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異変


 今朝も娘は私を起こしに来ない。

 熱もなかったし息苦しそうな様子もなかった。意識もしっかりしている。それでも一日では治らなかったか。

 私はとりあえず娘の様子を見に行く。


「おはよう、調子はどうだ?」

「おはよう。ごめんね、今日も無理みたい」


 娘は今日は自力で起き上がることすら辛いようだ。


「起き上がらなくていい、寝てなさい」


 やはり風邪にしては熱のある様子はない、話もしっかりしている。そのわりには腰が抜けたようになっている。体力が足りていない感じだ。

 しかし、ただの風邪にしても、これは体力の喪失が早すぎないか?

 あまり楽観視できる状況でもなさそうだ。


「父さん後でちょっと町に行ってくるな。その間ちょっと留守番しててくれ」

「あっ、……うん、わかった」


 娘が少しだけ何か言いたそうな気がした。

 しかし、娘が朝食を食べた様子を見てから出かけようとすると「いってらっしゃい」と言ってくれたので、私は町に薬を買いに行くことにした。



 ◇◆◇◆◇



「いらっしゃい、どんな薬をお求めですか?」


 私はいつも行きつけの薬師さんのいる薬師院を訪ねた。

 ここの薬師さんからもらう薬ならどんなに体調が悪い時でもすぐに治る。

 薬に関してはこの薬師さんに全幅の信頼を寄せている。


「娘の体力が急激に喪失していっているようです。なにかいい薬はありませんか?」

「急激に? ……それはどういう感じにですか?」


 いつも仄かな頬笑みを湛える薬師さんが、私の言葉に一瞬だけ顔を曇らせた気がした。


「三日前にはこの町に一緒に薪を担いで来れたくらいですが、一昨日から食欲が落ち始め、今朝は上体を起こすことすら辛そうでした」

「熱などはありませんか?」

「特に熱っぽい様子はありませんし痛がったりもありません。ただ体力だけが喪失していってるみたいです」

「体力だけの喪失ですか……」


 端正な顔立ちをした薬師さんの眉間にしわが寄ると一度目線を右に流す。


「おそらく、メルティルナの呪いが疑われますね……」

「メルティルナの呪い? メルティルナってあの伝説の魔竜の?」


 言い伝えとか絵本とかで出て来た名前が出てくる。

 そんな伝説上の生き物に呪われるような事をした覚えはないが……

 でも、薬師さんの顔は真剣だ。まじめに言っているのだろう。


「はい。でも、名前を借りてるだけで実際に呪いと言うわけではないんです。原因不明の病ではあるんですが、この病にかかると水瓶に穴を開けたように体力が失われていきます。そして十日までの間に死に至ると言うものです」


 え? しにいたる?

 しにいたるってなんだったかな。


「しにいたる?」

「はい、お気の毒ですが。このままでは生き残るのは絶望的でしょう」


 あぁ、そうか。死に至るとは、結果として死の状態になると言うことだ。

 娘がいずれ死ぬ。

 当たり前だ、命あるものはいずれ死ぬものだ。愛する妻が亡くなったときに痛いほど身に染みた。

 でも、薬師さんはその前に十日までにとも言っていた。

 十日……

 十日までにいずれ死ぬ。 誰が?

 ――娘がっ?


「十日だってっ? ありえないっ、娘はまだ恋すら知らない年齢だっ! 死ぬのは早すぎるっ」

「……お気の毒ですが。この病の恐ろしいは、最初はただ単純に体力が失われるだけだということです。

 はじめは、ただ疲れているだけかと思って見過ごされたりするのです。

 そして気がついた時には、骨と皮だけの変わり果てた姿になる。

 ゆえにメルティルナの呪いと言われています」


 今、薬師さんは恐ろしいのは最初のうちに見過ごす事と言ったな。つまり最初のうちならまだ手があるのか?

 私は思わず取り乱して、そのまま薬師さんに食ってかかって問いただそうとするがゆっくり息を整え落ち着かす。

 助かる方法を知っているかもしれない薬師さんにそんなことしても、すぐに娘の状態が良くなるわけじゃないんだから。


「取り乱してすみません。薬師さん、うちの娘は症状が出てから今日で三日目です。何か手立てがあるのですか?」

「いいえ、落ち着いていられる親などおりません。お気になさらないでください。

 そうですね、娘さんの場合は発見は早いと言えるでしょう。

 では、娘さんの助かる可能性のある方法ですが、それには二つあります。

 一つは病に対する万能薬と言われる、乾燥させた双頭竜そうとうりゅうの肝を処方することです。

 ですが、これを今すぐ用いても乗り越えれるかは五分五分でしょう。

 けれどそれより問題は、今この町に双頭竜の肝が入荷されたという話は私の耳には入っておりません。

 そちらには、あてはありますか?」

「……いえ、ありません」


 双頭竜は魔竜。これは狙って狩れるものでもないし、狩ろうと情報を集めていたら時間がかかる。

 場合によっては私一人でも狩れるが、そういうやつは今度は情報が滅多に出ない。たいてい見つけた瞬間狩られているからだ。自分で狙って探し出すのは雲を掴むようなものだし……

 情報に出てくるような奴を狩るにしても仲間を募集しなければならないが、今臨時で仲間を募集してたらとても間に合わないだろう。


「では、もう一つ。火の試練です。これは確実に助かります。

 ――ただし、……耐えきれればですが」

「……そう、ですか」


 火の試練と聞いて私は肩を落とす。


「これも病の発見がはやいほうがいいですね。火の試練自体は完治に病の進行は関係ありませんが、火の祠に行くまでの時間がありますからね」

「……どうやら、受けさせるしか無いようですか」

「気が進まないのは分かります。ですが、これしか助かる方法はないでしょうね」

「……そのようですね。……ありがとうございました」


 私は眩暈を覚える。

 しかし、それしかないのだと思うと薬師院を後にしようと踵を返す。


「あっ、待ってください」

「……なんでしょう」


 薬師さんが私を呼びとめると、机の下の引き出しから小さな袋を取り出す。


「お役に立てなかったお詫びというわけではありませんが、少しですがこの砂糖をもってお行きなさい」


 薬師さんが私の手を取り、砂糖の入った袋を渡す。


「えっ? どうしてですか? 安いものでもないでしょう」

「火の祠に着くまでに間に合えばいいですが、病の末期では恐らく砂糖水が必要になると思います。お金に余裕があるのなら町でもう少し買っていった方がいいと思います」

「なにからなにまでっ! ありがとうございますっ」

「いえ、無事に助かったらまたご一報くださいね」

「はいっ、必ずっ」


 薬師さんの心遣いに感謝しながら深く頭を下げて薬師院を後にした。


 火の祠は山の奥。大人の足で二日ほどかかる距離だ。娘を背負って三日、いや背負っているとは言え娘の体力を考えると休憩もそれなりに必要だ。そうなると四日か。

 薬師さんは発症から十日ほどだと言った。娘の発症はおそらく二日前、今日を入れて後八日。


 ……出来るなら今すぐにでも行きたい。

 しかし、準備を怠って娘の体力が尽かすことになれば本末転倒だ。

 今日は十分に準備して明日の朝から行こう。



 ◇◆◇◆◇



「ただいま……、――どうしたっ!」


 私が家に帰ると娘は胸を押さえて静かに泣いていた。


「んっ、あっ、おかえりなさいっ!」


 娘は私の声に気が付くとぐいっと腕で涙をぬぐって、笑顔で私を笑顔で迎えてくれた。

 私は娘に駆け寄る。


「どうした? 胸が痛むのか?」


 この状況で他の病が併発? 体力の減衰が激しいと言うことは、他の病気にもなりやすいと言うことだ。しかもそれは重症化する。そうなると十日まで持つかもわからない。


「ううん、もう大丈夫だよ」

「無理をするな。胸が苦しいんじゃないのか?」

「……うん、苦しかったよ。でも、お父さんが帰って来たから治ったよ。だから大丈夫」


 私が帰ってきたから大丈夫?

 そんなおかしな病気は無いだろう。強がっているだけに違いない。


「そんなわけないだろう? どう苦しかったか言ってみなさい」

「……ねぇ、お父さん。右手を貸して?」

「えっ? ああ」


 娘の前に手を差し出すと私の手を捏ねたり頬擦りしだした。

 そんな姿は堪らなく愛おしいが、早く話を聞きたい。しかし、あまり私が焦っている様子を見せて娘を不安がらせてはいけない。

 私は娘の話を待った。


「あたしね。怖かったんだぁ」

「なにがだい?」

「お父さんが私を置いていったまま帰って来ないんじゃないかって」

「そんなわけないだろう」

「うん、わかってる。わかってるけど一瞬だけ考えちゃったんだ。

 あたし、今動けないし。もしお父さんに要らない子だって思われて置いていかれたらどうしようって。

 ……そしたらね、胸がギューって苦しくなって、悲しくって悲しくって怖くなったの。

 でもっ、お父さんはちゃんと帰ってきたからもう大丈夫だよっ」


 私は黙って娘を抱き締めた。娘も抱き返してくる。

 こんな、こんなに愛おしい娘を置いていくなんてありえないのに。

 体力の喪失は娘の精神も弱らせているのだろう。


「明日、明け方から出かけるよ」

「えっ、やあっ。……あ、うん。……絶対に帰ってきてね」


 娘が不安そうな顔を一瞬見せる。また置いていかれるのが怖いのだろう。


「いや、お前も父さんと一緒にだ。父さんがお前を背負って行く。絶対に離れないから大丈夫」

「そっか、よかったぁ。ねぇ、でもどこ行くの?」


 娘が安堵の息を漏らす。


「山にある火の祠に行くよ」

「え? 祠って精霊がたくさん集まってるってところだよね? 何しに行くの?」


 娘が小首をかしげる。


「火の精霊がどんなのかは知ってるよね?」

「うん、赤くてふわふわの尻尾がついてるの」

「そこで火の精霊の力を貸してもらうんだ」

「力を貸してもらう? ――あぁ、うんうん。火の精霊を見たときはがんばろうって気持ちになったり元気が出るよね」


 娘が頬を緩ませて言う。精霊は小さくて丸くてかわいらしいから娘は好きなのだ。

 精霊は生きる者のために力を分けてくれる。普段は見えないが、力を分けてくれるために精霊が術を使った時にその姿が見えるから娘も何度か姿を見たことがある。


「そうだね、火の精霊は元気を分けてくれるね。でも今回は火の試練を受けさせてもらいに、テング様を通じて火の精霊にお願いしに行くんだ」

「火の試練?」

「火の試練はね、あらゆる怪我とか病気を治してもらう事が出来る火の精霊の精霊術だよ。でもこれはテング様が精霊に祈ってくれないとダメだし、何体かの火の精霊の協力が必要だからね。だから火の祠に行くんだよ」

「そうなんだ。でも、なんでも治すってすごいんだね」


 娘が素直に感心する。精霊がかわいいだけじゃない事に驚いたようだ。


「腕がなくなったりしても元通りにしてくれるほどからね、お前の具合も必ずよくなるよ。でもね、その試練を受けて体の回復をしている間はすっごくすっごく苦しいんだ」

「えっ? そうなの? ……それはやだなぁ」


 本当のところはすっごくすっごく苦しいとか言ってる場合じゃないくらいだ。

 話によると怪我や病気の回復の間はずっと業火に焼きつくされるような痛みや、肺を焼かれるような苦しみに晒されるほどと言われている。だから回復はできてもその苦しみに耐えきれずに息を引き取るものも多い。ゆえに火の試練と呼ばれている。

 それほどのために火の精霊も自分で火の試練のための術を使わずに、テング様の祈りがあった時だけ術を行使するようだ。

 精霊でさえ使うことをためらう精霊術。

 それだけに、この火の試練を受けるには生きるための意志と覚悟がいる。

 正直、これを娘に受けさせたくはなかった。


「でもそれを受けないと、お前の具合は良くならないし、お前の大好きなシチューも食べられない。なにより父さんと一緒にいることも出来なくなるかも知れないんだ」

「えっ? やだっ、やだぁっ! お父さんとずっと一緒にいたいよう」


 娘が私に抱きついてくる。私も同じ気持ちだ。どんなに辛くても娘が生き延びるにはもうこれしかないんだ……。


「……父さんもずっと一緒にいたいよ。だからがんばろう。お前だけに辛い思いはさせないよ、父さんも一緒に受けるから」

「……お父さんも具合悪いの?」

「ほら、父さんは左目が悪いだろう? 今までは不便は不便だけどそんなに困らなかったからほうっておいたけど、お前と一緒にまた冒険者するなら治ってたほうがいいからね。だから一緒にがんばるよ」

「そっか、そうだね。一緒に冒険者しなきゃだし頑張らなきゃねっ!」


 娘が小さくガッツポーズをとる。

 火の試練では気力勝負だが、前向きで元気な私達の娘ならきっといける。

 私はそう確信すると娘を軽く抱きしめて頭をくしゃくしゃっと撫でた。


 私はその夜に先に逝った妻の墓前で、明日の出発の報告と娘に力を貸してくれと祈った。




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