第32話 ミカの正体・2
グランヴァルドが手を離した後も、ミカはしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
グランヴァルドが一礼し立ち上がる様子も、どこか夢見心地で眺めていた。
「今のルグヴィア公の父親のほうが年は上だったが、血筋的にはこれの父親のほうが正嫡だった。そういうことか」
「今のルグヴィア公ルウェルの父親は、先々代と人妻との不義によって生まれた子供だ。元々は夫の子として押し通すつもりだったが、関係が表沙汰になって子供を引き取らざるえなくなった。当時は大した醜聞だったそうだ」
先々代の種かどうかも怪しい、半ば揶揄まじりにそう言いかけて、グランヴァルドは口をつぐんだ。
さすがに忠誠を誓ったばかりの主君の面前で言うのは憚れる話だと気付いたらしい。
そんなグランヴァルドの様子を見てザファルは僅かに皮肉な笑いをもらした。が、口にしたのは別のことだった。
「ルグヴィア公には二、三度お会いしたことがある。確かに他人と言うのは、難しいほど似ている」
ミカはハッとして、僅かに身を固くした。
「俺に馴染んだのは……そのせいか」
ザファルは笑った。
ミカの直情さを愛しんでいるようにも憐れんでいるようにも見えた。
「それがどうした? 何も関係あるまい。俺はこれからもお前を愛する。エリュアの娼妓だろうがルグヴィアの公爵だろうがな」
「やめろ」
ミカは抱きすくめようとするザファルの手を乱暴に振り払った。
それから反抗的な眼差しで、二人の男の顔を交互に睨む。
「勝手に話を進めんなよ。俺がいつ、お前らにルグヴィア公だが何だかにして欲しいって頼んだ? てめえらの思惑を勝手に押し付けておいて、こっちがしっぽを振って喜んで飛びつくとでも思ってやがんのか。本当に俺が、その何とか公子の子供かどうかだって怪しいぜ。勝手にでっち上げているんじゃねえか」
ミカはギリッと朱い唇を噛みしめる。
「お前らの腹の底なんて、透けて見えてんだよ。どうせ自分たちの利益のために俺を利用することしか考えてねえだろ。ふざけやがって。てめえらの思い通りになる泥人形になるくらいなら、体を売っていたほうがなんぼかマシだ」
グランヴァルドは半ば眉をひそめ、半ば興味をそそられたように、怒りで金色の瞳を輝かせているミカの顔を見つめた。
今の今までただの人形としか思っていなかった物が、不意に生命を持った人間だと気付いた。そんな表情だった。
ザファルはグランヴァルドの様子を観察してから、ミカに視線を向けた。
「俺たちの申し出を断ってどうする? 何も聞かなかったことにして、月晶宮で今まで通りの生活を送る。そう出来ると思っているのか? だとしたら、俺はお前のことをずいぶん買いかぶっていたことになる」
不審げな顔つきになったミカにザファルは、愛玩動物をからかい愛でるような視線を向けた。
「自分がルグヴィアの正統な後継者であることを知ったお前を、ルグヴィア公が放っておくと思うか? お前をさらうか殺すか。どちらにしろ、自分の手の届かないところに放置して平穏な生活を送らせるなどありえない」
「だからっ、んなもんはてめえらがでっち上げた嘘っぱちだろ。おおかた、公爵さまを脅してうまい汁を吸おうって魂胆だろ」
ミカの怒声に、グランヴァルドが大袈裟に首を振る。
「そのような不遜なことは、考えたこともございません」
ミカは露骨な怒りと猜疑を込めて、グランヴァルドの顔をのめつけた。
「あんた、自分じゃわかってねえかもしれないが胡散くせえ臭いがプンプンするぜ。下町をうろついているゴロツキのほうがまだしも信用できらあ」
「これは手厳しい」
グランヴァルドは特に怒りもせず、ニヤニヤと笑いながら日に焼けた浅黒い顎を撫でた。
ザファルが口を挟む。
「これは男を見る目がある。男は寝床では演技が出来ぬからな。本性を実地で学んでいる」
グランヴァルドは笑みを深くした。
「それはそれは。気をつけねばな」
ミカは震える拳を握りしめる。
男たちはミカが自分たちの思い通りになると確信している。そのことを隠そうとすらしていない。
顔を背け、無言で戸口に向かおうとしたミカの腕をザファルが掴んだ。
「放せよ」
「怒るな。戯れ言だ」
ザファルはミカの体を引き寄せて囁く。
「俺の心がお前にあるのは知っているだろう」
「放せって言ってんだろ」
自分を押し退けようとするミカの頤に手を当て、顔を覗き込みながらザファルは言った。
「やはり似ている。瞳の色が青ければ、ほとんど生き写しだ」
怒りに燃えたっていたミカの顔に、わずかに不審の色が射し込んだ。
グランヴァルドはその変化を逃さなかった。
「殿下、お疑いはごもっともです。だが、どうか信じていただきたい。私は虚言を吐いてはおりません。殿下のお姿を見た者は、誰一人殿下の出自に異を唱えられますまい。現在ルグヴィア公を僭称しているルウェルとて例外ではありません。何しろ、血縁であることを疑うことのほうが難しいほど似ていますからな」
「出鱈目ぬかしやがって」
ミカはギリッと奥歯を噛みしめる。
特に苛立つ様子もなく、むしろミカの怒りと不信を楽しむようにザファルが言う。
「出鱈目ではない。ルグヴィア公に会えばわかる」
「嘘つけ。トビィは、そんなことはひと言も……っ」
「トビィ?」
ミカはすぐに口をつぐんだ。
押し黙ったミカの前で、不意に何かを思いついたようにザファルは黒い瞳を光らせた。
「セイレスホールに連れてきていた娘か」
ザファルは、表情を見られまいと顔を背けたミカの体に腕を回す。唇が触れるほど顔を近づけながら、笑いを含んだ声で囁いた。
「最近、護衛につけられたそうだな」
「……調べたのか」
ザファルがどれほど危険な男か。長年馴染んでいるミカはよくわかっている。
唇を固く結んだミカの顔を、ザファルはジッと見つめる。
「あの娘がルグヴィア公家に所属する人間であることは……知っているのか」
動揺を表すまいと必死に無表情を保つミカを見て、ザファルは口の端に笑みを浮かべた。
「無駄だ。お前のことは隅々までわかっている。心も体も、な」
それが寝床の中の愛撫でもあるかのように、ザファルは背けられたミカの白磁の頬に言葉を滑らせた。
「あの娘は、ルグヴィア公がお前を始末するために送った刺客だ」
ミカは衝撃で大きく瞳を見開いた。




