第39話 ずっと、待っている。
ルウェルから公爵位を譲り受けてすぐに、ミカは銃剣士団の中にいるはずのトビィを探させた。
だがトビィは、既に他の幾人かの団員と共に姿を消していた。
「恐らくはどこかに潜伏し、僭称者ルウェルを奪還する機会を狙っているのでしょう」
グランヴァルドは、大して興味がなさそうに答える。
たかが剣士が、何十人集まろうと何が出来るか。そう考えていることが透けて見えた。
人員を割いて捜索は続けるが……そう言葉を続けたグランヴァルドに向かって、ミカは言った。
「そいつらのことはもう探さなくていい」
グランヴァルドは口を閉ざし、俯いているミカを眺めた。その表情は、特に意外そうではなかった。
「たかだか数十人いなくなっただけだろ。放っておけよ」
ミカは努めて気のなさそうな、素っ気ない口調を装う。だがその声が緊張と動揺で揺れていることが、自分自身でさえわかった。
グランヴァルドは、ミカの表情を観察するように眺める。あからさまにミカの心中を探り、値踏みするような眼差しだった。
顔に視線が這うのを感じて、ミカは顔を背ける。
グランヴァルドは少し考えたあと、何かに思い当たったように「ああ」と呟き薄く笑った。
「思い出しました。殿下がエリュアにいたころ、ルウェルが銃剣士の娘を差し向けてきた。そんな話がありましたな。その娘の名前が……『トビィ』でしたか。なるほど、先ほどルウェルに向かって言っていたのは、その娘のことでしたか」
グランヴァルドは頭ををもたげ、含み笑いしながらミカに近づいた。椅子に腰掛けているミカの正面に立ち、片手を背もたれに預けて顔を覗き込む。
自分よりも高貴な人間に対してありうべからざる態度だが、そんなことは気にする素振りもなかった。
「てっきり、殿下は女性には興味がないとばかり思っておりました」
「……そんなんじゃない」
グランヴァルドは感情を抑えつけるミカの様子を楽しむように笑いをもらした。しばらくその姿を楽しんだ後、手を伸ばしてミカの肩に手を回し、強引に自分のほうへ引き寄せた。
「そのようなあからさまに憂いた顔をされますと、いささか心が波立ちますな」
「やめろ」
ミカの抗いなど子猫にじゃれつかれたほどにも相手にせず、グランヴァルドはミカの体を押さえつけ、背けられた白皙の頬に顔を寄せる。
そうして微かに震えを帯びている耳朶に向かって囁いた。
「そのようにつれない態度を取られますな。初めてお目通りがかなった時から、それがしが殿下に、臣として許されぬ思いを抱いていていたことはご存じでしょう」
ミカが固い表情のまま黙っていることに気付くと、グランヴァルドは目を光らせた。
「殿下、それがしは恥を忍び、身を絞るような気持ちで思いを打ち明けております。願いをお聞き届けいただけぬとあれば、今後、どの面を下げて御前に馳せ参じることができましょう。そうなれば職を辞し、領地に蟄居することで殿下のお心を乱した罪を償う覚悟にございます」
殊勝な言葉とは裏腹にグランヴァルドの顔には、絶対的な優位を確信している人間だけが持つ、優越に満ちた笑いが浮かんでいた。
「許されぬ思い」だの「心を乱した罪」だのすべて戯言にすぎない。
グランヴァルドは、ミカを傀儡として支配するためには「自分の物」にすることが得策と考えている。
「公爵の地位を得るために権力者をたらしこんだ」と見られるようになれば、ミカの悪評はこれまで以上に高まる。貴族たちの敵意がグランヴァルドに集中することを避けることが出来る。
そういった政治的な思惑に、王侯の相手もするエリュアの最高級の娼妓を抱く機会を逃したくない、という劣情が重なっているのだろう。
グランヴァルドは最初に会った時からミカに対しては打算と欲情しか持っておらず、それを隠そうとしなかった。
この先も、とことんまで利用され、身も心も貪られる。
そうわかっていても選択肢はない。公位に着いてしまった以上、グランヴァルドの申し出を拒絶することは出来ない。
万が一グランヴァルドが手を引けば、ルグヴィアは貴族たちに食い荒らされるか、ザファルに乗っ取られるか。どちらにしろ散り散りに引き裂かれ消滅する。
グランヴァルドはミカの体を抱え軽々と浮かせた。自分は椅子に座り、ミカの体を膝の上に乗せる。
わずかに抗うように身をよじったミカの体に後ろから手を回して、肌を味わうように体の線をたどり始めた。
「殿下は、まことに心そそる麗しき姿をしていらっしゃる。天上の戦女神ですら、殿下の美貌の前では荒野の枯れ木と思えましょうな」
服に手を入れられ、肌を荒々しく撫で回される嫌悪に耐えながらミカは目をつぶる。
目を閉じると一人の少女の姿が浮かんでくる。
細身だが鍛えられたしなやかな体。
緩く波打つ淡い茶色の髪と同じ色合いの瞳。
(トビィ……)
徐々に乱される息の合間に、ミカは祈るようにかつて自分を守ってくれていた少女の名を心の中で呼び続けた。
※※※
ミカが公爵となってから三年経った。
トビィは未だに見つかっていない。
トビィは銃剣士であることに誇りを持ち、祖国であるルグヴィアと主君であるルウェルに忠誠を捧げていた。ルウェルを追放しルグヴィア公の地位を簒奪した自分を、国のため、主君のために討とうと考え、今もどこかで機会を伺っているに違いなかった。
トビィは、守るべき祖国や主君を置いてどこかに逃げ出すような人間ではない。
もし姿を現すとしたら、自分を討つためだろう。
「ルグヴィアの公爵」であるミライカ・アレイスは、冷えた心でそう考えている。
その一方で、心の一番奥深いところに閉じ込められているかつて娼妓だったミカは、体を丸めて夢を見ている。
閉じ込められた自分の下に、トビィが息せきって駆けつけてくる夢を。
三年前、いつもそうしてくれたように。
ミカ、ごめん、来るのが遅くなって。
助けに来たよ。
(おせえんだよ、トビィ)
ミカは記憶の中の少女に向かって囁いた。
俺、ずっと待っているんだ。
お前が来るのを。




