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第36話 売娼公

★ここまでのあらすじ★

 ルグヴィア公国の銃剣士の少女・トビィは、主君であるルグヴィア公ルウェルから「ミカという名前の娼妓を守って欲しい」と頼まれる。

 大陸一の貿易都市エリュアの高級娼妓であったミカは、実はルウェルの従兄弟であり、ルグヴィア公国の正当な後継者だった。

 ミカは、ルグヴィア公国の乗っ取りをたくらむ将軍グランヴァルドに囚われ、ルグヴィア公の地位につけられる。

 それから三年……。 

 公爵として生きるミカは、「売娼公」と呼ばれるようになっていた。

1.


 頬を柔らかく撫でられる感覚を感じて、ミカは目を開けた。

 夢の中ですぐ隣りにいた気配を求めて、裸の半身を起き上がらせる。


「どうした?」


 広く豪奢な寝台の中に一緒に横たわっていた男が目を薄く開け、腕を伸ばしてきた。

 優雅で端整な容貌に似合わない、冷徹で酷薄な光が浮かぶ青い瞳が印象的だ。

 だがミカを見る眼差しは、この男にしては珍しく甘いものを含んでいる。

 ベレス侯爵ザファル・サイード。

 他国の実質的な最高権力者でありながら、ルグヴィア公国の国主であるミカの後ろ盾になっている。

 二人が愛人関係にあることは、ルグヴィアの宮廷では公然の秘密だった。


 自分たちの地位や財産を守り権益を拡大するために、二十年前にミカの父親エルランを、三年前にはミカと対立したルウェルを売った。

 その後ろめたさを払拭するためだろうか。

 宮廷人たちは口を極めて、ミカを蔑み、その存在をおとしめた。

「売娼公」

 ルグヴィアの公爵位についてから三年たった今、ミカは宮廷貴族たちからそう呼ばれるようになっていた。

 彼らは、ミカが穢れたおぞましい存在になればなるほど、相対的に自分たちの罪があがなわれると信じているようだった。

 ミカは、自分の評判にはまったく関心を払わなかった。

 身を売っていた過去を恥じて卑屈な態度で頭を垂れるどころか、国も身分も宮廷政治もすべては茶番に過ぎないと言いたげな冷然とした態度は、怒りを通り越して宮廷の貴族たちに深刻な憎悪を抱かせた。


「ミライカ公は、他国の貴族であるベレス侯爵に自らの体と共にルグヴィアも売ろうとしている」


 公爵位を継承した直後から流れるそういった囁きによって、ルグヴィアの宮廷でのミカの評判は地の底まで落ちている。

 娼妓にまで身を落としていた人間が国の正当な後継者とは……ルグヴィアの人間が神や運命を呪いたくなるのも無理はない。

 冷えた無感動な眼差しのまま、ミカは他人事のように考える。

 ミカが公爵位を継承した直後から変わらず流れるそういった陰口に加え、現在は別の噂も宮廷内で囁かれている。


 ザファルは身をかわそうとしたミカの腕を掴み、寝台の上に引きずり倒した。


「放せよ」


 気がなさそうに顔を背けたミカの白いおとがいをとらえ、ザファルは自分のほうへ強引に向かせる。


「今夜はグランヴァルドは来ないのか」

「あんたには関係ないだろ」


 素っ気ない口調で吐き捨ててから、ふとミカはザファルを見上げた。金色の瞳に、毒々しい嘲笑が揺れている。


「今から呼ぶか? 俺は構わないぜ?」


 それがひどく面白い冗談でもあるかのように、ミカは朱唇から音程の狂った笑い声をほとばしらせる。

 ザファルは、ミカの白い喉を片手で掴み押さえつけた。息を詰まらせ咳き込んだミカの顔を冷たく見下ろす。


「宮廷の貴族どもは皆言っている。お前はルグヴィアに巣食った、すべてを腐らせる毒花だと」

「はあ?」


 ミカはわざとらしく目を丸くし、再びげらげらと笑い出した。押さえつけられているのでなければ、腹を抱えて笑っていただろう。


「毒花も何も、公爵さまを追い出すって時には、あいつら、猫撫で声ですり寄ってきたじゃねえか。簒奪者であるルウェルに従っていたのは本意ではなかったとか何とか言ってやがったくせに、自分の思い通りにならなきゃ毒花扱いかよ。お貴族さまってのはすげえな。どういう頭の構造をしているんだが、下々の人間には想像もつかねえや」


 ミカの言葉に構わず、ザファルはごく平静な口調で尋ねる。


「なぜ、グランヴァルドと寝た?」

 

 その眼差しには、ミカが一瞬口をつぐんだほど冷たい光が宿っていた。

 ミカは思わず視線をそらし、その態勢のまま独り言のように呟く。


「あんたはエリュアにいる時のほうが多い。ルグヴィア国内に後ろ盾が必要だ」

「それだけか?」


 ミカは内心の動揺を押し殺し、努めて興味がなさそうな声で答える。


「他に何があるって言うんだ」


 ザファルは、緊張で強張り、うっすらと赤みを帯びているミカの首筋をジッと見つめる。その顔に追い詰めた獲物をなぶるような、酷薄な笑いが浮かんだ。


「確かめてみよう」


 そのまま、男の体の下に組み敷かれる。

 相手が誰であろうとすることは同じだ。

 体はザファルの愛撫を受け入れながら、ミカの心は肉体を遊離して過去の記憶に向かっていた。



2.


 三年前、ミカはグランヴァルドの軍に伴われてルグヴィア公宮に入城した。

 簒奪者ルウェルを廃公とし、ルグヴィアの正当な後継者ミライカ・アレイスが公位に着く。

 ルウェルを捕らえ公宮の一室に軟禁すると、グランヴァルドは国内外に向けて、そう宣言した。


※※※


 ミカがトビィの主君であるルウェルに会ったのは、公位を剥奪することを言い渡した時、一度きりだ。

 天井が高く対面の壁が見えないほど広い謁見の間には、新しい国主であるミカに……というよりもグランヴァルドに服従を誓ったルグヴィアの貴族たちが並び、厳粛な空気に包まれていた。

 だが公座に座ったミカには、歴史ある広間の荘厳な内装も、グランヴァルドの傀儡にすぎない自分を蔑む気持ちを隠して取り澄ましている貴族たちの姿も、ルウェルの罪を朗々とした声で数え上げるグランヴァルドの姿も見えていなかった。

 虜囚として目の前に立つルウェルの姿だけを、食い入るように凝視する。


(こいつが……『公爵さま』)

次回、ミカは初めて「公爵さま」ルウェルと対面した時のことを思い出す。

第37話「ミカとルウェル」


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