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第49話 一緒にいてもいいの?

8.


 トビィの意識は、揺れる波間にもまれるように強い苦痛の中を漂っていた。

 その水面から時折顔をのぞかせると、ミカの心配そうな表情や、疲れ果てて寝台に置いた腕の中に顔をうめて眠っている様子がぼんやりと見えた。

 何度か苦痛と半覚醒の間を行き来した末に、重たい瞼を押し上げる。


「トビィ……!」


 視線を横に向けると、うっすらと涙が揺れる金褐色の瞳が目に入った。

 ミカの名前を呟こうとした瞬間、左の脇腹に強い痛みが走り、トビィは顔をしかめる。

 傷のある箇所に手を当てると、止血に用いるの薬布が当てられその上から包帯が巻かれている。


「馬鹿、動くな」


 慌てたように身を乗り出すミカの体ごしに、トビィは辺りを見回した。

 部屋の中は実用的な家具が置かれた簡素な作りになっている。公宮の警護の時に兵士が使う、詰所だろうと見て取れた。

 視線を戻すと、最前からずっとトビィのことを見ていたらしいミカは、顔を赤らめて素早く顔を背けた。


「ったく、お前はよ、何で急に出てくるんだよ」


 自分の中にうずまく感情を他に表す方法がないのか、ミカは過剰なまでに腹立だしそうに毒づく。


「薬師の奴が言っていたぞ。あと少しずれていたら臓物に傷がついて大変なことになっていたってな。……まあ、刺したのは俺だけどよ。ただそれもな、元はと言えばお前が……」


 自身の言葉に興奮してきたように振り返ったミカのほうへ、トビィは腕を伸ばした。

 薬の影響か体に力が入らずずり落ちそうになる上体を、ミカの体にしがみつくことで何とか支える。

 ミカは大きく瞳を見開いたあと、慌ててトビィの体に手を回して抱きとめた。

 ミカの体温が身体に伝わって来た瞬間、心の中で何かが決壊した。


「ミカ……っ!」


 次の瞬間、トビィは声を上げて泣き出した。


「ずっと……ずっと探していたんだよ! ミカが急にいなくなっちゃうから……! 何も言わないでいなくなって! 会えなくなっちゃったから!」


 トビィは、自分の涙で濡れたミカの服を握る手に力を込める。


「私、言ったじゃん、ベレス侯爵のところに行く時は必ず私のことを連れて行ってねって。それなのに、何で! 何で、何も言わないでいなくなったの? 喧嘩してそれっきりで……どこに行くとか、いつ戻って来るとか、私のことを怒っているのかどうなのか、何も、何も言ってくれないで!」


 ミカは戸惑ったように、自分の腕の中で泣き続けるトビィを見つめる。


「……何だよ、そんなこと」

「『そんなこと』……じゃない!」


 呟きながらもトビィは思う。

 誰よりも自分自身が「そんなこと」と思っていた。

 自分はルグヴィア公国の銃剣士ではないか。

 国のこと、主君のこと、銃剣士としての義務と責任だけを考えるのが当然だ。

 ミカが自分に何も言わずにいなくなったのは怒っているからではないか、ミカは自分のことをどう思っていたのか、今も覚えていてくれているのか、それとも忘れてしまったのか。

 そんなことはすべては下らない世迷い言だ。いつまでもこだわっていてはならない。

 そう思い、自分の気持ちを必死に押さえつけてきた。


 心の奥底に眠っていて、どうしても圧し殺すことができなかった思いを爆発させるかのように、トビィはミカにしがみつき子供のように泣き続けた。

 トビィが一向に泣き止まないことに困惑を覚えながら、ミカは視線をあらぬ方向に走らせてはまた別の方向に視線を戻す。


「何も言ってねえ……なんてことはねえ」


 困惑の余り呟いた自分の言葉に、ミカはハッとして頬を紅潮させた。だが次の瞬間には、そんな自分の高揚を誤魔化すように高慢な仕草で顎をそらす。


「そうだ、何も言ってないなんてことはねえぞ。俺は言ったぞ。お前に苦労はさせねえ、お前のためにデッカイ屋敷を建てて、食うものだって着るものだってエリュアで一番いいものを何だって取り寄せる。女王様みたいな暮らしをさせてやるぞって。そんで二人で楽しくやっていこうぜ、お前は俺のそばにいるだけでいい。だから、これからもいたきゃそうすればいいだろ、って。俺はそう言ったよな?」


 ミカの勢いに気圧されて、トビィは口ごもる。


「それは言っていたけど……」

「ほらみろ! 言ったじゃねえか」


 ミカは勝ち誇ったように声を大きくする。


「腕輪だって、ちゃんと貴族っぽく膝まづいてやっただろ。ずっとそばにいて欲しい、って言ってさ」


 トビィはミカの胸に顔をこすりつける。


「……そんなの、嫌だよ」

「は?」

「……ミカが他の人に触られるのを、そばで見ていなきゃならないなんて嫌だ。ベレス侯爵みたいな人に触られるのを見ていたり、呼び出されているのを見送るのも……凄く嫌だった」

「はあ?」


 ミカの顔に半ば困惑したような、半ば不可解そうな驚きが浮かんだ。


「そんなの……別にどうってもんでもねえだろ。全部金のためで、金さえもらえりゃあ触らすくらい当たり前なんだからよ。売れるのも今のうちだけだろうしな。だから、高値で売りつけているだけだろ? 体なんて減るもんでもねえし……何が気になるんだよ?」


 自分にとっては、売れるものが身体しかない。だから売る。

 それはミカにとって生きていく上で自明のことであり、トビィが何を気にしているのかさえわからなかった。


「なあ、トビィ……」


 トビィの顔を覗きこもうとして、ミカはハッとする。

 ミカは、これまで生きてきた中で常に相手を自分の気分のままに振り回し、ちやほやされ、機嫌を取られる側だった。

 それが今は、これまでに出会ってきた自分の機嫌を取り結ぼうとする人間のように、トビィに泣かれてうろたえ、あわてふためいて言い訳がましい言葉を並べている。

 しかもそんな状態を不本意に思うどころか、良しとしている。

 月晶宮一の娼妓、エリュアの女王が何たるザマだ。

 自分自身を叱咤するために、ミカは語気を強めた。


「つうか! 仕方ねえだろ。それが俺の仕事なんだからよ」

「わかっている」


 トビィは叫ぶように答えた。


「わかっているよ。ミカはずっと、そうやって……誰の助けも借りないで、自分だけの力で生きてきたって。そのことに、ただ知り合っただけの他人の私がどうこう言えることじゃない、ミカの生き方に口出しなんてできる筋合いはないから、何も言っちゃいけないって。わかっているの、それは。わかっているよ、わかっている。けど!」


 トビィはミカではない、別の者に言うように声を放つ。


「……でも、でも! どうしても嫌なの! 他のひとがミカに触るのが。それをそばで見ていなきゃならないのが。ただ黙って見ていなきゃいけなかったのが辛かった、凄く」


 ミカは呆気に取られて、うつむいたトビィを見る。

 言われた言葉をどう受けとるべきなのか。

 怒るべきなのか、喜ぶべきなのか。自分の理を説明してトビィを説得すべきなのか、それとも自分が考え直すべきなのか。

 何もかもがよくわからず、結果的にふて腐れたような投げやりな調子で言う。


「じゃあ、どうしろってんだよ? お前が俺を食わしてくれんのか? 公爵様の銃剣士を辞めてよ」


 トビィは泣くのを止めて顔を上げた。


「何だよ」


 うっすら染まったミカの顔を、トビィは涙の浮かんだ目で仰ぐように見つめる。


「いいの?」

「何がだよ?」

「仕事をやめて、私と一緒にいてもいいの?」

「そりゃあ……」


 トビィの真摯な眼差しに気圧され、ミカはまごついたように視線を辺りにさまよわす。

 無理やりのように尊大な顔つきになり、視線を横に向けた。

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