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10話 赤と黒

「なんだと!? とても30代には見えない、フケ顔の若造が偉そうに!」

「私がフケ顔!? そういうあなたこそ、若ハゲでしょう!」

「僕はもともと、額が広めなんだ!」

「生まれたときから、若ハゲだったんですね? それはそれは、ご愁傷様です」


 大人しく話し合いをしているはずの応接室から、口汚い罵り合いが聞こえる。

 壁に耳をつけていたマーヤは、これ以上の立ち聞きは必要ないと判断した。


「子ども同士のけんかみたい」


 そのうちに、バンと扉が開く音がして、つかつかと誰かが去っていく。

 腹を立てたブロームが、帰ったのだろう。

 続けて、憤懣やるかたないといった表情の、パトリックも応接室から出てきた。

 マーヤの後ろに控えていたバーバラが、くすりと笑う。


「ほらね、大丈夫だったでしょう?」

「『新教会の人気の秘密を探ろう作戦』について、あまり追求されませんでしたね」


 ブロームはエミリアを、スパイと言った。

 なんらかの報復があるのではないか、とマーヤは危惧していたのだ。

 ぽん、とバーバラがマーヤの背を叩く。


「これだけ差がついてしまえば、新教会にとって教会は脅威ではないわ」


 わざと縁の欠けたティーカップで供したのも、こちらを侮ってもらうためだ。

 ブロームは間違いなく、教会を取るに足らない相手だと判断しただろう。

 だからもう心配はいらない、とバーバラはマーヤをなだめる。


「直接的でない、水面下のかけひきは得意なの」


 パチン、とバーバラがウインクした。

 その余裕のある態度に、マーヤは安心する。

 ところが、これでは終われない者がいた。


「マーヤ、今度は僕と一緒に、ライブに乗り込もう! 『新教会のあくどい手口を暴く会』を結成するぞ!」


 ブロームにからかわれた広い額を、真っ赤にして騒いでいる――パトリックだった。


 ◇◆◇◆

 

「首尾は上々か?」


 教会から戻ってきたブロームに、ヴィヴィが声をかけた。

 いつもはピンク色をしている瞳が、なぜか今は赤く光っている。


「これは……シーデーン様!」


 ブロームはプライドの高い男だが、すぐにその場に跪く。

 相手は決して、逆らってはならない存在だ。


「先ほど、教会をこの目で見てきました。さびれた建物と愚かな司教、ろくに信者もおらず、閑散としていました」

「いい気味だ」


 ヴィヴィの細い喉が震えて、クッと声がもれた。

 美少女と評される顔には、ひどく利己的な笑みが浮かぶ。


「あやつから奪えるものは、徹底的に奪え」

「シーデーン様の御心のままに」


 ヴィヴィの瞳が、元の色へ戻る。

 同時に、今までブロームが感じていた圧が、ふっと消えた。


 ◇◆◇◆


 ブロームの急な訪問から数日後、今日は礼拝の日だ。

 

「あれって、もしかして……!?」


 ささやき様の石像の後ろの暗幕には、信者の様子を覗くための切れ目がある。

 隠れていたマーヤは、そこへ黒目を押し付けた。


「間違いない! クリスさんだ!」


 信者が次々に席に着く。

 その中にひときわ背が高い、フードをかぶった男性がいた。

 あの日のままの姿だが、どこか元気が感じられない。


「不眠症、治ってないんだ」


 だからこそ、教会へ来たのだろう。

 マーヤはぐっと、拳を握りしめた。

 

「今こそ、あたしの入眠パワーを、発揮するとき!」


 頑張ろう。

 いつも通り、心を込めて。

 ささやき様に、なりきって。

 クリスへの、想いを胸に。


(礼拝が終わったら、クリスさんに声をかけてみよう)

 

 深呼吸をしたマーヤは、静かに信者へ語りかけた。


『……聞こえ、ますか?』


 ゆるくカーブした天井から、その声は降ってくる。

 クリスの体がぴくりと反応した。


(マーヤさんに、似ている)


 顔をあげて、ささやき様の石像を見る。

 もちろん石像の口は、動いていない。

 誰かがどこかから、この声を発しているのだ。


『はるか昔、人々の英気を吸い取る悪霊が現れ――』

 

 台の上に鎮座する百尾の銀狐は、伝説の神獣らしく聖なる雰囲気をまとっている。

 だが堂内に響く声は、若々しい女性のものだ。


『勇者に追いつめられた悪霊は、辺境の地へと逃げ――』


 クリスの頭が、がくりと垂れる。

 今まさに、そのせいで忙殺されていた。


(勇者とささやき様によって、悪霊は洞穴へ封じられた。その入り口を塞いでいた大岩が、落雷によって割れたなんて)


 しかも、普段は誰も近づかない場所にあるから、発覚が遅れた。

 すでにこの世へ、悪霊が解き放たれたかもしれない、という凶報がもたらされて以来、王城は大騒ぎだ。

 真っ先に、討伐へ向かおうとした王太子を、クリスはなんとか押しとどめた。


(悪霊には実体がない。闇雲に対峙して、勝てる相手ではない)

 

 さらには昔と違って、勇者とささやき様のサポートもない。

 クリスは古き言い伝えが書き記された文献を紐解き、まずは悪霊にまつわる情報を集めた。

 

(そこから……役立つものを、厳選して……)


 いつもは目まぐるしい思考回路が、だんだん緩やかになる。

 クリスの耳には、今もささやき声が届いているが、すでに意味は理解できない。

 

(どうしてしまったんだ……私は……)


 そこでクリスの意識は途切れた。

 周囲の信者たちも、ぐっすり眠っている。

 おそらく起きているのは、暗幕の中のマーヤだけ。


「クリスさん、おやすみなさい」


 ◇◆◇◆


 しばらくすると、一人、また一人と目を覚ます。


「今日もよく寝たなあ!」

「頭がすっきりしたよ」


 そんな信者の声で、クリスもハッと覚醒する。


「まさか私は、寝ていたのか?」


 柱時計を見ると、思ったより時間が進んでいる。

 記憶が抜け落ちている分、熟睡していたのだろう。

 

「藁にも縋る思いで、やってきたが……」

 

 連日の激務のせいで続いていた、頭蓋骨が割れそうな痛みも治まっている。

 まるで疲れ切った脳の中を、清浄な風が吹き抜けたようだ。


「こんな感覚は、いつぶりだろう」

 

 自然と、クリスの口角が持ち上がった。

 ここに来たときより、顔色もいい。


「マーヤさんのおかげだ」


 そんなクリスの笑顔を、マーヤは暗幕の切れ目から覗いていた。


「クリスさん、ちょっと元気になったみたい」


 礼拝後、いつもはしょんぼりするマーヤだが、今日は違う。

 大好きなクリスの役に立てた。

 それが嬉しくて、マーヤの頬がゆるむ。


「よかった……」


 起きた信者たちはそれぞれ、ささやき様に好物の甘栗を供えたり、パトリックが首から下げた箱へ浄財を入れたり、帰る準備をしている。

 

「クリスさんを、見失っちゃう!」


 マーヤはまだ暗幕から出られない。

 ハラハラしながら、堂内の様子をうかがう。

 ぞろぞろと退席していく信者たちの、最後尾あたりにクリスはいた。

 懐へ手を入れ、そこから財布を取り出している。

 そして、出口付近にいた、パトリックへと近づいていった。


「お布施をしてくれるんだ」


 箱の中にどれだけ入れたのか、マーヤの位置からは見えなかったが、パトリックが大仰に驚いている。


「もしかして、たくさん入れてくれたのかな?」


 マーヤはささやき様の尻尾を見た。

 そこには、相変わらずパトリックのハンカチが巻かれている。


「ささやき様、必ず修繕しますからね」


 ひびが入った尻尾は、痛々しい。

 思わず撫でそうになった手を、マーヤは慌てて引っ込めた。


「いけない! 触ったら、折れるかもしれないんだった!」


 特にマーヤは、なんでも壊す名人だ。

 もっと気をつけなくては。


「あ~、危なかった!」


 冷や汗をかいていると、堂内から人けがなくなったのを感じる。

 そろり、とマーヤは暗幕をまくり上げた。


「まだクリスさんは、教会の敷地内にいるはず」


 速足で追いかけよう。

 そう思って身を乗り出したマーヤの前に、興奮したパトリックが駆け寄ってきた。


「マーヤ! やったぞ!」

「司教様、ちょっとあたし、急いでるんで」


 話は後で聞きます、と続けたかったマーヤの言葉は、二度と口から出てこなかった。

 なぜなら――。


「お忍びで来ていたクリストフ殿下が、こんなにお布施をしてくれた! これだけあれば、ささやき様の尻尾の修繕を依頼できる!」

「クリス……トフ殿下?」

「フードをかぶった、背の高い男性がいただろう? あの方が第二王子の、クリストフ殿下だよ」


 じわ、っとマーヤの黒目が潤む。


(嘘! 嘘でしょ!?)


 11歳で初めて恋をした。

 相手は王子様かもしれない、手の届かない人だった。

 孤児のマーヤには、諦めるしかない恋だった。

 そして、20歳でクリスと一夜をともにした。

 今度こそ、と思っていた矢先だ。


(あたしが好きになったのは、また、王子様だったってこと?)


 また、叶わないのか。

 また、諦めなくてはならないのか。

 そんなマーヤの心の悲鳴は、喉をつまらせる。

 重たくなった箱に有頂天のパトリックは、それに気づかない。


「僕は何度か登城しているから、クリストフ殿下とも顔を合わせたことがあるんだ。いつもお忙しいと聞いていたから、まさか礼拝に来てくれるなんて思ってもみなかったよ」


 マーヤの足は、重石がついたように、動かなかった。

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