された時間を娘との思い出を抱きながら生きるか……
それもいいのかもしれん。
せっかくここまで来たのだ、住処に戻してやるくらいはできるがどうする?」
私はまた首を横に振り、そして答える。
「いえ……。ですが、テング様のお力を借りる事ができるのならば、ひとつお願いがございます」
テング様は一度だけ頷かれた。言ってみろってことだろう。
「私を娘と共に空に還してくれませんか?」
「……どういう事だ?」
テング様は私の腹の底を揺らすような低い声で尋ねられる。
「これは親バカかと思われるかも知れませんが。娘はなんでも良くできた子でした。思いやりもありました。
ですが、一つ大きな欠点がございます。
それは、大変な方向音痴なのでございます。北へ行けと言えば西に行ったり東に行ったりでうろうろして、一人ではいつまでも目的の場所につかないのです。
娘は最後に言いました。“生まれ変わってもお父さんの娘になりたい”と。
……私も、私も同じ気持ちなのでございます。
……私もまた、来世でも娘の父でありたいのです。
方向音痴な娘の事でございます。今もきっと迷っていることでしょう。
このままでは、私達の願いは叶いません。
私は、迷っている娘の手をこの手にとって共に逝ってやらねばならないのです。
娘の事ならだいたいわかります。おそらく今すぐに逝けばまだ近くで迷う娘を捕まえれるでしょう。
……どうか、お願い致します」
テング様が仮面の奥の瞳から私の目を見据える。
仮面で表情はうかがいにくいが、哀しんでおられるようにも思えた。
「わかった。そなたは自分が悲しみにくれてゆえではなく、真に娘の事を按じて、そして前に進むためにと小生には見えた。
小生が受けなくとも、そなたは自分自身でその命を断つのだろう。
ならば小生はせめて、楽に、そして速やかに逝かせてやりたい。そう思った。
ならば、小生の方から精霊に願ってやろう」
「ありがとうございますっ」
テング様はお優しい方のようだ。私の不躾なお願いを聞いて下さるなんて。
「……ただ、精霊が受けてくれるとは限らん。そなたも知っているだろうが、本来精霊は生きるものを助けるために働きかけるものだ。
死んだもの、死に逝くものに対してはもちろん。やむを得ない場合もあるが、生きるものを殺す事も本来は好まない。
精霊が協力を拒んだときは諦めてくれ」
「はい、わかりました」
「ではしばし待て、今協力してくれる精霊を探してみよう」
テング様は足を組んで座禅を組む。
「あのっ、すいません……」
「どうした?」
「娘のために、花を摘んでやりたいのです。……できればシロツメクサの咲いている場所は近くにありませんか?」
途中でテング様の邪魔をした私に気を悪くするでもなく、うんと頷かれる。
「そうだな……、シロツメクサはこの祠を出て少しだけ左に行ったところに木々が開けたところがある。そこに咲いているだろう」
「ありがとうございます」
私はテング様に教えていただくと、頭を下げてすぐに駆けて行った。
◇◆◇◆◇
テング様のおっしゃられていた通り木々の間を抜けると一面に野原が広がっていた。シロツメクサの花もうちの近くで見るよりかは葉も大きく元気に育っているようにも見えた。
娘に見せてやったら大喜びして必死に四つ葉のクローバーを探したんだろう。
また涙が溢れてくるが、私は一度乱暴に腕で拭うとすぐにシロツメクサの花を摘む。
ある程度摘むと、私は花の冠を編む。
私は娘の事を思いながら一つ一つ編みいれていった。
娘は優しかった。
娘はかわいらしかった。
娘は明るい子だった。
娘はよく気が付く子だった。
娘は幸せだったのかな。
娘は……
娘と話したい……
娘のぬくもりを感じたい……
娘のヒマワリのような笑顔を見たい……
私は編んだ。
一つ一つ編んだ。
◇◆◇◆◇
「すみません、お待たせしました」
「かまわん。ふむ、シロツメクサの花の冠か……。そうだな、そなたの娘くらいの子にはよく似合おう」
テング様は私の娘を一瞥すると、口元は無表情だが目元が少しだけ微笑んだ気がした。
「それで精霊の助けはいただけそうですか?」
「あぁ、火の精霊二十体がそなたの願いに応じてくれるようだ」
テング様がそう頷くと、私の前にポンポンポンと、火の精霊が二十体現れた。
「どうか、よろしくお願いします」
私は深々と頭を下げる。火の精霊もそれぞれ応じるかのように各々頷いた。
「では、そなたが最後の最後まで娘を抱いていられるように、そこの壁にもたれるがいい」
テング様に促されるままに、冷たくなった娘を抱きかかえて壁にもたれた。
そして、シロツメクサの花の冠を娘の頭にかぶせてやる。
「もう一度だけ聞く。今なら止めれるが本当にいいな?」
「はい、お願いします」
テング様の問いに私はすぐに答えた。迷うことなど何もない。
「そうか。……では、火の精霊よ。彼の願いに答えし精霊よ。その慈愛を持って彼らに優しき終を与えたまえ」
テング様が祈ると火の精霊達は目を閉じてゆらゆら揺れ出す。
すると私達の回りに少しずつ火の手が上がる。
恐怖はない。
熱さはない。
苦しさはない。
その火の揺らめきは無限の安らぎを感じさせ、触れると心地よい暖かさを感じさせてくれる。
まるで抱き締めてくれているような優しい火が、痛みもなく私の体を確実に焦がす。
しばらくすると、火は一気に勢いを増す。炎は壁のようになり私を包み込む。
私はそっと目を閉じると、抱いた娘が温かい事に気が付いた。
私は涙を流して抱き締めた。
力一杯抱き締めた。
わかっている。
それが偽りだと言うことは。
わかっている。
炎が娘に温もりを移しているだけだとは。
それでも、それでも私は幸せだ。
偽りでもいい。温もりを戻した娘を抱き締められることは幸せだった。
私は出してはすぐに蒸発する涙をあふれさせながら幸せをかみしめた。
……幸せに浸っていると声が聞こえ始めた。
「あれぇ? こっちじゃない? あっち?」
聞きなれた声、そして台詞。
あぁ、娘がそこに居るんだ。
今度は確かに聞こえている。
私はその声に顔を綻ばすと、声のする方へ呼び掛けた。
「じゃあまず、太陽の昇ってくる方角は?」
「えっと、太陽は左じゃなくて右だったんだっけ? って、えっ?
ああっ! お父さんっ!」
私の焼け爛れた喉から発した声は届いたらしく娘は返事をする。
既に焼け落ちた瞼を開くと目の前に娘が駆け寄っていた。
娘は生前の一番健康だった姿をしており、私がこの世で一番好きだったヒマワリのような笑顔をしていた。
「うふふ、お父さんだっ! でも、どうしてここに居るの?」
娘は小首をかしげる。
「父さんはお前一人じゃ迷子になっていると思って来たんだよ」
「まっ、迷子なんてなってないよっ!」
娘は手と首をぶんぶん横に振って否定するが、まさしく迷っている現場を見たのだからしょうがない。
「ははは。今、目の前で迷子になってたやつがよく言うよ」
「ぶー」
娘は頬を膨らまして抗議する。
「さあっ」
私は黒く炭化した腕を伸ばすと娘と手を繋ぐ。
その瞬間に崩れ落ちた。
でも大丈夫、手は確かに繋いでいる。
私は躯を遺して立ち上がった。
「離れないように手を繋いで逝くぞ」
「うんっ。……あっ、お父さんその手に持ってるのって」
「ん? ああ、はい。お前のために作ってきたんだよ」
「わぁっ! ありがとう」
花の冠を娘の頭に乗せてやると、満開の笑顔でくるくる回る。
「さぁ逝こう、母さんも待っているかもしれない」
「うんっ!」
私は娘と手を繋ぎながら次の来世へと歩き出した。
――七日目
「燃え尽き、天に昇ったか……。
炎の中であげたそなたの腕。先に逝った娘と手を取り合う事が出来たように、小生にも確かに見えた。
……骨となりしその身も、獣に持って行かれて離れ離れになってはあまりに不憫。せめて、獣の寄らぬ祠の奥に運んでやろう。
小生はテング。作ることは赦されぬゆえ、墓は作ってやれぬ。
だが、やがて祠が朽ちて崩壊したときにはここがそなたたちの墓標となろう。
今はここで仲良く眠れ。
そして、祈らせて貰おう。
そなたたちがまた、来世にて親子であることができるように……」
……。
駄文乱文のこの話をここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は救いのない話になってしまいました。
では、次はまたゆるいお話でお会いしたいと思っています。