第28話 ここを出ないか?
シギは反応を待ったが、ミカは窓の外に目を向けたまま微動だにしなかった。シギはミカの、静かな横顔を見つめたまま言う。
「ちょっと怖がらせてくれと頼んだだけで怪我をさせるつもりはなかった。そう言っていた」
「許してやれよ」
どこか憂いを帯びた口調で呟いてから、ミカはシギが自分のほうを見ていることに気付いたようだった。
不機嫌そうに形のいい眉をひそめる。
「何だよ? ジロジロ見やがって」
「いいのか、許して」
ミカはシギの顔を見て、面白くなさそうに笑う。
「そんなに意外か? 俺が許してやれって言うのが」
「お前はそんなことを言う奴じゃなかった」
シギの視線を受け止めかねたように、ミカは反射的に目をそらした。その唇から小さな呟きがこぼれ落ちる。
「俺も言いすぎた。リリセラの気持ちもわからなくはない」
月明かりを反射する黒い髪が、ミカの白い横顔にかかる。
シギは言った。
「傷が治るまでお前を部屋に戻すことができない。お前を買っている人間にも、話を通さなくてはいけない。この話はお前とリリセラだけの問題じゃない。月晶宮全体の信用に関わる」
「わかっている」
ミカは呟いた。
「埋め合わせはする」
「お前が休むあいだの損失は、リリセラが背負うことになった」
ミカは顔を上げた。
「リリセラには、まだ借金が残っているだろ。俺が稼ぐ。もとはと言えば、俺が一人で外をうろついたせいだ」
シギは首を振る。
「お前が助ければ、リリセラは自分の咎めを償う機会をなくす。そうなったらここにはいられなくなる。リリセラのためでもある。それがこの世界の掟だ」
そう言うシギの前で、ミカは杯を置いて拳を握りしめた。
無言になったミカを、シギはジッと見つめる。
「どうしたんだ、ミカ。こんなことは俺が言うまでもないだろう。お前が一番よくわかっているはすだ」
「『よくわかっている』?」
ミカは不意に半身を起こした。
シギを睨む金色の瞳の中に暗い炎が浮かび、鮮やかな色合いの朱唇は憎悪と見まがうような嘲りで歪んでいた。
ミカはギリッと色鮮やかな朱唇を噛み締める。
「『よくわかっている』? ああ、わかっている、よっくわかっているさ。あんたらにとっちゃあ、俺たちは市場で売られる家畜と同じだ、ってな。リリセラも俺も……俺たちはみんな同じだ。見映えよく着飾らせられて、商品として並べられる。なるべく高い値段で売られて、慰みモノになる。年を取ってみすぼらしくなって、売れなくなりゃあ捨てられる。そんなことはよくわかっている。今さらあんたに説教される筋合いはねえ」
瞳を燃え立たせ、細身の体を激情で震わせるミカの姿を、シギは半ば魅せられたように見つめる。
「何か……あったのか?」
「何もねえよ」
「本当か?」
「何もないって言っているだろ」
ミカはシギの手から逃れるように顔を背け、乱暴に背もたれに体を倒す。
「俺がここで売れるのは、せいぜいあと二年、三年……長くて四、五年だ。それも体がもてばだ。イヤでも後のことを考えるさ」
シギの眼差しが動かないことに気付いて、ミカは不機嫌そうな顔つきになる。
「何だよ?」
「それだけか?」
「あん?」
「先のことが心配なだけか?」
「そうだって言ってんじゃねえか」
シギの追及を拒むように、ミカは不機嫌な顔つきで吐き捨てる。
それから不意に何か思い当たったように体を起こした。
「そういやあ、ザファルから呼び出しが来てないか?」
「ザファル? ベレス侯爵か?」
「街で会った時に言われたんだよ。今度、城に呼び出すって」
シギは一瞬黙ってから答えた。
「来ている。なるべく早く、お前を城に寄越せと」
ミカは頬を紅潮させて、そわそわし始めた。
「明日、朝一番に使いを送ってくれよ。晩に行くって。ザファルは顔に傷があっても気にしないだろうしな」
今にも立ち上がって飛び出しそうになったミカの手を、シギが掴んだ。
驚きで言葉を失ったミカの華奢な体を、シギは胸の中に引き寄せた。
「ミカ、ここを出ないか」
シギはミカの耳に唇をつけて、吐息するように囁いた。
「俺と一緒に」




