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第43話 とっくに忘れている。

5.


 ザファルとアルフルーレが密約を交わした三月みつき後、アルフルーレは「ルグヴィア公を僭称するミライカ・アレイス及び逆臣グランヴァルドを討つ」という名目で、兵を挙げた。

 派遣した遠征軍が敗れ、アルフルーレの軍が公都に向かい西進を続けているとの報を聞き、グランヴァルドは大軍を編成し、自ら迎え撃つことを決断した。


※※※


 出立前の公式の謁見の前夜、グランヴァルドはミカの私室を訪れた。


「辺境伯の軍てのは、ドラの辺りにいるんだろ」


 大して気のない口調で、ミカは公都と辺境伯領の間にある村の名前を上げる。

 公都からの遠征軍が敗走すると、進軍先の領主たちは領地を荒らされないために抵抗することなくアルフルーレの傘下に身を投じるようになった。そのためアルフルーレは、無人の荒野を行くがごとく軍を進めてきた。

 しかし、公都と辺境伯領の丁度中間地であるドラで進軍をやめ、公都の出方を伺うように陣を張っている。

 グランヴァルドが出てくるを待っているのか。

 ミカの脳内にそんな考えが兆したが、すぐに無関心にとって代わられる。


「それがしと戦いたいようですからな。行って参りましょう」


 グランヴァルドは並んで腰掛けているミカの肩を抱いたまま、手に持った杯をあおる。

 それからミカの顎をとらえ、強引に顔を仰向かせた。


「アルフルーレを片付けて戻って参りましたら、殿下に公妃を迎えていただかなければなりませぬな。我が姪を、と思っておりましたが……」


 グランヴァルドは、氷のように冷たいミカの美貌を見つめながら呟いた。

 

「困りましたな。例え己の身内にだとしても、貴方を渡したくない」


 グランヴァルドは顔を近づけ、ミカの紅い唇を口で塞ぐ。その甘さを味わううちに、こらえきれなくなったかのように、細い体を強く抱きしめ激しくむさぼり出す。

 ようやくグランヴァルドの口づけから解放されたあとも、ミカはその腕の中に囚われたままだった。

 男の広い胸に体を預け、ミカは吐息するように囁いた。


「グランヴァルド、俺にはもうあんたしか頼れる人間はいない。頼む、俺のために辺境伯を討ってくれ」


 妖しい輝きを帯びる金褐色の瞳を、グランヴァルドは探るように見つめる。

 そこに自分が求めるものがあると信じ、グランヴァルドはミカの白い耳元に唇をつけ囁いた。

 

「殿下が憂うようなことは何もございません。なに、アルフルーレの老いぼれの首などねじきって、すぐに持ち帰ってきますゆえ。少しだけご辛抱下さい」

 

 グランヴァルドは名残惜しげにミカの体を離すと、立ち上がった。

 扉の前で振り返り頭を下げたグランヴァルドに向かって、ミカは乾いた声で言う。


「武運を祈っている」


 グランヴァルドが出ていったあと、ミカはゆっくりと乱れた装いを直した。ほとんど無意識のうちに、グランヴァルドに触れられた箇所を手で払い、唇を乱暴にぬぐう。

 無表情に何もない宙を眺めながら、ミカは呟いた。


「これでいいのか」


 声に反応するかのように、ミカの背後の壁にかかったタペストリーが背後からまくられる。

 振り返ろうともしないミカのそばに、ザファルが歩み寄った。


「グランヴァルドをすっかり骨抜きにしたようだな」


 グランヴァルドが消えた扉を見やり、ザファルは半ば嘲笑うように半ば憐れむように言った。


「単細胞な田舎の武人を思いのままにするなど、エリュアの女王だったお前にとっては赤子の手を捻るより容易いだろう。手応えがなさすぎたんじゃないか?」

「あんたがそうしろって言ったんじゃねえか」


 ミカは感情のこもらない声で答える。

 ザファルは硝子玉のように動かない、ミカの金色の瞳をのぞきこんだ。


明日あすグランヴァルドが出陣したあと、お前はこの部屋に幽閉される。ルウェルが公座に戻り次第、膝まづいて反逆の赦しを乞い、命だけは救われる。そのあとは僧院に入るために、俺と共にエリュアに行く」

「僧院? エリュアの?」


 ミカの金褐色の瞳に、一瞬嘲笑うような光がかすめる。だがその光はすぐに消え、元の氷のような無感動にとって代わられる。


「何か聞きたいことはないか?」


 ザファルの問いに、ミカは呟く。


「聞いたところで、俺に何か決められるわけじゃない」

「俺と共にエリュアに戻る、ということか」


 ミカは平板な声で答える。


「どこに行こうと同じだ」

「あの娘には会わなくていいのか?」


 古代の女神の彫像のように整ったミカの横顔は、無表情のままだった。

 紅をはいたような色鮮やかな唇から、言葉がこぼれ落ちる。


「会う必要がない。向こうだってとっくに忘れている」


 感情の浮かばないミカの顔を、ザファルはジッと見つめる。

 ミカがそれ以上、口を開くつもりがないと見てとると微かに笑い、部屋の外へ出ていった。

 独り残されたミカは、壁にかけられた灯りに照らされた暗い部屋の中で生命を失った脱け殻のように、その場にただジッと座り続けていた。



6.


 グランヴァルドの軍が東方に発った。

 その報を受けると同時に、トビィは仲間と共にひそかに公都に潜入した。

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