第31話 ミカの正体
17.
次の日の夜。
ミカは貴族の子息が日常的に着る衣服を身に纏い、指定された時刻にザファルの居城である涙玉宮に向かった。
エリュアの領主が代々住む涙玉宮は、三つの華奢な尖塔を持つ白亜の美しい建物である。月明かりの中で浮かび上がるその姿が、まるで海の精霊が流した涙のように美しいということでその名を冠せられた。
ミカがザファルに呼び出されて涙玉宮を訪れる時は、大抵その時に流行している女性の装いをする。
大陸でも一、二を争う貿易都市エリュアの支配者であるザファルは、国主すらしのぐと言われるほど莫大な富の持ち主だ。公然と愛人として扱っているミカを装わせることには、金に糸目はつけなかった。
ザファルの下へ行く時に、貴族の子息……男の姿で来いと言われたのは初めてだった。
先日、ホールで会った時の姿が気に入ったのだろうか。
漠然とそう考えていたが、城に着いてからザファルの私室ではなく、客用の応接室に案内されたことが、ミカの不審をさらに大きくした。
落ち着かない気持ちで応接室に腰かけて待っていると、程なくして扉が開いた。
「どうした、その傷は」
立ち上がったミカの体を、ザファルは引き寄せる。
頬の傷を撫でられる感触を感じながらも、ミカの注意はザファルの背後に立つ男に向けられていた。
ザファルは手を放すと、ミカの背中に手を当てて男のほうへ誘う。
いかにも武人といった様子の日焼けをした精悍な顔立ちをしている、長身で大柄な男だった。一見清廉そうな様子があるが、その黒い瞳にはどこか心の奥底に曲がりくねった隘路がありそうな抜け目のない光が時折瞬いていた。
年は四十代半ばほどだろうか。エリュアの社交界では見たことがない顔だ。
ミカに相対した瞬間、滅多なことでは物事に動じなさそうな男の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
「信じられん」
男は端麗なミカの顔を凝視し、我知らずと言った様子で呟いた。
「これほど似ているとは。よく今まで見つからなかったものだ」
「公都ならばまだしも、エリュアの社交界にはルグヴィアの人間はほとんど出入りしない。それにこれは普段は女の姿をしている。見かけたところで、誰もルグヴィアの公子だとは思わぬだろう」
「公子?」
ミカは背後を振り返る。
「おい、何の話をしてんだよ?」
ザファルの貴族らしい端整な顔に、薄い笑みが浮かぶ。
呆気に取られているミカの前で、不意に大柄な男が地面に片膝をつき頭を垂れた。それは武人が仕えるべき主君に対して行う、正式な拝礼だった。
その姿勢のまま、男は口を開く。
「お初にお目にかかります、ミライカ殿下」
男は感に堪えぬと言った様子を見せながら、朗々とした声で口上を述べる。
「私はグランヴァルドと申します。殿下の祖父君である先代ルグヴィア公より将軍位を賜り、その後、殿下の父君であらせられるエルラン公子に後見人の一人としてお仕えいたしました」
「は……?」
ミカは目を白黒させて、自分の前で滔々《とうとう》と口上を述べる男の頭を見つめる。
「な、何だよ、それ。あんたは……」
「驚かれるのも無理はございません。殿下のお母君は凶手から逃れるために、身分をひた隠して市井に身を潜められていたそうですから」
言葉とは裏腹に、ミカの反応などさほど気にする風もなく男は言葉を続ける。
「殿下の父君であるエルラン公子はルグヴィアの正統な後継者でした。しかし兄であるセヴァンの反逆によって公家を追われ、非業の死を遂げられたのです。混乱のさなか、殿下の父君は、自分の世継を身籠っていた侍女を城から落ちのびさせました。私はセヴァンとその一派に抵抗を続けながら、密かにルグヴィアの正統な後継者たる御子の行方を捜し続けておりました」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ、俺には何の話か……」
混乱して呟くミカの前で、グランヴァルドは顔を上げた。その顔はいかにも忠誠心と感動に満ちて見えたが、よくよく見れば奥底には抜け目のなさそうな打算的な影があった。
グランヴァルドは丁重に、しかし有無を言わせぬ強引さで戸惑うミカの手を取る。そして恭しげにその手を押しいだいた。
「私はルグヴィア公家の正統な後継者たる殿下にお会いする、この日だけを夢見て今日まで生きながらえておりました」
自らの内から溢れる感動に突き動かされたような態で、ミカの手に唇を押し当てる。
「どうか、永遠に忠誠をお受け取り下さい。我が主君ミライカ・アレイス・ルグヴィア殿下」




