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第42話 今は俺の銃剣士

「そのようなことはわたくしのような一介の銃剣士が、差し出がましく申し上げることではございません」


 冷然としたトビィの答えに、ザファルはおかしそうに口元に笑みを浮かべた。


「なるほど、この三年の間に変わったのはミライカだけではない、ということか」


 トビィは一瞬押し黙った。

 自分の吐く言葉が動揺で震えないことを祈りながら再び口を開く。


「私はもとより、祖国ルグヴィアと正当なるルグヴィア公たる御方にのみに銃と剣を捧げた、ルグヴィア公国の銃剣士です。不当なる方法で我が主君を追い落とた者も、それに与する者も、『ルグヴィア公』と僭称する者も……」


 トビィは強い光をたたえた眼差しを真っすぐにザファルに向ける。


「すべて私の敵です」


 トビィの鳶色の瞳とザファルの黒い瞳が、しばらく無言のまま交わり合う。

 視線を緩めたのはザファルのほうだった。


「肝に銘じておこう」


 そう言うとザファルは、踵を返し部屋から出ていった。

 トビィはその背中に向けて拝礼する。

 

 あの背中を追いかけて打ち倒したら。

 それで三年前のあの時に、時間が戻るなら。


 胸の中を駆け巡るそんな思いを、トビィは首を振って振り払う。

 時を戻すことはできない。

 自分はルウェルに仕える、ルグヴィア公国の銃剣士だ。

 出来ることは、自分が選んだ立場にふさわしい責務を果たすことだけだ。



4.


 夜半目が覚めて、トビィは寝台から体を起こした。反射的に隣りに目をやったが、そこには冷えた寝床があるばかりで、人の気配はなかった。


 夜の闇の中で、自分の隣りにできた空間をジッと見つめる。

 三年の年月が過ぎ、その間に色々なことがあった。

 しかし、未だに寝床を半分空けておく癖が抜けない。


 トビィは自分の隣りに空いた空間にそっと手を置く。

 三月余りいただけだというのに。 

 心は今も、エリュアにいた時の記憶の中をさ迷っている。


※※※


 あの頃、仕事が終わり泊りの客がいない夜は、ミカがよく寝具の中に潜り込んできた。


「一人だと寒いんだよ」


 文句があるのか、と言わんばかりの横柄な態度で体を寄せてくる。

 最初は背中を向けるか上を向いているのに、気付くといつの間にか両腕を回してトビィの体にしっかりとしがみついている。

 男の隊士に紛れて雑魚寝するなど当たり前の生活を送って来たのに、ミカにくっつかれると体の内部がカッと熱くなり動悸がしてきた。

 トビィの反応を気にする風もなく、ミカは肩に鼻をこすりつける。少し黙ってから独り言のように呟く。


「……何もしなくていいか?」

「え……え? はっ? はわっ?! な、何も??って??」

「デカい声出すなよ」


 ミカは眉をしかめてわざとらしく肩をすくめるが、その声には笑みが含まれている。笑った顔を隠すように、トビィの茶色の髪に顔を埋める。


「昼間の匂いがする」


 トビィは、慌てて自分の手の甲を鼻に当てた。


「さっきお風呂に入ったんだけど」


 バカ、とミカは呟いた。


「いい匂いだ、って言ってんだよ」

「そ、そう?」


 自分の鼻孔を柔らかくくすぐる、ミカの体からほのかに薫る香りのほうが、よほどいい匂いに感じられた。

 ふとミカが小さな声で言った。


「お前さ、このまま公爵さまがここで俺のことを守れって言ったら、どうすんだよ?」

「……え?」


 ミカは顔をトビィの茶色の髪の中に埋めたまま、くぐもった声で言った。


「ずぅーっと、ここにいるのか? 公爵さまが『もういい』って言うまで」


 少し黙ってから、ミカは素っ気ない声で言った。


「公爵さまはお前に命令したことなんてとっくに忘れていてさ、俺がしわくちゃでよぼよぼの爺になって、お前が婆さんになっても気付かねえってことだってありうるぞ」

 

 それから不機嫌そうな声で付け加える。

 

「お前は士族のお嬢だし……こんなとこにずっといるのは無理だろうけどな」


 トビィは、髪に顔を埋めたままでいるミカに向かって言った。


「いるよ、ずっと」


 何かを誤魔化すようかのように、ことさら仏頂面を作ってミカは言った。


「ずっと、って……ずっとか?」


 トビィは反射的に大きく頷いた。

 ミカはいかにも関心がなさそうな口振りで「へえ」と呟いてから、トビィの体に身を寄せる。


「このまま寝るからな」

「えっ!」

「疲れているんだよ、俺は」


 腕にしがみついたまま、ミカは片足を曲げてトビィの足の上にのせる。

 美しい花を咲かせる細い蔦に絡まれた大木のように、トビィは仰向けのまま体を緊張させる。


「……なあ?」


 しばらくして、薄闇の中でミカが囁いた。

 

「なっ、なに?」

「……いいよな」

「え?」

「お前がいると……すっげえあったかくて」

 

 日向にいるみてえ。

 そうミカは誰に言うでもなく呟く。

 不意にトビィの心の中に、自分にしがみつくミカの細い体をしっかりと抱きしめたい、そんな強い衝動が沸き起こる。

 それはトビィが今までの人生で感じたことがないような、激しい衝動だった。


 仕事で疲れているためか、ミカはすぐに穏やかな寝息を立て始める。

 トビィは、起こさないようにその顔をそっと覗き込む。

 普段は気難しそうな顔つきをしていたり皮肉げな笑いが浮かべていることが多いが、今は長い旅の末にようやく家にたどり着いた幼子のような、ひどく安心しきった表情が浮かんでいる。

 黒い髪がかかる白い頬を、トビィは指先でそっと撫でる。

 眠っているミカは、くすぐったそうにわずかに頬を笑みで緩めた。

 幸せそうな笑みが浮かんだ顔に向かって、トビィは心の中で囁いた。


 ねえ、ミカ。

 ミカは言ったよね。

 私は公爵さまの銃剣士だけど……「今は俺の銃剣士だ」って。

 だからミカが望んでくれたら、私はミカのそばにいるよ。ずっと。

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