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8話 夢と現実

「ん、まぶしい……?」


 わずかに開いたカーテンの隙間から、顔に朝日がさし込む。

 寝ぼけ眼をしぱしぱさせながら、マーヤはむくりと起き上がった。

 

「ここ、どこ?」


 西向きの窓しかない、マーヤの部屋じゃないことは確かだ。

 ぐるりと見渡せば、古びた教会には縁がなさそうな、モダンな調度品が目に入る。

 ぎょっとして、飛び上がった瞬間、マーヤはベッドから落ちた。


「いたた……!」


 腰をさすっている内に、何かがひらりと枕元から床へ舞い降りてしまったが、マーヤは気づかなかった。

 それよりも、しわのよったシーツを見て、やっと思い出す。


「そうだ! あたし、クリスさんと一夜を……!」


 酔った末の痴態が、マーヤの脳内で再生され、体中の血が沸騰する。

 しかし、相手をしてくれたクリスは、もういなかった。

 

「きっと、仕事に行ったんだ。忙しいって、言ってたもんね」


 マーヤもいつまでも、ゆっくりしてはいられない。

 シスターがうまく誤魔化してくれても、朝帰りまでは想定していないだろう。


 カーテンを開けると、街の通りはまだ閑散としていた。

 そこへ昇りたての太陽が、家々の屋根へ透明な光を投げかけている。

 めずらしく雲ひとつない、晩秋にしては晴れやかな朝だった。


「今日は、いい天気になりそう!」


 シーツを洗って干すには、最適だ。

 折りたたまれていたワンピースを着て、マフラーを首に巻くと、マーヤは部屋を出た。

 一階まで降りると受付があり、壮年の男性が予約票を確認している。

 マーヤはおずおずと話しかけた。


「すみません。このレストランの一泊の料金って、おいくらですか?」

「一泊? もしかして、仮眠ベッドが置いてある、個室のことかい?」

 

 こくこくと頷く。

 ポシェットの中にあるお金を、全部出しても足りないかもしれない。

 どうしようか、と悩むマーヤを、男性は笑い飛ばした。


「あそこは、年間契約で貸し出されているから、払う必要はないよ」

「え……!?」


 驚きで、マーヤの口がぽかんと開く。

 その表情が面白かったのか、男性は追加の情報を教えてくれた。


「どこかの心配性な父親が、いつ眠くなるかわからん息子のために、あの部屋を用意させているんだ」

「クリスさんのお父さんが……クリスさんのために……」


 仕事を巡って意見の相違はあるようだが、父子の仲はいいみたいだ。


(レモン鍋をつくってくれるお母さんに、心配して部屋を借りてくれるお父さん。クリスさんは温かい家庭で、育ったんだ)


 マーヤはなんだか、ホッとした。

 そのまま、レストランを出ようとするマーヤを、男性が呼び止める。


「お嬢ちゃん、朝食は食べていかないのかい? うちの手作りソーセージは、すりおろしたレモンピールが入っている、料理長ご自慢の逸品だよ」

「ありがとうございます。でも早く帰って、洗濯をしなくちゃいけないから!」


 元気に駆けていくマーヤの後ろ姿を、男性は手を振り見送った。

 あとで料理長から、どうしてそのまま帰したんだ、と叱られるとも知らずに。


 ◇◆◇◆


「クリストフ殿下、このような手紙が届きましたが……」


 困惑している若い書記官が差し出しているのは、クリスがマーヤへ宛てた封書だった。

 早朝、寝ているマーヤを起こすのが申し訳なくて、薄暗い中で文字を綴った。

 文面にはマーヤへの想いが、ぎっしりと込められている。

 それがどうして今、ここにあるのか。

 受け取って裏面を確認すると、封が切られていない。

 途端に、クリスの顔から、血の気がひいた。


「一体……なぜ?」

「料理長によりますと、朝食を部屋へ運んだ際には、お連れの方は出ていかれた後で……こちらが床に落ちていたと……」


 がくり、とクリスはうなだれる。

 料理長はもともと、王城の厨房で働いていた。

 当時から、いつか自分の店を持つのが夢だと語っていて、街の一等地にあるあのレストランは、そんな彼女が退職金で手に入れた自慢の店なのだ。

 そして料理長は、あのレストランの中で唯一、クリスの身分を知っている人物だった。

 だからこそ、ベッドへ残していくマーヤの世話を、頼んでいたのだが――。

 

「……料理長は悪くない。落ちるような場所に、手紙を置いた私のミスだ」

 

 寝ているマーヤの頬にキスをして、その横に置いてきた。

 仕事に行かなくてはならない、自分の代わりに。

 クリスはペーパーナイフを使い、丁寧に封を破る。


『愛しいマーヤさんへ』


 その言葉から始まった手紙には、出会えた奇跡への感謝、一夜をともに過ごした歓び、そして最後に――。


『必ず会いに行くから、待っていて欲しい』


 マーヤへ届かなかった、締めくくりの文面を、クリスは指でなぞる。

 料理長には、マーヤの住処を尋ねるよう、言付けていた。

 なるべく早く訪問し、クリスからプロポーズをする、と決めていたのだ。


「不義理をしてしまった」


 沈むクリスの様子に、心配顔の書記官が提案する。

 

「クリストフ殿下が依頼された指輪の完成まで、時間があります」


 それまでに、マーヤの住処を探してはどうか。

 城下の街に住む人々は多いが、いくつか手掛かりもある。

 諦めるのは、まだ早いと書記官は励ました。


 若い書記官の名前は、フラン。

 クリスにとっては、アカデミーの2つ下の後輩だ。

 在学中から、フランはその優秀さを評価されていて、昨年にアカデミーを卒業すると同時に、クリスの右腕として抜擢された。

 なんとかクリスの負担を減らしてやりたい王太子が、かなり強引に勧誘したらしいが、クリスに憧れていたフランは、これを二つ返事で了承したという。

 

「そうだな。これからは私も、仕事量を調整して――」


 そう話していた矢先、王城全体を揺るがす、悪い知らせが飛び込んでくる。


「大変です! 辺境から急使が……!」


 ◇◆◇◆


 夢のような一夜を過ごしてから数日後、礼拝が始まる前に、マーヤは石像裏の暗幕に隠れようとしていた。

 

(もしかしたら今日、クリスさんが来るかもしれない)

 

 そんな期待を胸に秘めて。

 ところが、ささやき様の石像の前では、パトリックが右往左往している。


「あれ、司教様? どうしたんですか?」

「先ほど気づいたんだが、尻尾の根元にひびが入っているんだ」


 ささやき様の石像は、造られてから数百年が経っている。

 ところどころ欠けたりもしているが、ひびが入るのは初めてらしい。


「え!? ささやき様の尻尾、折れちゃうんですか!?」

「そうなる前に修繕の依頼を出したいが、なにぶん今は財政難だし……」


 先立つものがない。


「信者が不安に思わないよう、とりあえずは隠しておくか」


 ポケットから取り出したハンカチを、パトリックは尻尾に巻いた。

 補強にもならないが、ないよりはいい。


「倹約して、お布施を貯めよう」


 パトリックの言葉に、マーヤは責任を感じる。

 信者の減少は止まらない。

 片や新教会の信者数は、増加の一途をたどっていた。


「あたし、もっと頑張ります!」


 拳を握りしめるマーヤの肩に、パトリックは優しく手を置いた。


「マーヤばかりに、苦労をさせるつもりはないよ。僕とシスターたちで、新たな作戦を考えたんだ」


 パトリックとシスターたちの作戦は、『新教会の人気の秘密を探ろう作戦』というらしい。

 説明されなくても、なんとなく概要がわかる。

 

「なんか……そのまんまの名前なんですね」

「いいだろう?」


 パトリックは、この作戦名が気に入っているようで、満足げだった。


「シスターが変装して、新教会のライブに潜入する」

「らいぶ?」


 初めて聞く言葉だ。


「あちらさんが祀っている歌聖女は、いわば現人神」


 何百年も前に顕現して以降、姿を隠したささやき様と違い、彼女は今の時代を生きている。


「ライブというのは、歌聖女による奉仕活動の一種で、信者の前で歌って踊って、元気パワーを付与する行為のことなんだ」

「げんきぱわー?」


 マーヤは首を傾げっぱなしだ。


「なんとも抽象的だろう? その謎を解明するために、シスターが実際に、体験するというわけだ」

「洗脳されたりは、しないんですよね?」


 新興宗教について、マーヤも勉強した。

 中には、あやしい秘薬を使って、信者を言いなりにさせる、危ないものもあった。


「下調べはしている。それに――」


 パトリックは声を潜める。


「どうやら、第三王子のローランド殿下が、新教会の信者のようでね」

「王子様が!?」

「ローランド殿下は未成年だから、あまり公の場には出てこないが、それでもれっきとした直系の王族だ。さすがに王族相手に、下手なことはしないはずだ」


 マーヤは納得してうなずく。

 

「ローランド殿下が信者になったあたりから、新教会の金回りがよくなった。最近では歌聖女を模した、大きな黄金の像が建てられたんだ」

「黄金の像……ですか」


 教会とはスケールが桁違いだ。

 マーヤはハンカチが巻かれた、ささやき様の尻尾を見る。

 こちらは修繕費の捻出すら、四苦八苦しているというのに。


「潜入するのに、シスターは変装していく。こちら側の人間だと、バレないようにね」

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