第44話 必ず災いの種になる。
ルグヴィアの公都であるルルドは、ルグヴィア国内では最も大きな都市だ。
だが豊かな国から見れば田舎町に毛が生えた程度の街であり、貿易の要衝であるエリュアとは比べものにならないほど人口も少なく規模も小さい。
公宮の周囲の大通り以外の道は舗装されておらず、道に行く人々の身なりも貴族、平民問わず素朴で野暮ったい。
ルウェルが追放されてから、トビィは情報収集のために何度か公都に潜入しており「ミライカ公」の噂を耳にしていた。
平民は自分たちの生活に支障がなければ、貴族同士のもめ事には大して関心を払わない。
統治者が誰であろうと、税と賦役が軽く、領内の治安が良ければそれでいい。
また形式の上では、ルウェルが正当な後継者としてミカを迎え地位を譲ったことになっている。
そのため平民たちの間では、貴族の間でほどミカの評判は悪くない。むしろ「本来はこの国の正当な後継者でありながら、政変に巻き込まれ流浪の身になった悲運の公子」と語られているため、ほとんど表に姿を現さないにも関わらず、意外なほど人気が高かった。
「身分を隠されて、ずっと諸国を放浪されていたそうだ」
「貴い身で、大変なご苦労をされたらしい」
「ほら、ヤン爺さんのところの一番上の娘のリナが宮廷に下働きに行っているだろ? 一度ミライカ様を見たことがあるらしいけれど、とんでもなくお美しいかただってさ。天上から女神さまが降りてきたのかと思って、息が止まりそうだったって言っていたよ」
ミライカ公は実は女性だが、余りに美しいために貴族たちの間でもめ事が起こらないように普段は男装をし、男で通している。ベレス侯はミライカ公の正体を知りながらずっと手元に引き取って庇護していた。迎えに行ったグランヴァルド将軍は、ひと目見た時からその魅力のとりこになっている。
いつかミライカ公は自らの正体を公にして、二人の庇護者のうち、どちらかを夫、そして国の統治者として選ぶだろう。
という話は、宮廷内外問わず下々の者たちの間で人気があり、月日が経つにつれ、あたかも確定した未来であるかのように語られるようになった。
「まずいな」
聞いた当初は、庶民の間の「他愛のない話」と一笑に付していた銃剣士団の人間たちも、月日が経つにつれ深刻な懸念を露にするようになった。
ルウェルがルグヴィアの公座に復帰した暁には、今後再び継承争いが起きぬように、ミカの身柄はザファルに引き渡す。
ザファルとアルフルーレ辺境伯の間で、そう取り決めが交わされた。
しかし……。
「ベレス侯に預けるのは危険ではないか」
銃剣士団の間では、そういった意見が大勢を占めるようになっていた。
ルウェルの奪還及び公宮の占拠を同時に決行する。
そう決定し団員が解散したあと、トビィは団長のオイゲンに残るように言われた。
直立しているトビィに、オイゲンは言った。
「トビィ、お前には公宮に潜入する部隊に加わって欲しい」
トビィは、了承の印に軽く頭を下げる。
オイゲンはトビィの様子をしばらく観察したあと、意を決したように固い声を発した。
「お前はミライカ・アレイスを名乗る僭称者の顔を見知っているな」
「ハッ……」
トビィは言葉を詰まらせる。
銃剣士団の人間たちは、トビィはルウェルの密命を帯び、ミカの身辺を探りに行っただけだと思っている。
ミカと過ごした半年の月日は、トビィにとって心の奥深くに秘すべきもので、相手が誰であろうと口にしたくはなかった。そのため、トビィがミカを半年の間そばで護衛していたことは団長であるオイゲンすら知らない。
「ミライカ・アレイスをベレス侯に渡せば、必ず災いの種になる」
オイゲンはそこで口をつぐんだ。
黒い瞳で、ジッとトビィの顔を見つめる。
「トビィ、私の言いたいことは……わかるな?」
祖国ルグヴィアのため、主君であるルウェルのために何をなすべきかを常に考え、命ぜられるよりも早く自らの意思をもって動くことを責務とする。
祖国のためには、僭称者ミライカ・アレイスの身柄を他国の有力者に預けるわけにはいかない。
銃剣士であれば当然そう考え、何をなすべきか心得ているはずだ。
トビィは自分と考えを共有しており、同じ答えにたどり着いている。
銃剣士として入団した時から、上役として仲間として共に在ったオイゲンは、当たり前のようにそう考えているだろう。
手足が急速に冷たくなっていくのを、トビィは感じた。
返事をしなければ。
そう思うが、口の中がカラカラに渇き声をだすことが出来ない。
オイゲンの中にも、主筋とわかっている人間を「僭称者」という名目で葬り去ることに葛藤がある。
しかしその思いを振り払い、再びトビィのほうへ視線を向けた。
「案内係として侍女を手なずけてある。宮廷に入ったら、お前はすぐに奥宮に行き、ミライカ・アレイスを見つけだせ」
見つけ次第……。
その先は口にする必要はなかった。
ルグヴィアのためにはそれが最善の道であり、その道を切り開くために自分たち、銃剣士は存在している。
トビィは右手の拳を胸に当て、拝礼する。
「すべてはルグヴィアのために」
十五の時に銃剣士になってから幾度となく繰り返してきた言葉を、トビィは口にする。
その声は、確かに自分の口から発せられたというのに、見も知らぬ誰か別の人間の声のように聞こえた。
7.
東方へ向かったグランヴァルドが、アルフルーレ辺境伯の軍と交戦状態に入った。
その報が入った次の日の払暁、ザファルは公都で兵を挙げた。予め宮廷周辺に潜めていた軍を公宮に雪崩れ込ませ、主要な貴族たちの身柄を抑える。
わずかに残されたグランヴァルドの直属の兵たちは武器を手に取り抵抗したが、多勢に無勢な上寝込みを突かれたため、次々と討ち取られていった。
※※※
トビィは公宮での戦闘が始まると同時に、手引き役の侍女の案内に従って奥宮に入った。
奥宮はいざという時に公族が逃げ込めるように入り組んだ造りになっている。最奥の公族の居住地は部外者ではたどり着けない。
侍女の姿をしたトビィは、案内役の侍女と三人の仲間と共に廊下を駆けるようにして奥へ進んでいった。
自分は一体、何のためにミカの下へ向かっているのか。
殺すためなのか。それとも違うのか。
ミカを目の前にした時、自分の中にどんな感情が起こるのか。それとも何ひとつ感じることはないのか。
トビィ自身にもわからなかった。
心の中にあることはただひとつ。
今度こそザファルよりも早く、ミカの下へたどり着かなければならない。
その思いだけだった。
「止まれ」
宮殿の最も奥深く、美しい細工を施された両開きの飾り扉の前で、一行は声をかけられた。
扉の両脇には、剣を腰に下げた守備兵が立っている。
「何者だ」
誰何の声に従い、手引き役の侍女が守備兵の前で作法にかなった礼をする。
「ベレス侯爵の命令で、ミライカ様を安全な場所へお移しするために参りました」




