第47話 お前がそうするのか?
「……待てっ!」
銃剣士団の男が、不意にトビィの動きを手で制した。
トビィはハッとする。
男は思い悩むような眼差しを、目の前に立つミカに向けた。畏れを感じたかのようにすぐに目を伏せ、トビィのほうを向く。
「トビィ、このかたがルグヴィア公家の血筋を引かれていることは明らかだ。そのかたを我ら銃剣士団が手にかけるのは……ルグヴィアにとっても、ルウェル様の御名にとっても……取返しのつかない汚点になるのではないか」
「それは……」
口ごもるトビィを見て、自分と同じ迷いを抱えていると思ったのか、男は勢い込んで言う。
「オイゲン団長も、実際にこのかたに会えば必ずや考えを変えるだろう」
トビィは銃から手を放した。
その瞬間、胸の中がにわかには信じがたいほど強い安堵で満たされた。
我知らず、仲間の男にすがりつくように尋ねる。
「どうするの?」
「ベレス侯に引き渡す」
トビィは大きく目を見開く。
男はトビィの疑問を予想していのか、すぐに言葉を続けた。
「ルウェル様が公位に戻られた後、ベレス侯に兵を引かせるには保障が必要だ。そうでなければ、ベレス侯は協定を反古にし、公宮を占拠し続けるかもしれない」
男の言葉にトビィは何も言うことが出来なかった。
ミカを生かすためには、ザファルに引き渡すしかない。そうでなければアルフルーレが自分との関わりを残さないような方法で始末するだろう。
エリュアにいた頃。
ザファルにミカを渡すことは、トビィにとって他のどんなことよりも耐え難いことだった。
この三年の間、ザファルの下へ行ったミカを取り戻さなかったことをどれほど悔いたか。
三年前に時を戻せるなら、決してミカをザファルの手に渡したりなどしない。
だが……。
今はもう三年前の、あの時ではない。
ミカは一介の娼妓ではなく、ルウェルの血縁であることを明らかにしルグヴィアの公爵位を争う存在なのだ。
そう思いうつむいたその時、震えを帯びた声が耳に届いた。
「俺を……ザファルに渡す気か?」
トビィは顔を上げた。
衝撃と怒り、そしてそれ以上の何かで燃え上がった金褐色の瞳が真っすぐに自分に向けられていた。
「俺をザファルに……他の奴に渡すのか? お前が? お前がそうするのか?」
見ていると心が焼き尽くされそうなほど苦しいのに、目をそらすことが出来ない。
魅せられたようにトビィは、先ほどの諦念に満ちた様子が嘘のように怒りをほとばしらせる美しい青年の姿を見つめた。
「この先も……誰かに囲われて、そいつらの思いどおりに生きろって言うのか。お前が俺にそう言うのか?」
ミカは素早い動きで護身用の剣を手にし、鞘を払った。そうして鋭い刃を、自身の首に当てる。
「誰かのモノになる、これからもずっとそうやって生きるしかない。うんざりだ、そんなクソみたいな人生は」
ミカは怒りに満ちた声でそう叫ぶ。
「お前らがやらねえって言うなら、それでいい。自分で始末をつけてやる」
「殿下……っ!」
男の制止の声も構わず、ミカは首に当てた刃を引こうとした。
その瞬間、トビィは前へ飛び出した。
華奢なミカの体に飛びつき、抱きかかえるようにして動きを封じる。
「ふざけんな、放せ! 放せよ!」
ミカは叫び、狂ったように暴れた。
まるで今までの人生で、自分を押さえつけ縛めていたものを引きちぎろうとするかのようだった。
「お前は、公爵様のために俺を始末しに来たんじゃないのかよ! なら、そうすりゃあいいだろ! 死んでやるって言っているんだからよ!」
抱えてみるとミカの体は、三年前よりも成長し男らしいものになっている。
だが日頃から訓練を積み、この三年で実戦をくぐり抜けてきているトビィは、すぐにミカの動きを封じ剣を持つ手首を掴む。
その瞬間、不意にミカの動きが止まった。
今がどんな状況か。
自分たちがどんな立場に置かれているのか。
現実が遠くなっていく。
このまま、ミカの体を抱えてここから逃げ出したい。
薄れていく現実の代わりに、そんな考えが頭に浮かび全身に広がっていく。膨れ上がるその思いが心を圧迫し、体を内部から食い破りそうだ。
「ミカ……」
その名前を呼んだ瞬間、腕の中にあったミカの細身の体がビクリと震えた。
トビィはその背中に向かって、口を開こうとした。
その時。
にわかに部屋の入り口が騒がしくなった。
そちらへ気を取られたトビィがミカの動きを封ずる手をわずかに緩めたのと、ミカがトビィの手を全力で振り払おうとしたのはほとんど同時だった。
「放せって言っているだろ!」
ミカが叫んだ瞬間。
トビィは声にならない叫びを上げた。
灼熱の炎を当てられたような激痛が左の脇腹に走り、トビィは両手で脇腹を押さえる。みるみるうちに熱く粘度の高い液体が両手から溢れ、服を重く濡らした。
痛みに歯を食い縛りながら、トビィはよろめくように後退りする。
霞む視界に、呆然とした表情でたたずむミカの姿が映った。力を失ったその手から血に染まった短剣が滑り落ち、床にぶつかって乾いた音を立てた。
体に力が入らなくなり、トビィは床に座り込む。
内蔵まで刃は届いていないだろうが、出血量が多い。手先足先が急速に冷えていくのがわかる。
「トビィ……っ!」
倒れ込みそうになった瞬間、駆け寄ってきた誰かに上体を抱えられた。




