第41話 いいのか? ミカを連れ去っても。
「やめろ」
トビィも含め、アルフルーレの背後にいた者たちはいっせいに構えを解いた。
それを見て、ザファルの配下たちも剣から手を放す。
ゆったりとくつろいだ姿勢を崩さないザファルを見て、アルフルーレは呟いた。
「脅しはきかぬか」
ルグヴィアの支配権を取り戻すために、アルフルーレはザファルと手を組むしかない。
脅そうがすかそうが用意した舞台にザファルがのらないのであれば、手の内をさらして交渉するより他にない。
ザファルはそれを知っている。
だが相手の陣営に単身で乗り込み、罵声を浴びせられても毛筋ほども動じない。その胆力には感嘆せざるえない。
アルフルーレは半ば感心しながらも、半ば奇妙な生物と相対したかのように青年貴族を眺める。
「なるほど、オルムターナ一国を支配できるわけだ」
アルフルーレの言葉にザファルは冷ややかな笑いを浮かべる。
「俺がオルムターナを支配したわけではない。奴らは進んで俺に屈した。世の中には支配されて生きたほうが幸せな人間もいる。オルムターナの公宮の者たちはそれがよくわかっている」
「ふむ」
アルフルーレは興味を引かれたように顎髭を撫でた。
「我がルグヴィアはどうかな? 支配されたほうが幸せなのか、それともそうではないのか」
ザファルは皮肉を含んだ鋭い視線で、野盗の親玉のような粗野さとある種の愛嬌が混じりあったアルフルーレの顔をひと撫でする。
「それを決めるために、伯は俺を呼んだのだろう?」
アルフルーレは笑った。子供のような笑いかただった。
「なるほど、なるほど。確かに侯の言う通りだ。それを今から我々で決める。その通りだ」
アルフルーレは卓の上にのせられた壺を取った。
脇に置かれた真鍮の杯を手に取ると、慣れた動作で並々と酒を注ぎながら陽気な口調で説明する。
「我が領土で製造した酒だ。工法も改良してな。今までと同じ人数を使って倍の量を作れる。何よりこちらのほうがうまい」
並々と酒をつぐと、アルフルーレは礼にかなった仕草でザファルに杯を差し出した。
「先ほどの無礼な振る舞いをお詫びいたそう。我が杯を受け取ってくれぬか」
「閣下」
ザファルの配下たちが、警戒心が露な鋭い声をあげる。
ザファルは配下の声には反応せず、無言で杯を取った。特に逡巡する様子もなく、口に含む。
ザファルの配下のみならず、アルフルーレの配下やトビィたちまでも緊張して見守る中、杯を一気に飲み干した。
「刺すような酸味だ。暑い場所で飲むにはいい。エリュアや南方世界では重宝されるだろう」
ザファルの言葉に、周りで見ていた者たちはいっせいに息を吐き出す。
アルフルーレは満足そうに頷いた。
「そうだろう。暑い日差しの中で、いくらでも飲みたくなるように作ったからな。さしずめ南方世界の甘露だ」
アルフルーレは屈託なく笑う。
「こいつを南方に送るのが楽しみだ。そのためにも、ルウェルどのに一日も早く、公位に戻ってもらわなければならぬ」
笑いを収めると、アルフルーレはザファルのほうへ身を乗り出した。
アルフルーレが出した条件は、ルウェルを公位に戻すための協力関係、エリュアの港を使う際の港湾使用料の免除だった。
アルフルーレに協力することと引き換えに、ザファルはルグヴィアで最も大きな港の無期限の借用権と軍隊の駐留権を手に入れる。
そんなことを認めては、ルグヴィアの海洋交易権をザファルに売り渡すも同然ではないか。
そう喉元まで出かかるが、ザファルとグランヴァルドに国全体を支配されている現状に比べればマシだろう。そう言われれば返す言葉がない。
お互いの取り分をあらかた決め終わったあと、満足そうなアルフルーレに向かってザファルが言った。
「もうひとつ条件がある」
興味を引かれたようにアルフルーレは片眉を上げた。
「ミライカ公の身柄はこちらに預けて欲しい」
トビィはハッと息を呑む。
アルフルーレは、一転して渋面になる。
「それは……」
ザファルは皮肉げな笑いを浮かべたまま、瞳を細めた。
「そのほうが伯にとっても好都合だろう。生きていられては困るが、かと言って主筋は主筋。殺すのは外聞が悪い」
痛いところを突かれたのか、アルフルーレは黙り込む。
グランヴァルドでさえ、ルウェルを殺さず幽閉するに留めた。アルフルーレがミカを殺せば、いかにその正しさを説いても人望を失うだろう。
「戦闘のどさくさに紛れて死んでくれるのが一番だろうが、そう都合良くもいくまい」
心を見透かされたかのように言われて、アルフルーレは目を逸らした。
ザファルは薄い笑いを口元にたたえたまま、言葉を続ける。
「伯にとっては厄介な荷物だろう。こちらに預けるのが始末に困らぬ一番の良策だと思うが」
アルフルーレは顔を上げ、ザファルの顔を睨んだ。
「お主が第二のグランヴァルドにならない保障がどこにある」
ザファルは笑みを浮かべたまま言った。
「保障などない。ルグヴィア国内に置くよりはマシだと思って提案したまでだ。第二のアルフルーレが出てこないとも限らぬからな」
アルフルーレはギリッと歯を鳴らす。
「若造が」
歯の隙間から漏れた呟きに、ザファルは特に反応を示さなかった。
アルフルーレは忌々しそうに舌打ちする。
「斎戒を受けさせ、僧院に入れてもらいたい。お主にその気がなくとも、本人が一度自分のものとなった公位に恋々《れんれん》とするかもしれん」
「あれは公位になど興味はない。だが、良かろう。伯がそれで納得するのであれば僧にしよう」
「僧形になれば、さぞや可愛がられるであろうな。坊主など、古今東西、色好みと決まっている。稚児上がりの元公爵を手元におけるとなれば、ヨダレを垂らして喜ぶだろうよ」
アルフルーレはそう言いながら、自分の言葉に刺激されたかのように品のない笑い声を上げた。
トビィは爪が掌に食い込むほど強く、拳を握りしめる。
物を売り買いするかのごとくミカの運命が決められていくのを黙って見ているのは、耐え難かった。
アルフルーレの笑い声から逃れるように顔を背けた先で、ザファルと目があった。
ザファルは自然な動作でトビィから視線を外すと、アルフルーレに言った。
「伯の軍がグランヴァルドを引き付けている間、我が手の者がルウェルどのを奪還し、公宮を占拠する。公宮を占領した上でオルムターナの兵を国境に集結させれば、グランヴァルドに逃げ場はない。討ち取ることも容易かろう」
それから再び、トビィたちのほうに視線を向ける。
「銃剣士団は、こちらで借り受けたい。公都に詳しい者が一人でも多く欲しい。ルウェルどのも、自分の配下に迎えられたほうが我らを信じて下さるだろう」
「良いだろう」
アルフルーレが頷き、話は決まった。
アルフルーレが辺境で兵を上げ、グランヴァルドの主力を東方におびき寄せる。
ザファルは密かに西方の国境沿いにオルムターナの兵を集結させ、その武力を背景に公宮を占拠し、ルウェルを公位に復帰させる。
そう話がまとまったところで、二人の会合は終わった。
アルフルーレや兵士たちに見送られ部屋を出る直前、ザファルはトビィのほうを見た。
「そなたら、銃剣士団の働きには期待している」
トビィは表情を見られないように、無言で頭を下げる。
表に出ないトビィの内心を読み取ったのか、ザファルは笑った。
「三年の間に、随分物分かりが良くなったな。エリュアで会った時は飛びかかられるかと思ったが」
沈黙を続けるトビィに向かってザファルは言った。
「いいのか? 俺がミライカをエリュアに連れて行っても」




