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第22話 永遠の忠誠の証

「さっき劇場の入り口で会ったベレス侯爵……今度、ミカを呼び出すって言っていたよね?」

「ベレス……? ザファルのことか?」

 

 ミカは顔を上げた。

 何を言っているか、よくわからない。

 ミカの顔には、そう言いたげな呆気に取られた表情が浮かんでいる。

 トビィは勢いこんで言葉を続けた。


「今度、ベレス侯爵に呼ばれた時は私も一緒に行くから。必ず言ってね」


 ミカの顔から先ほどまで浮かんでいた緊張と期待が消え、訝しさと不機嫌さに取って変わった。


「何でだよ?」


 トビィは口ごもる。


「何で……って」


 あの男はミカに災いを運ぶ。

 ザファルと相対した瞬間から、そんな焦燥と不安が心を掴んで離さない。その感覚は理屈や理性を越えて、トビィの中では確たるものだった。

 

「その……うまく言えないけど」


 とにかく連れて行って欲しい。

 トビィがそう続けるよりも早く、ミカが言った。

 

「お前……あいつが貴族だから気になるのか?」

「え?」


 予想外のことを言われて、トビィは驚く。

 ミカは握りしめられた自分の両の拳をジッと見つめた。


「俺だって、そりゃ貴族じゃないかもしんねえけど……でも、同じくらいのことはしてやれる。今日だってお前にいい思いをさせてやっただろ? お前だって楽しいって、言ったよな?」

「う、うん」

「俺は他のおんなと違って借金もねえし。月晶宮の部屋だってこういう服だって、今日お前に用意したものだって、俺が自分の体ひとつで稼いだ金で払ってんだ」


 ミカは宙を見つめ、不自然なほど尊大な調子で声を張り上げた。


「ルグヴィアは、公爵さまだって贅沢できないくらい貧乏なんだろ? 俺がお前を用心棒として雇ってやるよ。お前がいまもらっている俸給の倍……いや、三倍だ、三倍は払ってやる」


 トビィの顔に、信じ難い言葉を聞いたような表情が浮かぶ。

 ミカはカッとしたように言った。


「何だよ、お前だって言ったじゃねえか。こんな馬車もドレスも食い物もルグヴィアでは見たことがないって」

「そ、それは」


 言ったけど……とトビィは言葉を詰まらせる。


「ほらみろ。言ったじゃねえか」


 ミカは勝ち誇ったような笑いを浮かべて、勢いこんで身を乗り出す。


「ザファルは、お前みたいな田舎から出てきた遊びかたも知らねえようなクソ真面目な女は、相手にもしねえよ。俺に愛人になれってうるせえしな。お偉方ってのはだいたいそうだぜ?」


 ミカは不意に言葉を詰まらせ、様子を伺うようにちらりとトビィの顔を盗み見た。  

 明後日の方角を向いてしばらく黙っていたが、やがて思いきったように口を開いた。


「お、俺はお前みたいな奴、おもしれえから……そばにいたらいいって、そう思うけどなっ」


 ミカは、自分の言葉が一体どんな効果をもたらすか見定めるように、緊張とそれを上回る期待に頬を紅潮させて隣りに座るトビィをジッと見つめた。

 さながら自分の運命を決める託宣が告げられるのを待ちわびている信徒のようであり、その顔には息をするのも憚られると言いたげな真摯さがあった。

 だがそんなミカの姿は、トビィの視界にはまったく入らなかった。

「ザファルがミカに愛人になるよう迫っており、ミカもまんざらでもない」

 トビィは話の主旨をそう捕らえ、打ちのめされたように俯いた。

 ミカは自分のほうを見ようともしないトビィを見て、一瞬迷子になった幼子のような表情になった。

 だがすぐに不安に負けまいとするかのように唇を結び、高慢な仕草で顎をそらす。


「お前が俺の用心棒になったら、さ、欲しいものは何でも買ってやるよ。どこにでも連れて行ってやる。月晶宮のミカっていやあエリュアのどんな店にも顔がきくし、みんな貴族と変わらないくらい頭下げてちやほやするんだぜ。今日だってそうだったろ? サルディナのいた店なんて、お前一人で行ったって敷居もまたがせてもらえないぞ。今日、お前が見た服、全部買ってやったからさ、帰ったら着てみろよ」


 ミカはそこで言葉を途切らせた。

 トビィが反応しないため、躍起になって言葉を続ける。


「娼館にいるのが嫌なのか? それならさ、外に屋敷を建ててやるよ。ここの海辺の景色とかいいだろ? この街で一番景色のいいところは、めちゃくちゃ金を持っている商人だって貴族だって、それなりの地位じゃなきゃ屋敷を構えられないんだぜ。俺なら、その中で一番いい場所を買える。海が見えるところに宮殿みたいにデッカイ邸宅を造ってやるよ。家のことは人を雇ってやらせりゃいい。お前は使用人にかしづかれて、女王さまみたいにいい格好して俺のそばにいるだけでいいよ。毎日、旨いもん食って遊んでさ、ぜってえ楽しいぞ。心配すんなよ。俺の抱えている客が上客ばっかりなの、お前だって知っているだろ? 仲介料を払えば新規の客もいくらでも回してもらえる。娼館にピンハネされねえぶん、今よりずっと稼げる」


 余裕を装った様子ははがれ落ち、ミカは半ば苛立ったように半ば不安からすがりつくようにトビィに訴える。


「俺、頑張って今よりすっげえ稼ぐよ。お前に絶対不自由なんかさせねえからさ。お貴族さまの奥方やお嬢さまなんかよりずっといい暮らしさせてやる。どんなお偉方だって、お前の前を通る時には跪いて礼をさせるよ。だからさ、トビィ……」


 ミカが語る未来は、トビィの胸に、万力で全身を締め上げられるような苦痛を与えた。

 今よりも大勢の男たちにミカが触れられる。

 自分はそれを、ただ黙って見ていなければならない。

「それが果たさなければならない任務である」と言うなら、いっそこの場で銃剣士の身分を剥奪され死んでしまいたい。

 そんな風にさえ思っていることに気付き、トビィは呆然とする。

 幼いころに誓った祖国ルグヴィアやルウェルに対する忠誠は、その熱い思いはどこにいってしまったのだろう。

 そう自分を叱咤しても、どうしても脳裏から男たちの手から手へモノのように受け渡しされるミカの姿が離れない。


 話が進むにつれて暗くなっていくトビィの顔を、ミカは見つめる。

 おぼつかない仕草で懐に手を入れた。


「トビィ……これさ」


 何かを引っ張り出そうとしたが、ふとその途中で動きを止めた。

 その顔には子供のような不安げな表情が浮かんだ。


「こういう感じが……嫌なのか?」

「え?」


 トビィは驚いて声を上げる。

 上目遣いにトビィを見るミカの瞳には、普段の尊大な様子からは想像もつかない何かに対する恐れが揺れていた。


「お前は士族のお嬢さまだし……。今の俺みたいな感じじゃあ一緒にいるのが恥ずかしいか?」

「恥ずかしいって……。そんなわけ……」


 ない。

 トビィは慌ててそう言おうとしたが、ミカの耳にはまるで届いていないようだった。

 何かにうなされたように、言葉を紡ぎ続ける。

 

「俺だってその気になれば、ちゃんとした良家の坊ちゃんみたいにやれる。ザファルといた時の態度、見たろ? お前がああいう上流階級っぽいほうがいいって言うなら、ずっと貴族っぽくしているよ。家の中でもどこでもさ」


 呆然とするトビィの手を、ミカはさりげない仕草で取った。

 そして腰掛けているトビィの前に片膝をつく。

 ミカの端正な容貌から、尊大さと高慢さ、そしてどこか子供のようないじましいまでの意固地さがひっきりなしに入れ替わることで生まれる生命力がほとばしるような表情が消えた。

 代わりに宮廷の花となる若い貴公子と見まがうような、気品に満ちた優雅な微笑が浮かぶ。

 礼儀を逸しない程度に潤いを帯びた金褐色の瞳が、ジッとトビィを見つめる。


(ルウェル……様)


 まるで十代のころのルウェルに跪かれ、手を取られているようなそんな錯覚におちいる。


「トビィ、どうか受け取って欲しい」


 ミカは別人のように柔らかい口調で囁き、懐から繊細な彫刻が施された、銀細工の腕輪を取り出した。装飾品に大して詳しくないトビィですら、高価な品であることがひと目でわかる。

 ミカは壊れ物でも扱うかのような恭しい手つきで、トビィの手に腕輪をはめた。


「あなたに対する永遠の忠誠の証として」


 ミカは腕輪をはめたトビィの手を引き、顔を伏せるように自分の唇を寄せる。


「トビィ……」


 トビィはハッとして、反射的に手を引っ込めた。

 ミカは顔を上げる。

 驚いたようなその顔は、若いころのルウェルに良く似た貴公子のものではなく、元のミカのものだった。

 そのことに泣きたいほどの安堵を覚える。

 ミカの瞳に一瞬だけ、ひどく無防備に傷ついた光が瞬いた。

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