第29話 シギの想い
「何、言ってんだよ」
「俺が、お前が足を洗うための補償金を出す。ベレス侯爵には及ばなくても、俺にもそれくらいの金はある」
「何だって、あんたが俺のために金を払うんだよ」
シギはミカの黒い髪に壊れやすい物に触れるような手つきでそっと手を滑らせた。
「俺はお前に惚れている」
知っているだろう。
そう言われて、ミカは視線をそらした。
「らしくねえな、シギ。あんたにとって、妓は商品だ。惚れたりしねえだろ」
「惚れているさ。お前を初めて見た時から」
「初めて会った時って、あんたが俺に色々と仕込んだ時じゃねえか。仕事で寝た相手にいちいち惚れてんじゃあ、身が持たねえだろ」
シギは腕の中にいる、ミカの顔をジッと見つめる。
「本当にそう思っているのか?」
シギは無言でいるミカの頤に手を当て、自分のほうを向かせる。
「俺がお前を他の妓と同じだと思っている。本当にそう思っているのか?」
「んなこと、わかんねえよ」
ミカはわずかに抗うように、顔を背ける。
「あんたが俺に仕込んだ中に、あんたが俺に惚れているかどうかは入っていなかったからな」
ミカは素っ気ない口調で言ったが、シギの顔を見つめる金色の瞳には濡れたような光が浮かんでいた。
シギはその光をのぞきこみながら言った。
「いま仕込む。お前の体は俺のものだと」
何か応えようと開かれたミカの唇に、シギは自分の唇を重ねる。頭を抱えて強く引きつけると、ミカは従順に口を開き、潜り込ませた舌を迎い入れた。シギが口腔内をまさぐり、細い体の線を形を確かめるように愛撫するたびに、ミカは吐息と共に声にならない喘ぎを漏らす。
それは男の情欲を高めるための作られた媚態であり、反応だ。ここに来たばかりのころ、シギが手づから仕込んだ娼妓として生きるための術である。
そうは分かっていても……いや、そうわかっているからこそ、自身が教え込んだ技術によって応えるミカの姿は、シギの情欲を強く刺激した。
ミカの唇をむさぼりながら、その体を包んでいる単衣をはいだ。月明かりの中に現れた透明な滑らかな裸身には、ところどころ先日の暴行によってついた打ち身や痣が生々しく浮かんでいる。
その傷を見てシギは一瞬手を止めた。
「やめるのか?」
ミカは囁いた。
動きを止めたシギの手に、誘うように指を滑らせる。朱い唇には笑みが浮かんでいるが、金色の瞳にはそれを裏切るような怒りにも似た暗い感情が揺れていた。
「俺がお前のものだってわからせるじゃなかったのかよ? シギ」
シギはミカの体を引き寄せ、残酷とも思える激しさで赤黒くなった痕に唇を当てた。
白い首筋や胸を荒々しい手つきで愛撫され、強い力で吸われ噛まれるたびに、それがむしろ喜びであるかのように、ミカは喉を逸らし小さく声を上げる。さらに乱暴に扱われることを求めるように、シギの頭を引き寄せる手に力を込めた。
愛撫によって熱を帯び、しっとりと潤いを帯びたミカの体を、シギは寝椅子の上に横たえる。
伸ばされた白い腕の中に、体を沈めようとしたその時。
シギは、動きを止めた。
ミカは、夢から覚めるように閉じられていた瞳を開く。
怪訝そうなミカの顔を、月明かりが照らした。
シギはその顔を見つめながら言った。
「なぜ自分の部屋に戻らない?」
ミカは呆気に取られたような顔つきで、シギの顔を見返す。自分の中に生まれた戸惑いを圧し殺すように、皮肉な笑いを浮かべた。
「それ、この状況で言うか?」
「あの娘がいるからか?」
ミカは一瞬言葉に詰まり、そのことに腹を立てたように顔を背けた。
「関係ねえよ」
シギが答えずにいると、ミカは起き上がり、やにわにカッとなったように食ってかかる。
「何なんだよ、てめえは。ごちゃごちゃうるせえな。俺を抱きたいんじゃなかったのかよ。ヤりたいならつべこべ言わずやりゃあいいだろ! ヤラせてやるって言っているんだからよ」
激昂したミカの頬に、シギは手を置く。先ほどまでの荒々しさが嘘のように、壊れ物に触れるような手つきだった。
「何があった」
ミカは、頬に触れた手を振り払うように乱暴に横を向く。
シギは、頑なに動かないミカの横顔をしばらく眺めていた。微かに息を吐いたあと、口を開いた。
「ザクソンの店から礼状がきた。ずいぶん派手に買い占めたみたいだな」
シギは静かな声で続けた。
「月晶宮のミカが女性に貢ぐなんてな」
馴染みの客たちが聞いたら、何というか。
嘆息混じりにシギが呟いた瞬間、ミカの金色の瞳が激情でギラついた。すさまじい勢いで、シギの頬に拳を見舞う。
特に驚いた様子もなく、シギは殴打を受けとめた。もう一度ミカが殴ろうとするとその手首を掴んだ。
「やめろ。手を痛めると、絃や笛が扱えなくなる」
「放せよ」
ミカは乱暴に手を振り払うと、シギの端整な顔を睨みつけた。
「俺の稼いだ金だ。文句を言われる筋合いはねえ」
「文句を言っているわけじゃない。驚いているだけだ」
「馬鹿にしているんだろ、女に貢いで身代を潰すなんて、よくある笑い話だもんな」
ミカは、少女のような繊細な容貌を嘲笑で歪めたが、すぐに目をそらし黙り込んだ。
シギはその横顔を見つめて言った。
「トビィさんが気にしていた。お前が部屋に戻ってこないのは、自分に腹を立てているからじゃないかと」




