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第52話 何もかも奪わないで欲しかった。

 公爵など……そんなものになったところで他人に利用されるだけの人生であることは変わらない。何かが変わることもないし、何を変えることもできない。

 そうわかっていた。

 それなのに、なぜ三年前のあの日、グランヴァルドの手を取り公爵位を求めたのか。

 ミカは、嗚咽が漏れないように口に手の甲を当てる。


「どれだけ、何でもしてやる、お前のためなら何だってできるって言っても……俺が、俺の差し出せるものを全部差し出しても、あなたがひと言言うだけであいつはルグヴィアに帰っちまう。俺がこの国やあなたのために邪魔だと思ったら、俺のことだって殺す。それで、いつか俺がいたってことも忘れる。……それが当然なんだ、あいつは公爵さまの銃剣士なんだから。そんなことはわかっている。わかっているけれど、どうしようもないくらい……悔しかった。何でお前らは、何もかも俺から奪うんだ。一個くらい、一個くらい俺にも残してくれたっていいだろ、ってそう思ったんだ」


 ミカは固く握りしめた拳で、頬を流れる涙をぬぐった。


「こんなクソみたいな人生の中で、俺が唯一なくしたくないと思ったもの、尊いと思ったもの。それがあなたがひと言、命令するだけで簡単に壊れる。俺がどんなに願っても、俺の全部を捧げても手に入れることはできない。あなたが公爵で、俺がそうじゃないっていうだけで。

 そのことが悔しくて……どうしても許せなかった。あなたのことも、この国のことも、自分の運命も、この世界の全部が憎いと思った。いっそ全部、壊れちまえばいい。そう思ったんだ」


 自分が不遇な境遇に落とされたことは、目の前の青年のせいではない。

 ルウェルも名ばかりの公爵という地位を押し付けられ、利用価値がなくなればその地位を追われる。

 力ある者たちに利用されるだけの人生だ。

 わかっていても、公爵になりたかった。

 公爵でいる間だけは、トビィがいつか自分の下へ来ると夢見ることができた。


 自分の真情を、自分とよく似た面差しを持つ目の前の公爵だけが理解している。

 何故か、ルウェルの心を目の前に差し出されたかのようにそれがわかった。

 長い間わだかまっていたものが涙と共に流れ去り消えていく。

 ミカは、ルウェルの青い瞳を真っすぐに見つめた。

 

「俺はあなたに感謝している。あなたは、俺の下へトビィを寄越してくれた」


 ルウェルはミカの顔から目を離さないまま、小さく頷いた。

 その表情は、言葉よりもずっと多くのものをミカに伝えた。


「俺は……三年前に選んだ道が間違っていたとは思えない。たぶん、何度戻っても同じことをする。だから、ここにたどり着くのが当たり前だ。これで良かったんだ」


 ミカは少し考えてから、付け加えた。


「トビィには……俺は独りで逃げたって伝えて欲しい」


 ルウェルは反射的に何か言いかけたが、すぐに思い直したように別の言葉を口にする。


「あなたがそうして欲しいと言うなら」

「頼む」


 ミカはそう言うと口をつぐんだ。

 脇に控えていたオイゲンが、丁重な仕草でミカの腕を取る。


「殿下、こちらへ。ご案内いたします」


 ミカは逆らわず、踵を返した。

 ミライカ・アレイスは、ルグヴィア公子を僭称して国を乗っ取ろうとした反逆者として歴史に名前を残す。

 自分が何を考えていたか。

 本当はどんな人間だったか。

 仮に覚えられていたとしても、それはごく短い間だけだ。

「本当の自分」などというものは、そのうち跡形もなく消えてなくなるだろう。

 以前は、そんな風に自分を扱う世界のすべてを憎んでいた。

 そんな世界など消えてなくなればいい。

 そう思っていた。

 今は、自分が薄汚い悪党であればあるほど、公座を回復したルウェルが讃えられ、国内外の貴族たちの付け入る隙はなくなる。そのことに安堵している。

 ルウェルの治世が安定すれば、トビィも銃剣士として憂いなく人生を歩むことが出来る。


 脳裏に思い浮かぶトビィの姿は、どんな敵に対しても昂然と頭をもたげ対峙する銃剣士としての姿だ。

 自分を守ろうとするトビィの姿を見ると、いつも今までの人生で感じたことがないような泣きたくなるような切ない気持ちと、もう大丈夫だと思う安心感を同時に覚えた。


 ミカはオイゲンに促されるまま、歩き出そうとした。

 その時。

 広間の入り口のほうがにわかに騒がしくなる。

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