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第53話 自分の心によって。

「何だ?」


 オイゲンが腰に吊るした剣の柄に手をかけた。

 入口の警備兵たちの制止を振り切って、誰かが向かって来るのが見える。

 ミカは自分のほうへかけて来るその姿を、瞬きもせずにジッと見守っていた。

 なぜ? という思いと、必ずこうなるはずだという思いが同時にわき起こり、胸をいっぱいに満たす。


「トビィ……」


 トビィはミカの腕を掴むと、オイゲンから引き離した。

 そうしてミカを庇うように前に立ちふさがる。


「トビィ、何のつもりだ」


 オイゲンはかろうじて驚愕を圧し殺し、低い声で問いかける。


「自分が何をしているか、わかっているのか」


 トビィはミカを背に庇い、構えた銃口をオイゲンへ向ける。全身から、その場を圧するような気迫がみなぎり、下手な動きをすれば相手が誰であろうと容赦なく撃つつもりであることがはっきりと伝わってきた。


「お前の後ろにいる者は、ルウェル様にとっての敵、ルグヴィア公家の反逆者だ。お前は、ルグヴィアに剣と銃を捧げたのではなかったか。誓いを忘れたのか、トビィ!」


 怒りに満ちたオイゲンの言葉を、トビィは臆することなく跳ね返した。


「祖国への裏切りだというそしりは甘んじて受けます。でも……それでも、私は自分が守るべきものを守ります」

「トビィ! お前、何しているんだよ」


 涙まじりの声でそう言い、ミカはトビィの服の裾を引く。


「俺の言ったことを真に受けているのか? 馬鹿じゃねえか。あんなの……お前をからかっただけだ。お前はルグヴィアの、公爵さまの銃剣士だろ!」

「ミカに言われたからじゃ……ない」


 トビィは前を向いたまま、ここではない、どこか別の場所にいる人間に相対しているかのように言った。


「わかったの、自分が何のためにここに存在しているのか」


 オイゲンは自分の目の前に立つ部下の顔を、ジッと見つめる。

 その眼差しから怒りや驚き、動揺が消えた。


「説得は無駄、ということか」


 オイゲンが剣を抜き、構える。

 にらみ合う二人を中心にして、広間には緊迫した空気が張りつめた。

 入り口からやって来た警備兵も、二人の間に割って入ることはおろか、身動きすることすら出来ずにいる。対峙する二人の姿を固唾を飲んで見守るだけだ。

 シンと静まり返った中、剣を構えたオイゲンが足を踏み出そうとした。

 その時。


「オイゲン、止めろ」


 落ち着いた声が、二人の剣士の間に生まれた破裂寸前まで膨張した空気を一瞬で鎮めた。

 トビィもオイゲンも、ハッとして声の主のほうへ振り返る。

 公座にいるルウェルがオイゲンを手で制し、剣を収めるように合図を送った。

 オイゲンは剣を鞘に収めると、その場でルウェルに向かい拝礼する。

 ルウェルはオイゲンに向かって軽く頷くと、視線を転じた。


「トビィ」


 呼びかけられ、トビィは銃を持ったままルウェルのほうを向く。

 抜き身の銃を持ったまま主君に相対するなど、銃剣士としてはありうべからざることだった。

 ルウェルは静かな声で、長年自分に仕えてきた少女に話しかける。


「先ほど、お前が言ったことは本当か? 我らの祖国より守らなければならない者が出来たというのは」


 ルウェルは揺らぎのない声で続けた。


「銃剣士の誓いを捨てるのか?」


 ルウェルの顔に真摯な眼差しを向けて、トビィは答える。


「ルウェルさま、私は銃剣士として、祖国ルグヴィアと公爵たるあなたにこの身を捧げる誓いを立てました。その誓いを破ることは、過去の歴史の中でこれまでの銃剣士たちが培ってきた祖国への忠義、名誉、信頼を傷つける行為だと、銃剣士という存在自体の意味を揺るがす行いだと、そうわかっています」

「わかっていてもお前の決心は変わらないか」


 トビィは口をつぐんだ。

 それからルウェルに、というよりは、自分の心の中にあるものの輪郭を確かめるように言った。

 

「私は自分が何者であるか、自分の心によって決めました。これから先、ミカを傷つけるものはこの国そのものが相手でも戦うつもりです」

「わかった」


 ルウェルは、特に感情の昂りのない、淡々とした声音で言葉を紡いだ。


「では、私はお前に授けた剣と銃を自らの手に取り戻さなければなるまい。お前は、銃剣士としての名誉を汚したとして地位を剥奪される。それで良いのだな?」


 トビィは、自分の手の中にある銃に視線を向ける。

 もし自分の決断にわずかでも迷いがあるとしたら、それは銃と剣を手放さなければならないことだ。

「命を賭けて祖国と公家を守る」

 そう誓った瞬間から、銃と剣を手放したこと片時もなかった。それはただの道具ではなく、文字通り自分自身の一部だったものだ。

 銃身には、いくつもの傷がついている。そのひとつひとつがトビィにとって、銃剣士としての名誉を守り責務を果たしてきた証だった。

 トビィは青みを帯びて鈍く輝く銃身に、ソッと手を滑らせる。

 銃剣士に叙任されてからの様々な記憶が、心の中に浮かび上がった。


(さようなら)


 その回想の終わりに心に浮かんだ言葉が自分の思いなのか、それとも何者かから自分への惜別の言葉なのか。わからなかった。

 わからないままトビィは頷き、公座のほうへ歩き出した。


「トビィ」


 慌てて追いすがろうとしたミカの腕をオイゲンが掴んで引き留める。

 反射的に振り払おうとしたが、オイゲンの腕はビクともしない。

 怒りに満ちた眼差しを向けられて、オイゲンは黙って首を振る。

 ミカが見ている前で、トビィはルウェルの正面に片膝をついた。揃えた両手の上に銃と剣を横たえ、ルウェルが手に取れるように高く捧げる。


「ルグヴィアを守るために殿下より授かった銃と剣を、ただ今返上いたします」

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