第19話 見せるためにやるんだよ。
12.
ミカがトビィを連れて入った桟敷は、中央の舞台や一階の座席が見下ろせる個室になっていた。
バルコニーのように張り出した席には、柔らかなクッションがいくつも置かれた長椅子がしつらえられており、脇には飲み物や菓子、軽食がふんだんに置かれた洒落た細工の小卓がある。
扉近くの壁の隅には、上等な服をまとった世話係の男が目立たないように控えている。
エリュアの上流階級の人間はここで舞台で行われる演目を見ながら、歓談を……時には商談や密談、秘め事をして過ごす。
ミカはトビィを舞台がよく見える長椅子に腰掛けさせた。二人が並んで座ると、世話係の男が果汁が入った杯を卓の上に置き、再び部屋の隅に下がった。
舞台の上では器楽奏者が音楽を鳴らし、客席では美しく着飾った人々が思い思いに談笑している。
トビィは夢の中にいるような心地で辺りを見回す。
ルグヴィアでは、高位の貴族が開く宴でも豪勢な食事を飲み食いするだけだ。せいぜい有名な芸人の一座を呼び寄せたり、お抱えの道化師に何か演目をやらせたりする程度だ。文化や芸術を楽しみ鑑賞する場所は存在しない。
憧れと讃嘆の眼差しで辺りを見回すトビィの姿を、ミカは満足そうに見守る。
ソファーの上でくつろぎながら、からかうように言った。
「お上りさん丸出しだと、下にいる奴らに笑われるぞ」
トビィはギョッとして身をすくませた。一階にいる人々がこちらを見上げている。
ミカは酒の入った杯を手の中で揺らしながら、皮肉げな笑いを浮かべる。
「言ったろ? ここは一番いい客が入る席なんだ。舞台もそれを見に来る奴らも見下ろせる王の席なんだよ。くだらねえけど、ここにいるのはそういうことを気にする奴らばっかりだからな」
ミカはトビィの肩に腕をのせて、頬と頬が触れ合わんばかりに顔を寄せて囁いた。
「今日はお前が女王だからな。堂々としていろよ」
ミカはそのまま、恭しいとさえ言える仕草で、トビィの首筋に唇を当てる。
トビィは真っ赤になって反射的に身を引こうとした。ミカは構わずに、さらに身を寄せる。
「ちょ、ちょっと、ミカ」
「いいじゃねえか、舞台が始まるまで楽しもうぜ」
何か言いかけたトビィの口を、ミカは半ば押し倒すような恰好で塞ぐ。唇を甘く噛まれ、舌で柔らかく愛撫されると、体から力が抜けていくような心地がする。
銃剣士として幼いころから鍛えているトビィだが、ミカの性技の対してはまるで抵抗できない。
「だ、だって、下の人に見えているんじゃ……」
「お前、馬鹿だな」
ミカはトビィの言葉などまったく気に留める風もなく、指をうなじに滑らせる。
言葉とは裏腹に、口調は子供の悪戯を咎めるような優しさがある。
「見せるためにやるんだよ」
「えええええっ!」
「俺は女王のお前にずっと恋していた騎士で、思いがつのったあげくにこういうことをやらかしているんだよ」
おかしそうに笑った次の瞬間、ミカはひどく真面目な切実な表情になった。
金色の瞳で切なそうに見つめられ、トビィは言葉を呑み込む。
「陛下……どうか私を罰してください。あなたを慕う余り、あなたを力ずくでさらうという身分をわきまえぬ愚行に走った私を。貴女に愛を告げる罪のために、私は地位も名誉も朋輩からの尊敬も婚約者からの愛も……これまで培ってきた全てを失い破滅する。私の胸は、その喜びに高鳴っている」
トビィの手を取ると、ミカは何かを畏れるような眼差しでそっと自らの胸に当てる。
「あなたのこの手で、私の心を引き裂いて欲しい。これ以上、あなたを愛するゆえの罪を重ねずに済むように。どうか、むごく残酷に。私の……女王」
苦悩が揺れる金色の瞳を、トビィは魅せられたように見つめる。
これはミカの悪ふざけにすぎない。
ここに座る人間は、舞台を鑑賞すると同時にこのような演技を「観客」に見せつけて楽しむのだ。
そう分かっていても、頭も体も麻痺してしまったように動かない。
周りの景色も喧噪も、いまなぜここにいるのかも、銃剣士として生きてきた日々も、故郷ルグヴィアのことも、忠誠を誓ったルウェルのことさえも……これまでのことがすべてが遠くなり消えていく。
目の前にある憎悪にも似た暗く深く燃え上がる金色の炎だけが、この世に存在する唯一のものであるかのような気持ちになる。
この暗い炎に、心も体も燃やし尽くされたい。
トビィは抵抗することすら忘れ、近づいてくる暗い情熱を宿した瞳を無心にただ見つめていた。
その輝きに飲み込まれそうになる寸前、不意にミカが動きを止めた。
トビィの顔を見つめる金色の瞳に、一瞬、演技とは思えないような切なげな光が浮かぶ。だがミカはすぐにそんな自分に腹を立てたように、顔を背けて半身を起こす。
そして音を立てて乱暴にソファに腰かけなおした。




