第50話 そのままのミカがいい。
「お前が『どうしてもそうしたい』って言うなら辞めてやってもいいぜ」
「そうしたいって?」
「いま、お前が言ったじゃねえか」
自分の中にうごめく感情を押さえつけるように、ミカは声を荒げた。
「他の奴に……誰にも俺を触らせたくないって。そう言ったよな?」
トビィは慌てて首を上下させる。
ミカはトビィの様子を観察してから、視線を明後日のほうへ向けた。
「お前が『どーーしても俺といたい。他の奴には絶対に渡したくない』って言うならしょうがねえ。淫売稼業をやめてやってもいい。そう言ってんだよ」
トビィは大きく瞳を見開いた。
ミカは頑なに横を向いていたが、時折トビィの様子を確認するように目線だけ動かし、トビィが穴があくほど自分のほうを凝視していることを見てとると顔を赤くして、再び横を向くことを繰り返す。
「い、嫌だって言うならいいぜ。俺はどっちでも構わねえんだからな。ただお前がどうしても俺といたいって言うから……」
ミカが言いかけた瞬間、トビィは叫んだ。
「ほんと?! 本当にこれからは一緒にいてくれるの?」
「お前な、急に飛びつくな」
そう言いながらも、ミカは勢いよくしがみついてきたトビィの体を抱きとめた。
しばらくそのままの姿勢でいた後、ミカはトビィの耳に唇を寄せる。
「俺は他の奴に触られねえように仕事をやめる。お前は公爵様の銃剣士をやめて、俺を守る。それでいいのか?」
耳元で囁かれた言葉に、トビィは何度も頷く。
「じゃあ、決まりだな。これからはそうやって二人で生きていこうぜ」
トビィはミカの胸に顔をうずめた。感際まり、言葉がうまく出てこなかった。
ミカは宥めるような手つきでトビィの背中を撫でながら、ぶっきらぼうな口調で言う。
「言っておくけどな、俺は男と寝る以外、何もできないからな。それを止めたらただのすっげえ役立たずだぞ。ヒモになってお前にぶら下がって、たまにご奉仕してやるくらいのことしかやんないからな」
「文句があるなら言ってみろ」と言いたげなミカの口調に懐かしさを覚えて、トビィは笑った。
「いいよ、しばらくは私の家の領地でのんびりして、それから後のことはゆっくり考えようよ」
「エリュアの女王だった俺が、田舎に行って畑いじりと家畜の世話をすんのかよ。やってらんねえな」
田舎にいるミカの姿を想像して、トビィは思わず笑みをこぼした。瞬間、指で額を弾かれる。
額を押さえて顔をあげると、目の前にミカの仏頂面があった。
「笑ってんじゃねえよ。お前が最初から『自分以外の誰かが俺に触るのが嫌だ、俺を誰にも渡したくない』ってちゃんと言ってりゃあ、こんなややこしいことにならなかったんだぞ」
「うん、そうだよね」
トビィは素直に頷いた。
「初めから言えばよかったね。私以外の誰にもミカに触って欲しくないんだって。それが凄く嫌なんだって。本当は、ずっと私とだけいて欲しいって」
「お前は素直じゃねえからな。俺に超惚れているくせによ」
ミカはまだ何か言い足りなさそうな不服な顔をしたまま、ふいっと横を向いた。その姿勢のまま、ふと独り言のように言った。
「トビィ、俺は今まで、色恋の駆け引きで飯を食ってきたけどよ、お前といるとなんつうかな、そういうのと全然違ってさ、すげえ安心すんだよ。なんかこう、ちゃんと守られているっていう感じがしてさ。前は、客の相手して何だかんだやらせて、人生なんてその繰り返しなだけで何の意味もねえなって思っていた。先のことなんて考えるだけでもだりぃ、ってな。
けど、お前と会ってからは次の日のことを考えるようになったんだ。明日はお前とどこに行こうかとか何を食おうかとか、そういうことをさ。お前といると、人生ってひょっとしてまんざら悪いもんでもねえのかな、ってそう思えるんだ」
「私もミカに会ってから、もし銃剣士じゃなかったらってよく考えるようになったよ。前はそんなこと、想像したこともなかったのに」
ミカは目元を弛めて笑った。
普段の気難し気な雰囲気が消え、金褐色の瞳に優しく柔らかい光が宿る。
「これからはずっと一緒だぞ、トビィ。お前はずっと俺のことを守るんだからな」
「うん」
ミカはトビィの頬を撫で、顔をジッと見つめた。
随分長いあいだそうしたあと、体を支え寝台に横になるように促した。
横になったトビィの体に毛布をかけると、ミカは立ち上がった。
トビィは手を反射的に手を伸ばして、ミカの服の裾を掴む。
ミカは自分の服をつかんだトビィの手を見て、呆れたような顔になった。
「んだよ、すぐ戻ってくるよ。お前と一緒になるために、済まさなきゃなんねえことがあるんだよ」
「私も行く」
起き上がろうとしたトビィを押しとどめるように、ミカは言葉を重ねる。
「アホなことを言うなよ。お前は早く体を治せ。それで、こんなとことっととおさらばしようぜ」
「うん……」
頷きながらも、胸の内の不安は一向に治まらない。
その気持ちをもう一度訴えようと口を開きかけた時、ミカが寝台の脇にある木の卓に何かを置いた。
トビィは首を伸ばしてそちらを見る。
そこには三年前、ミカからもらった銀色の腕輪が置いてあった。
特にそのことについては何も言わず、「ちゃんと薬を飲めよ」と言って外に出ようとしたミカに、トビィは声をかける。
「ミカ、この腕輪」
振り返ったミカに、トビィは言った。
「腕にはめてくれない?」
ミカの秀麗な顔に、一瞬惑うような翳りが射した。
だがトビィの不安を宥めるためか、戻って来て腕輪を手に取った。
「ミカ」
「何だよ?」
怪訝そうな顔をしたミカに向かって、トビィはかけ布で顔を半分隠しながら言った。
「あの……前みたいな感じじゃなくて……ミカに、して欲しい」
「は?」
「あ、あの……だから、貴族みたい、とかじゃなくて……その、今のそのままのミカに……」
「はあ?」
ミカは、言われている意味がよくわからないと言いたげに不可解そうな表情になる。
トビィはますます顔を赤くしながらも言った。
「ミカ、前に言っていたじゃん。『お前は公爵様の銃剣士だけど、今は俺の銃剣士だろ』って。そう言って欲しい……」
「な、何だよ、それ」
言われた瞬間、ミカも顔を赤くした。
「そんなこと言ったか?」
「言ったよ! お、お前は俺の銃剣士だ、って」
ミカは惑うように、トビィから視線をそらした。
だが気を取り直したように差し出されたトビィの手を取り、腕輪をはめる。
「お前は俺の銃剣士だからな。ちゃんと守れよ」
「うん」
素っ気なくつっけんどんな言い方が嬉しく、トビィはミカのほうへ顔を向けたまま頷く。
「ほら、もういいだろ。薬を飲んで寝ろよ」
トビィは差し出された薬湯を飲み、横になった。
急速に混濁していく意識の中でミカが自分の手を握り、ジッと見つめているのがわかった。
「トビィ、ありがとな」
薄れゆく意識の中で、ミカが囁く声が聞こえた。
うっすらと見えるミカの顔は、これまでに見たことがないほど優しく穏やかな笑みをたたえており、透き通るように美しかった。
「俺、お前に会えて……良かった」
ミカは、壊れ物でも扱うような仕草でトビィの手を寝台に置き毛布をかけると立ち上がる。
夢なのかうつつなのかわからない中で、ミカの背中が遠ざかっていく。
(ミカ……)
行かせては駄目だ。
急速に闇の中に沈んでいこうとする意識を叱咤するように、自分の中で何かが身をよじるようにして叫ぶ。




