第1話
「んん…」
部屋の外から聞こえる物音で眼を覚ます。
「…。もう、朝か」
すっかり寝過したとばかりに、大きな欠伸をしながらも、ベッドから抜けてカーテンを開ける。
部屋の中に煌く陽光が差し込み、俺は思わず顔をしかめてしまう。
「さて、さっさと食堂に向かわなきゃ。朝食にありつけないと、昼まで飯抜きだし…」
そう一人ごちると、パジャマを脱ぎ捨て、ハンガーにかかった制服を手に取る。
袖を通し、身支度を済ませると、俺、鷹岡弘前は、そそくさと部屋を後にするのだった。
俺が住んでいるのは、学校指定の学生寮。
全寮制なので、全ての生徒達はこの寮への入寮が義務付けられている。
部屋のタイプは二人部屋と一人部屋の二種類が存在していて、それによって階が違っている。
ちなみに俺は一人部屋で、階層は三階だ。
寮の作りは、古風な西洋建築様式で、玄関のある中央ロビーの階段を境に、男子棟と女子棟に分かれている。
ちなみに階段を上って右が男子棟、左が女子棟となっている。
「お〜い、弘前〜」
階段を降り、食堂の前にさしかかった辺りで聞き覚えのある声に呼び止められる。 視点を変えると、そこには腰まで伸びた銀色の髪の少女が、ピョンピョンと跳ねながら自分の存在をアピールしていた。
「…。おはよう、三春」
「うん、おはよう」
そんな彼女の名は、舞鶴三春という。
俺のクラスメイトであり、小さい頃からよく一緒に遊んでいた仲。
まぁ、言ってしまえば幼馴染みってやつだ。
「それよりも、あんまぴょこぴょこと跳ねるのはやめておけ。…パンツ見えるぞ?」
「っ!!」
その言葉にハッとなり、制服のスカートを押さえる三春。
今頃になって恥ずかしさが込み上げて来たのか、顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「しょ、しょうがないじゃない。弘前ってば、このくらいしないと気付かないんだもの…」
「あ〜、確かに。その身長じゃな…っ!!」
その小柄な身体つきを見て、俺は一人頷き、納得している。
そんな事を口走った瞬間、俺の身体に衝撃が走る。
「…弘前ぃ、私ちょおっと食前の運動がしたいんだけど、いいかしら?」
「こ…答えを聞くよりも先に、強烈な一撃がお見舞いされてるのは気のせいでしょうか、三春様…」
笑顔で鳩尾にボディブローを決める幼馴染みに対し、俺は冷や汗を流しながらも笑顔で答えていた。
「まったく、身長の事を言うのは禁止って言ったでしょっ!!」
「あ〜…そうだっけ?」
「…。よぉくわかったわ。口で言ってもわからないんなら、徹底的にわからせてあげようじゃないの」
そう言って、どこからともなく半月状の刃が付いた得物を取り出し、それを両手で構える。
その顔は笑顔だが、目は笑っていない。
周囲の反応もそうだが、何よりも目の前にいる本人の顔を見れば、それは一目瞭然である。
「だぁぁぁぁ!! わかった、わかったからっ!! だからとりあえずそのハーケンをしまえって!!」
「まったくもう…。それよりも、早く朝ごはんにしよ? お腹減っちゃったよ」
「何だ、だったら先に食べててくれてもよかったのに」
「そういうワケにもいかないの。ほら、行くわよ?」
青白く輝く戦鉤を手早くしまうと、彼女は俺の背中を押しながら食堂へと向かうのであった。
「うわぁ、完全に出遅れたな…」
中へ入ると、そこは朝から戦場と化していた。
基本的に、寮生たちはこの食堂で朝晩の食事を摂る。
取り分け、朝は全寮生が集うので厨房も火の車だ。
しかも、全寮生が一度に入れるようには作られていない為、朝は限られたスペースを確保する為の戦場と化すのは必然と言えば当然だ。
ちなみに朝食の形式は基本的にはバイキング形式なのだが、材料の入荷状況や、料理長の気分次第で内容が変わる為、出遅れようものならば、場合によっては食べられないなんて事もあったりする。
そうならない為にも、俺たちはなるべく早く起きて朝食を済ませるように心がけている。
だが、今回は俺の寝坊と三春との一件により、完璧に出遅れてしまったのだ。
「誰のせいでこうなったとお思いで?」
「…。全て俺のせいだと言いたそうな顔だな、三春」
「そんなの当たり前でしょ?」
「へいへい。それじゃ、お詫びに席の確保はしておくんで」
「ふふ、よろしくね」
そう言って、三春はバイキングの列へと向かう。
「あ、待った三春」
「ん、何?」
「俺の分も頼む」
「なんでさ」
面倒だと言わんばかりの顔で、こちらを見つめる三春。
「いや、なんでも何も、俺が席取りするんだから、三春が俺の分を持って来てくれないと…」
「自分で行きなさいよ」
「無茶言うなってのっ!!」
「ん〜…。それじゃ、今日のお昼は弘前の奢りね。それが嫌なら…」
「あぁ、わかったわかった。今日の昼飯くらい奢ってやるから。だから頼む」
「ふふふ、商談成立ね♪」
上機嫌でスキップしていく悪魔を見送りつつ、俺は深々とため息を吐いた。
そして、足取り重く二人分の席の確保へと向かうのであった。
「…困った。マジで困った」
予想外の混み様で、どこも満席状態。
とてもじゃないが、二人だけで座るのは絶望的だった。
こうなれば、相席になるのを覚悟に探してみるしかない。
壬琴には怒られそうな気がしないでもないが、それはそれ。我慢してもらうしかなさそうだ。
そんなこんなで、見知った顔がいないかどうか探しまわっていると…
「お兄ちゃ〜ん」
「ん? 今の声は…」
辺りを見回すと、壬琴よりも更に身長の低い、茶色のツインテール少女がパタパタと駆け寄って来るのが確認出来た。
「おはよう、お兄ちゃん♪」
「おはよう、ルカ」
彼女へと挨拶を返し、俺はその頭を優しく撫でる。
うにゃぁ〜という声を発しながら、彼女はその行為を黙って受け入れていた。
彼女の名は、ルカ=スオシオス。
俺と三春の後輩にあたる子で、俺の通う学校での後輩。
ちなみに、本人たっての希望で名前の方――“ルカ”と呼ばせてもらっている。
「それでお兄ちゃん。こんな所でどうしたの?」
「あぁ、実は少し起きるのが遅くなっちゃってな、席が取れそうにないんだよ。で、相席覚悟で回ってはいるんだが…」
「あ、そういう事ならルカの所に来ない? クラスの友達は、もう先に行っちゃったから、今はルカだけだよ?」
「それは好都合だが…いいのか?」
「うん。他ならぬお兄ちゃん達のピンチですから♪」
「達って、俺だけじゃないってよくわかったな?」
「当然です。お兄ちゃんの嫁である三春お姉ちゃんを忘れるなんて事、ルカがする筈がありません」
「いや、別に三春は俺の嫁でもなんでもないからな…?」
えっへんと胸を反らす彼女に、俺はツッコミを入れつつも、その好意をありがたく受ける事にした。
それから数分後、二人分の朝食を手に三春がこちらへとやって来る。
「おまたせー…って、あら? ルカ、おはよう」
「あ、三春お姉ちゃん。おはよう♪」
俺の時同様、ルカは三春に思いっきり抱き着き、ゴロゴロと甘えている。
そしてこれまた俺の時同様、優しく頭を撫でる三春の姿がそこにはあった。
「ところで弘前、今日の実習はどうするの?」
朝食のオムレツをフォークで突きながら、三春はそう訊ねて来る。
「ん〜…いつも通りじゃないか、あの二人は。きっと今日も引っ張りだこだろうし」
「それもそっか。それじゃ、いつも通りで構わないわよね?」
「あぁ」
「いいなぁ、お兄ちゃんたちはいつも一緒で…」
「何なら、ルカも一緒にやる? 実習授業はどうせ学年関係ないんだしさ」
「ホント!?」
三春からの提案を受け、身を乗り出して喜んでいるルカの姿を見て、俺は思わず顔が綻んだ。
「よし、それじゃ今日はこの三人でって事で」
「「お〜♪」」
窓際のテーブル席で、団結を深める三人は、手早く朝食を済ませ、揃って寮を後にした。
……遅刻を回避する為に。
「はぁっ、はぁっ…、い…急げ、二人とも!!」
「はっ…はぁ…っ、わ…わかってるわよ…」
「ま、待ってよぉ~…」
石造りの町並みの中、鞄を片手に全力疾走する俺達。
寮から学校までの道のりは、町の中を通る長い一本道をひたすら真っ直ぐに向かうだけという、至ってシンプルなもの。
だからこそ、道に迷う心配は一切無い。
だからこそ…慌ててて道を間違えた等と言う言い訳は一切通用しない。
遅刻しようものならば、もれなくクラス担任からの罰ゲームと言う名の刑が執行されてしまう…。
それだけは何としても避けなければならない。
ゆえに俺達は焦っているのだ。
「はぁっ、はぁっ…。ひ、弘前、ルカ、もう少しで校門よ」
「お…おう…」
「う…うん…」
三春の言葉通り、目の前には俺達が通う学校の姿が見えていた。
緩やかな上り坂を駆け上がると、正面には校門。
全力で走った甲斐あって、時間的にも少し余裕が出来た俺達は、そのままゆっくりと速度を落とす。
呼吸を整えつつも、ゆっくりと歩き学び舎の門をくぐると、揃って胸を撫で下ろした。
「ま…間に合ったぁ…」
「ひ…弘前…。アンタの寝坊さえなければこんな事にはならなかったんだから、帰りにアイスの一つくらい奢りなさいよね…」
「マジ…かよ…」
今日の昼飯だけではなく、アイスまで奢る破目になってしまった俺は、財布の中身を確認しつつ教室へと向かうのであった…。
つか、ルカと長々とお喋りしていたお前にも、一部責任があるのだが?
……などと言えない辺り、俺も弱いよなぁ。
「よっ、遅かったじゃん」
自分たちの教室へと入ると、いきなりヘッドロックを決められる。
後ろを向くと、そこには水色の髪に紅い瞳の青年の姿があった。
「おはよ、アル。とりあえず力を緩めてくれ。苦しいから…」
「えー、そうつれない事を言うなよぉ」
「だったら、魔族の力を解放してまで締め上げてんじゃねぇよ」
「いやいやいや、これはひろっちに対するスキンシップと、三春ちゃんと幼馴染みであるという特権に対する俺からの嫉妬だから」
「前者はともかく、後者に関しては俺に言うな!!」
冗談なのか本気なのか、よくわからない事をのたまうこの男。
名前はアルバン=モンテ。 俺と三春のクラスメイトの一人だ。
容姿端麗、頭脳明晰。
しかしそれを鼻にかける様な事は決してせず、誰にでも明るく接するナイスガイ。
そんなこんなで、生徒達からの人気は高そうに見えるものの、浮いた話を一切聞かない。
ちなみに、魔族という俺とは異なる種族である。
ここで少し説明をしておこう。
俺達が住んでいるこの世界は、神族が住まう神界、魔族が住まう魔界、妖人族が住まう妖人界、竜人族が住まう竜人界と、俺達人族の住まう人間界の計5つの世界で構成されている。
その5つの世界のちょうど中央に位置する地区 グラン・ニュートラルと呼ばれる場所に、俺達の通う学校 界立アーベントイアが存在している。
元々は、人族の冒険者育成を目的として作られた修練所が母体となっている。
それが人間界の視察に来ていた他の四種族のお偉いさん方の目に留まり、もっと若い世代から充実した教育を受けさせてはと提案したのだとか。
その後開かれた会談の席で、この修練所の事が再度話題となり、人族だけではなく、他の種族の冒険者育成も行える様に等、実に様々な意見が飛び出した。
結果、五世界の政府協力の下、大幅な改修が行われ、現在の形へと変わっていったのである。
今でこそ、いろんな種族が一つの場所で普通に過ごせているが、昔は相当苦労したのだとか。
そんなこんなで、ここではこれが当たり前の日常なのである。
「アル、いい加減に放せ。マジで苦しいから」
「それじゃ、今日の昼はひろっちの奢りで♪」
「却下だっ。三春の分だけでもキツイってのに、お前の分まで奢ってたら堪らん」
「ちょ、三春ちゃんはよくて俺はダメなのかよっ」
「三春には、今朝ちょいと迷惑かけたからな。そのお詫びだ」
「怪しい。何があったのか詳しく聞こうか…」
「お前が思っている様なピンク色な展開なんて何も無いってのっ」
「失敬な。よぉし、そういう事を言うのなら意地でも白状させて…」
「アル、その辺にしておけ。そろそろ先生来るぞ?」
尚もしつこく食い下がる悪友に対して誰かが声をかける。
俺とアルは揃って横を向くと、長身の男子生徒の姿がそこにはあった。
「ランド、助かったよ…」
「このくらいは、お安い御用さ」
アルの尋問を中断させた彼の名は、ランド=クインズ。
妖人族という種族の青年で、俺の友人の一人だ。
学校では基本的に、俺、アル、ランドの三人と、それに三春を加えた四人でいる事が多い。
「ランドよ、何故止める。あと少しで沈められたのに…」
「いや、ダチを沈めるなよ。というか、そろそろフォーちゃん来る頃だからな? 死にたくないなら、おとなしく席に着いた方が身の為だと思って忠告したのだが…」
「うっ…。それもそうだな」
「賢明な判断だ」
その言葉の意味を誰よりも理解しているアルは、ようやく俺への拘束を解き、彼の隣りに立つ。
フォーちゃんというのは、俺達のクラス担任の愛称で、本名はフォール=ヴィクトリアという竜人族の先生だ。
「それに尋問なら、昼休みにゆっくりと出来るだろ?」
「ふむ、それもそうだな」
「おいこらっ」
「ちなみに、冗談だから気にするなよ?」
「…だったらちゃんと俺の目を見て言おうか。なぁ、ランちゃん」
「ランちゃんはよせ、ランちゃんは…」
あからさまに目を逸らして冗談だと言われても、説得力などありはしない。
「ところでひろ、三春ちゃんは?」
「一緒に登校してきたんだよな。どこにいるんだ?」
「いや、俺の…」
辺りをキョロキョロ見回す二人の顔を見て、俺は言葉を続けるのを止めた。
理由は簡単。
この二人の行動が、あからさまに確信犯だったからに他ならないからである…。
「目の前にいるわ、バカ共!!」
「げぺっ」
「ぶっ」
そしてそれを見逃す筈もない我が幼馴染みの蹴りが二人の側頭部を直撃、床に沈める。
直撃の際、何やら鈍い音が聞こえたのは、きっと気のせいだろう…。
つか、三春。跳び二段回し蹴りなんて高度な技、いつ覚えたよ…。
「は〜い、HRを始めますから席に着いて下さ〜い」
そして、二人が床に叩き伏せられたのと時を同じくして、三春と同じくらいの背格好の少女が現れ、声を張り上げる。
先ほど言っていた我らがクラス担任、フォーちゃんことフォール先生の登場だ。
その姿を見るや、あちこちに散っていたクラスメイト達は一斉に自分の席へと向かっていく。
「ほら弘前、行くわよ?」
「え? あ、あぁ…」
床で眠りについている二人をそのまま放置し、俺は三春に引き摺られる様にして自分の席へとつくのだった。
「それでは、出席を…アルバン君、ランド君。そんな所で寝ていないで、早く席について下さい」
先生の声に反応し、ランドはゆっくりと起き上がる。
それに少し遅れるように、アルも起き上がるが、ある一点を見据え、その動きを止める。
「フォール先生、一ついいですか?」
「はい、どうぞ」
「教員が苺パンツというのは如何なものk…」
全てを言い終える前に、アルは再び床に叩き伏せられる。
…頭から床に突っ込んだのは、きっと見間違いだと信じたい。
「ふぅ…。それじゃ、出席をとりますね♪」
『…』
そして何事もなかったかの様に、俺達のクラス 盾組のHRは進行され、今日もまた、ここでの生活が幕を開けるのであった。