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2話 甘栗と黒糖くるみパン

 少年は気まずげな顔をする。


「今日はたまたま、抜け出せたんだ。でも、次もうまくいくとは限らない。……多分、ここでは会えない」


 マーヤの眉がしゅんと下がる。

 それを見て、少年が慌てた。


「だけど、君がノルドグレーン王国にいる限り、どこかで必ず会えるよ」

「必ず?」


 確信に満ちた少年の声に、マーヤの寂しさは和らぐ。

 その日を、楽しみに待とう。


(できれば次に会うまでに、職業が決まっているといいな)

 

 マーヤはバイバイと手を振った。

 少年も手を振り返し、裏口から帰っていく。

 颯爽としたその後ろ姿は、まるで王子様のようだった。


(あたしをタヌキに似てるって、からかわない男の子は初めてだった)


 名前を聞けばよかった。

 マーヤの胸のうちに、少年への淡い恋慕が生まれていた。


 ◇◆◇◆

 

 少年と出会ってから四年間、マーヤは諦めなかった。

 授業には欠かさず参加し、技術を身につけるべく頑張った。

 男の子たちに容姿をからかわれても、女の子たちにどんくさいと馬鹿にされても。

 いつか少年に再会したとき、堂々と胸を張れるように。


 だがマーヤは、とうとう職業訓練校を卒業する日まで、就職先が決まらなかった。

 校長先生に、「すまん」と頭を下げて、謝られてしまう。


「あたしにできる仕事は、ないってこと?」

 

 さすがに傷ついた。

 肩を落として、トボトボと教会へ帰る。

 ここに残っている孤児は、もうマーヤだけだった。


 (15才にもなって、居続けるわけにはいかない)

 

 近々、荷物をまとめて、出ていくのがいいだろう。

 お金も伝手も、ないけれど――。


「どうした? そんな暗い顔をして」


 明るくない未来を想像していたマーヤを心配するのは、教会を取り仕切る司教パトリックだ。

 四十路のわりに額はかなり後退し、つるんとしたゆで卵のような顔には、ちょこんと小さな丸メガネが乗っている。

 そして手には、大量の甘栗をかかえていた。

 マーヤはその出どころを知っている。


「司教様、お供え物の回収ですか?」

「今日の礼拝が終わったからな」


 この教会には信仰の対象として、キツネの石像が祀ってある。

 それは百尾の銀狐という、伝説の神獣を象ったものだ。

 ただし信者はみんな、愛称で呼んでいた。


『ささやき様』


 ノルドグレーン王国に危機が訪れたとき、百尾の銀狐はささやき声でお告げを授けるという。

 マーヤが初めてささやき様の存在を知ったのは、孤児になって教会に来た日だった。


「どうして、ささやき声なの? 小さすぎて、聞こえないかもしれないのに」


 当時9才のマーヤは、不思議に思った。

 ささやき様に関心を向けてもらったのが、パトリックは嬉しかったようだ。

 にっこり笑って、その質問に答える。


「ささやき様は、恥ずかしがり屋なのだよ」


 熱心な信者であるパトリックは、百尾なのに石像には一本しか尻尾がない理由も話し始めたが、そこにいたほとんどの孤児たちは興味がない様子だった。

 ただマーヤだけが、自分よりも少し大きな石像を、じっと見上げていた。


(今、何か聞こえたような……?)


 それから教会で生活する間に、ささやき様は甘栗が好きだとか、姿を現したのは700年も昔だとか、勇者と一緒に悪霊を退治したとか、いろいろな逸話をシスターたちに教えてもらう。

 パトリックほどではないが、やがてマーヤも、立派なささやき様の信者になった。


「ほら、甘栗をあげよう。元気を出しなさい」


 そう言って、司教はマーヤの手の上に、ゴロゴロと甘栗をのせる。

 香ばしい匂いが、ふんわりと鼻をくすぐった。

 

(本当は、お手伝いをしたときだけもらえる、ご褒美なのに)


 パトリックの気遣いに、心が温かくなる。

 打ち明けるなら今しかない。

 勇気がしぼんでしまわないうちに、マーヤは口を開いた。


「司教様、ごめんなさい。あたし、就職できませんでした!」


 五年間も職業訓練校に通わせてもらったのに。

 情けなくて、マーヤは唇を噛む。

 きっと呆れられるだろう。

 しかし予想に反して、パトリックからは笑い声が返ってきた。


「ははっ、そんなことか」


 マーヤにとっては、人生を左右する一大事だ。

 それを笑い飛ばすなんて。

 マーヤは丸い頬をふくらませ、パトリックに突進する。


「司教様! どうして笑うんですか!」

「僕がどれだけ長い間、マーヤを見てきたと思っているんだい?」


 パトリックはぷんぷん怒っているマーヤをなだめる。


「こうなる未来は、わかっていた。ちゃんと手は打ってある」

「え!?」


 まさかマーヤの就職先を、探してくれたのか。

 駄々をこねる幼子みたいに、ぽかぽか叩いて悪いことをした。

 期待のこもった瞳で、マーヤはパトリックを見上げる。


「シスターたちに聞いてごらん。今頃はすべて、準備が終わっているだろう」


 ぱあっと明るい表情になったマーヤを、見つめるパトリックの瞳は優しい。


「ここまでよく頑張ったね」


 仲間であるはずの孤児たちから除け者にされ、職業訓練校でも多くの専門家にさじを投げられた。

 そんなマーヤの長所を、パトリックやシスターたちは知っている。

 だからこそ、これが最適だと判断した。


「シスターのところに、行っていいですか?」


 マーヤの黒目が、きらきらと輝いている。

 待ち遠しくて足踏みをしている様子に、パトリックは吹き出しそうになる。

 さっきまで、大雨に降られた濡れタヌキのように、しょぼくれていたのに。

 

「もちろん。きっと歓迎してくれる」

「はい!」


 教会内は駆け足禁止だ。

 走り出したい気持ちを抑え、できるだけ早足で歩く。

 トトトトト……という足音に、今度こそパトリックは笑いを堪えられなかった。


 将来を悲観していたマーヤだったが、シスターたちから新しい修道服を贈られる。

 シスター見習いとして、引き続き教会で暮らせると聞き、マーヤは飛び上がって歓喜した。

 ささやき様にお仕えできるのは、名誉で幸せなことだからだ。

 

「あたし、何もできないけど、いいんですか?」


 そんなマーヤの心配を、三人のシスターたちは笑い飛ばす。


「大事なのは信心よ」

「それにマーヤは、誰よりも健康でしょう?」

「私たちの年齢になると、それがどれだけ素晴らしい才能なのか、やっとわかるのよ」


 シスターたちの正確な年齢は、誰も知らない。

 

「これから三年間、マーヤは見習いとして、私たちから指導を受けるのよ」

「その期間をつとめ終えたら、晴れてシスターの仲間入り」

「マーヤならできるわ。一緒に研鑽していきましょう」


 いきなり多くの孤児の面倒をみる羽目になった、敬虔なシスターたち。

 出自はさまざまだが、未婚であるのは共通している。

 子育ての経験もなく、不慣れの連続で、大変だったに違いない。

 それでも、年の離れた姉のように、マーヤに寄り添ってくれた。


 そんなシスターたちに、新たな門出を祝ってもらう。

 マーヤは胸がいっぱいになった。

 

「これからも、よろしくお願いします!」


 輝かしい明日が待っている。

 そう感じられた。


 ◇◆◇◆


 マーヤがドジっ子であるのは、すでにシスターたちの知るところだ。

 洗濯したばかりのシーツをかかえて転んで泥だらけにしても、落ち葉焚きでさつまいもを真っ黒に焦がしても、「怪我はなかった?」「火傷はしてない?」と案じてくれる。


「大丈夫です……!」

 

 甘やかされるままでは駄目だ、とマーヤは自戒して頑張るが、だいたいは空回りに終わる。

 今日もおつかいを頼まれて街に出たが、目当ての黒糖くるみパンは完売していた。

 パトリックの好物を買い逃し、マーヤは頭をかかえる。


「あたしって、どうしてこうなの……」

「マーヤ?」


 パン屋の前でうなだれていると、聞き覚えのある声がした。

 嫌な予感とともに振り向くと、マーヤをいじめていた年下の女の子、サンドラがそこに立っていた。

 赤い巻き毛と赤い瞳、かわいい顔立ちをしていて、男の子たちには人気があった。

 だが、マーヤへのあたりは厳しいものだった。


「あんた、修道服を着てるってことは、どこにも就職できなかったのね。あまりにかわいそうで、教会が引き取ってくれたわけ?」

 

 サンドラは口元に、せせら笑いを浮かべている。

 これ以上、嘲りを聞きたくなかったマーヤは、くるりと背を向けた。

 しかしサンドラは、それを許さない。


「マーヤ! 私ね、養子になるの!」

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