お花係
毎日花壇に水をやる。
ただそれだけが、僕の仕事だった。
新学期早々に風邪で休んだ僕を待っていたのは、
勝手に決められた『お花係』という役職だった。
それでも、体育委員とか旅行委員とかのような
華やさこそないが大変な仕事ではない。
だから僕は、文句も言うまいと
お花係の座に意義を唱えなかった。
花壇は校舎裏にある。
裏といっても、別に日当たりは悪くない。
むしろ良好なくらいだ。
大きな花壇はクラス毎にスペースを仕切られている。
それぞれが自由に花壇を使っていいのだそうだ。
しかし、それは名ばかりの制度だった。
僕が初めて花壇に足を運んだ時、
そこに生えていたのは雑草だけ。
各クラスに係は設けられていても、
まともに務めを果たしている者はいないようだ。
これでは職務を全うできないのも当然だ。
仕方ないと自分に言い聞かせ、僕は花壇に背を向けた。
すると、声をかけられた。
「あなた、同じクラスよね?」
雑草が話しかけてきた。
いや――違った。
振り返ると、雑草の中から女の子が顔を出している。
良好な環境の為か、僕らの身の丈ほどもある
雑草に埋もれている少女。
見ると確か・・・・・・、
「ああ、ごめん。名前分からないけど、僕、同じクラス」
「だよね。で、係も一緒よね。手伝ってよ」
言いながら彼女は雑草の中から出てきた。
下は学校指定のスカートだったが、上は体操服に着替えている。
そしてその手には、泥だらけの鎌。
「え、あのもしかして・・・・・・この花壇を?」
「そう。いいから、ホラ」
泥だらけの顔で、彼女は笑っていた。
鎌を僕に突き出しながら。
彼女は独特の雰囲気を持った人だった。
まず、クラスでは凄く無口だ。
寡黙なのか人付き合いが下手なのか分からない。
友人がいないわけでもないが、他の女子のように
不必要なほどの馴れ合いを避けているようにも見えた。
休み時間は大抵、寝ているか一人で音楽を聴いている。
肩まで伸びた髪はボサボサで、毛先は不揃いだ。あまり容姿にも、
そして恐らくは異性にも執着はなさそうだった。頓着ないようだ。
そんな彼女は放課後になると、あの花壇にいるのだ。
「ああ、おはよ」
僕が花壇に行くと、彼女は放課後なのにそう挨拶する。
ちなみに教室で挨拶をしても、空返事しかかえってはこない。
友人達のように部活動をしているわけでも、
時間を割くほどの趣味も待たない僕は
なんだかんだ放課後はここに足を運ぶようになっていた。
そして花壇に水をやる。
少しだけ彼女とおしゃべりをする。
僕らが手入れした花壇には、ささやかだけど可愛い花が植えられ、咲き誇っていた。
「種まいてみようと思うんだ」
ある日の放課後、彼女がそう言った。
「今まではほら、もう花になっているのをさ。穴掘って植え替えただけだったけど。
種からやると、私が咲かせました!って感じするよね」
「でも、難しそうだね」
「簡単そうなのを選んでみるよ」
せっかくなら咲かせてやりたいもん。小さな声で、そう付け足していたのが
何故か耳に残っていた。
彼女が転校してしまったのは、それからすぐだった。
どうやら先生方はそうなることを以前から知っていたらしい。
だが本人の希望を聞き入れ、当日まで明かさなかったのだそうだ。
彼女が人と距離を取っていたのも、
あんなにも一生懸命お花係の仕事をしていたのも、
別れの寂しさを紛らわせる為だったのかもしれない。
泣くほど悲しかったわけではなかった。
だって、僕にできることなんてたかが知れている。
僕は毎日、花壇に水をやった。
他にできることなど無かった。
花は咲き続けた。
でも僕は、どの花が彼女の蒔いた種から咲いたものなのか分からなかった。
学校を卒業するまで、僕は水を撒き、雑草が生えれば抜き、
花壇をずっと見守り続けた。
久しぶりの同窓会の手紙をもらったのは、僕が25歳の誕生日を迎えたまさにその日だった。
そして今日、僕は久しぶりに母校に足を踏み入れた。
学校主催の同窓会らしく、体育館を開放して同窓会が催されるらしい。
何人かが体育館に向かっていく中で、僕は真っ先に校舎裏へと足を向けた。
花壇はやはりあった。
残念なことに、僕が初めて見た時と同じ状態だ。
雑草ばかりの花壇だったが、僕はなんだかまた来れてよかったと思った。
しばらくその場に立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。
聞き覚えのあるその声にハッとなり、僕は振り返った。
数年ぶりだったけれど、それが誰なのかはすぐに分かった。
「久しぶりだね」
照れたように笑った。あの時よりも、数段キレイになっている。
だが僕は見惚れるわけでもなく、返事もせずに、彼女に背を向けた。
「あ、やっぱり、怒っちゃったりしてる?」
弱弱しくそう言う。
「君には言っとくべきかなぁとか、思ってはいたんだよ。でもさ・・・・・・」
僕は花壇の奥に進む。そこにはお花係りの用具棚がある。
砂埃を被っていたそれに、僕は水を溜めた。
「一人にでも話したら、と思ったらさ。言い出しにくくて……って
言い訳ばっかりだね。その、本当にあの時はゴメ――」
彼女の目の前に僕は突きつけてやったのだ。
水の入ったジョーロ。
「職務放棄した分。今、水あげて。それでチャラだから」
そう言った僕の言葉に、彼女は目をパチクリさせた。
だがすぐにジョーロを受け取り、花壇に水をあげてくれた。
もっとも、花壇は雑草まみれなので意味はないのだが、
それでも構わなかった。
楽しそうに水をやる彼女の背中を僕は見つめていた。
やがて彼女が、嬉しそうに振り返った。
「ねぇ、これ見て! 咲いてる!」
なんのことだろう。不思議に思い、彼女の指差している部分を覗き込んでみた。
すると、雑草の奥に小さな花が群生していた。
背が低い花なので、しゃがまないと見つけられなかったようだ。
「これ、私が種を蒔いたやつだよ。うん、覚えているもの」
「驚いたな。ずっと咲いていたんだ」
「ちゃんと多年草? ずっと繰り返しそこで咲くやつを選んだんだもん。当然よ」
「ちなみになんて名前なの?」
「……」
彼女は曖昧に笑うだけだった。
「呆れた」
「え、だって十何年も前の話だよ。忘れてても仕方ないじゃん!」
「それはヒドいなぁ。僕は、ここでのこと、忘れてないのに」
そう言うと、彼女の頬がほんのり赤く染まるのが分かった。
その顔を見て僕は、当時の僕が、花が特別好きだったわけでもないのに
毎日花壇に足を運んでいたのか。
彼女がいなくなった後も、花壇に水をあげていたのか。
その理由に、今更気づいてしまった――。
つまりは、まぁ、咲いてしまったという、それだけのこと。