第51話 憎んでいるんだと思っていた。
駄目だ、行かせては。
あの人は私が守るべきもの。
私はそのために銃剣士になった。
眠っては駄目だ。
眠っては……。
体からは急速に力が抜けていき、必死に自らを叱咤する声も少しずつ遠退いていく。
トビィは固く唇を食い縛る。痛みによって意識をどうにか保つと口の中に手を入れ、置いてあった木の器に胃の中のものを吐き出した。
体内に薬湯を残さないために、水を飲んでは吐くことを繰り返す。
ようやく意識が覚醒すると、トビィは銃と剣を手に取った。
9.
部屋の外には、銃剣士団の団長であるオイゲンが二人の部下と共に待っていた。
「待たせたな」
貴人に対する正式な拝礼の姿勢でいる三人に、ミカは静かに声をかける。
オイゲンは顔を上げ、丁寧な所作でミカを促した。
「殿下、どうぞこちらへ」
三人の銃剣士に付き添われて、ミカは公宮の回廊を進む。
広大な表回廊に出て、さらにその奥にある公位にある者の私的な謁見の間の前で、三人は立ち止まった。
オイゲンは両腕を上げたミカの体を丁重な手つきで改める。ミカは無表情のまま、されるがままになっていた。
一通り調べるとオイゲンは離れ、厳粛な面持ちで敬礼する。
ミカは特に感情の揺らぎを見せず、目の前にある扉のほうを向いた。
「ミライカ・アレイス殿下をお連れした」
オイゲンが室内にそう伝えると、両開きの扉がゆっくりと開いた。
ミカは促されるままに、室内の奥まで伸びる絨毯の上を歩き、広間の奥にある檀上の公座の前で足を止める。
目の前には、自分がいくつか年を重ねただけのような人物が腰かけていた。
三年前、ミカはこの男からルグヴィア公の地位を奪った。そして三年後のいま、同じ地位をこの男によって追われた。
目の前の男にとって、自分は忌まわしく、必ずや排除しなければならない存在のはずだ。
だがミカを見つめるルウェルの目に浮かんでいるのは、三年前とまったく変わらない、物静かで控え目な痛ましさと同情だけだった。
初めて会った時、このルウェルの眼差しを強く憎んだことをミカは思い出した。
あんなにも強烈に何かをこの世から消し去りたい、存在そのものを消滅させたいと思ったのは、生まれて初めてだった。
「公爵」
ミカは感情の抑制された静かな声で、公座にいるルウェルに呼びかける。
「時間をくれたことに礼を言う。あなたが処断を待ってくれたおかげで、トビィと話ができた」
ルウェルは微かに首を動かした。軽く頭を振ったようにも頷いたようにも見えた。
「トビィとは、どんな話を?」
問われてミカは、自分とよく似たルウェルの端整な顔から目線を逸らした。
しばらくの沈黙のあと、そのままの姿勢で呟いた。
「あなたに初めて会った時、『これから先の人生、一生閉じ込めてやる』って言ったよな。誰もいない暗い穴蔵の中に閉じ込めて、一生そこから出さないと」
ミカは何かここでにはない、もっと遠くにあるものを見るような眼差しで言った。
「あの時、俺はあなたのことを憎んでいると思っていた。憎くて憎くてたまらないんだ、って。あなたの父親のせいで俺が今の境遇になったからとか、あなたが俺の正当な地位を奪ったからとかじゃない。
俺みたいな人間は、何になろうがどこへ行こうが同じだ。公爵だろうが淫売だろうが誰かに利用されて、力を持つ奴らにいいように、モノみたいに扱われる。そいつらの都合で右から左へ動かされるだけだ。そんなことは公爵さまになる前から……あなたから公位を奪う前からわかっていた。だから……俺が公爵になるのが本当は正しいんだとか、この国を自分の物にしたかったとか、権力を握りたかったとか、そんなことを考えたわけじゃない」
一体、なぜこんなことを今さらルウェルに言うのか。
自分の中にある強い衝動の正体がわからず、ミカは唇を噛む。
その瞬間、瞳から涙が溢れた。
ミカは頬を乱暴にぬぐったが、それでも涙は止まらず、首筋まで濡らした。




