第1話 高級娼館・月晶宮の夜
「公爵様の依頼で、花街一の人気娼妓(男の娘)を護衛をすることになりました。~公爵さまの銃剣士~」を開いていただいてありがとうございます。
この話は全54話で、すべて執筆済みです。
今日から毎日投稿する予定です。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
1.
大陸の南「眠らない都」と称されるエリュアの夜は、今日も賑やかだ。
街の中でも貴族の別宅が立ち並ぶ一角に、高級娼館「月晶宮」は建つ。
その一室で六弦と呼ばれる弦楽器を奏で終えた美しい娘を、いかにも裕福そうな三十代半ばほどの貴族の男が差し招いた。
「見事だったぞ、ミカ」
男の前に進み出ると、ミカと呼ばれた娘は品に満ちた所作でわかるかわからないかほど頭を下げる。
当然の称賛だ。
冷たく取り澄ました顔はそう言いたげだ。
数多くの娼館が立ち並ぶエリュアで最も格が高い「月晶宮」は、客を選ぶことで有名だ。
人品卑しく、風雅を介さず、礼儀を知らぬ者は客ではない。
芸は売っても媚は売らぬ。
心は心でしか買えぬ。
例え王侯貴族だろうと、この月の宮に伺候して良いかはこちらで選ぶ。
月晶宮は、エリュアの娼家のほとんどが入る連盟の総意でそのような格付けされている。
その中で一、二を争う人気の娼妓となれば、宮廷の花である美姫のごとく大切にかしずかれる。
客に媚を売るどころか、客のほうで関心をつなぎとめるために機嫌を取り結ぶことが当然とされている。
「お前に会うのは久し振りだな」
誘うような視線には応えず、ミカは酒の入った壺を手に取り、男が持った杯を満たし始めた。
その人形のように精巧で表情が浮かばない横顔を、男は食い入るように見つめる。
「今夜は室に招いてもらえるのだろうな」
男は、酒を注ぐ透き通るような白い手を握る。
ミカの手の中で壺が揺らぎ、酒がこぼれた。
ミカは形の良い細い眉を、わずかに吊り上げる。室内の灯りを反射する金色の瞳が、忌まわしさをたたえて燃え上がった。
「お放し下さい」
このような扱いを受ける謂れはない。
ミカが発した声は、いかなる地位の人間を前にしても失われない女王の地位にある者の誇りを帯びていた。
凛とした響きに男は一瞬ひるむ。
だが最初の衝撃が過ぎ去ると、その気丈さはむしろ男を興がらせ、内部に眠っていた欲情を煽り立てた。
「情の強いことよ」
男は手を伸ばし、ミカの手首を鷲掴みにする。
「棘の多い花ほど手折りたくなる」
ミカの金色の瞳に暗い怒りの炎が宿った。紅で彩られた唇をギリっと噛み、男の顔を睨みつける。
「何を勿体ぶる。とっくに馴染んだ仲ではないか」
男は薄く笑うと、ミカの手首を強引に引いた。自分の腕の中に閉じ込め、卑猥な言葉を浴びせる。
縛めから逃れようとミカはもがいた。その必死さはむしろ男を楽しませた。
「もっと必死に抗え。ほうれ、逃げなければ花を散らされてしまうぞ」
だらしのない笑いを浮かべ、怒りに満ちた美しい顔に唇を寄せようとしたその瞬間。
「失礼いたします」
声と共に、続き間との境の引き戸が開いた。
男は、ミカの細い体を押さえつけたまま振り返る。
入口では使用人の恰好をした、十代半ばの少女が頭を下げていた。健康的な艶やかな肌色をしており、緩やかに波打つ茶色の髪を動きやすいようにひとつに束ねている。
男は白けた声で言った。
「何だ、お前は。誰も呼んではおらんぞ。下がっておれ」
「恐れながら申し上げます」
使用人らしき娘は、貴族の男の言葉に臆することなく言葉を発する。
「当館では、礼節をわきまえぬことは許してはおりませぬ。どうか、無法な振る舞いはお控えいただきますよう」
娘の言葉に、男は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「娼館で妓を抱くことの何が無法だ」
露骨な軽侮をもって、入り口で頭を下げている娘を見る。
「お前も一緒に可愛がってやってもよいぞ。たまには珍味を味わうのも悪くない」
自分の言葉に笑いだした男の前で娘は顔を上げた。瞬間、明るい茶色の瞳に鋭い光が宿る。
「御前無礼」
ひと言断ると、娘は流れるような動きで室内に進み出た。
「なっ……」
呆然とする男の背後に素早く回ると首に腕を巻きつけ、顔を囲うように締め上げる。端から見ればさほど力がこもっているように見えないが、男の顔は瞬時に赤く染まった。
苦しげに口を開け、もがくように娘の手を外そうとするが、男の腕よりも遥かに細く見える腕の縛めはビクともしない。
「あっがっ……ぐるし……」
娘は体を下に落とすようにして、さらに首を圧迫する。
「や……やめ……ろ」
口の端から唾液と共に哀願を発した瞬間。
男は白眼をむき、ガクンとうなだれた。
男が意識を失ったことを確認すると、娘は腕をほどき、男の体を床に横たえる。
ふう、とひと息吐くと、娼妓の娘のほうを向いた。
「ミカ、大丈夫?」
ミカは美しい顔にあからさまに不機嫌な表情を浮かべて、入ってきた娘を睨んだ。
「どうしたの? もしかして怪我とか……」
「遅い……」
「え?」
茶色い髪の娘が首をかしげた瞬間、ミカはその耳もとで叫んだ。
「おっせえんだよ、馬鹿トビィ! あと少しで、この助平親父にヤられちまうところだったじゃねえか!」
「ご、ごめ……」
「ごめん、じゃねえよ! ああっ、クソっ。人のことベタベタさわりやがって。何が『棘の多い花ほど手折りたくなる』だよ。気色わりぃ」
ミカは綺麗に結い上げられた黒い髪から、髪飾りを乱暴にむしり取るとガリガリと頭をかく。
「こいつ、今後は出禁な。シギの野郎にそう言っておけよ」
「う、うん、シギさんに報告しておく」
トビィは首を何度もうなずかせる。
ミカはそばにあった椅子に勢いよく座ると、座面の上で胡座をかく。着物の裾が割れて白い足がむき出しになり、太ももとその内奥まで露になった。
トビィは思わず顔を赤らめたが、ミカは何ひとつ構うことなく、腹立ち紛れに鬱憤をぶちまける。
「ったく、天下の月晶宮も落ちたもんだせ。こんな程度の低い客を取るんじゃ、『月晶宮は、金の方角にケツを向けるようになった。さんざんお高くとまっていたくせに』って馬鹿にされてもしょうがねえじゃねえか。そのうち引きずり落とされるぞ」
ミカははだけた着物の隙間から手をいれ、白磁のような肌をぼりぼりと乱暴にかく。
神話に出てくる精霊もかくや、と思うような美しい娘が、裏通りの悪童か酒場の酔っぱらいのような下品さで悪態をつく。
そんな現実感を失いそうになる光景を前にして、トビィはめまいを起こしそうになった。
ミカは胡座をかいたまま横を向く。
自然と目に入った、床で伸びている貴族の男を見て言った。
「こいつ、生きてんの?」
「生きているよ」
気絶しているだけだよ。
というトビィの言葉には関心を示さず、ミカは男の上にかがみこみ、手慣れた動作で男の懐を探り出す。
引っ張り出した皮の物入れの中身を改めて舌打ちする。
「これしか持ってねえのか。よく俺のことを呼び出せたな」
「ちょっ、ちょっとミカ、駄目だよ。そんな勝手に……」
制止しようとするトビィの顔を、ミカはジロリと睨む。
「何でだよ。こいつは俺の体に勝手に触ったんだぜ。触り賃をもらうのは当然だろ」
「さ、触り? 賃……?」
「俺はこれで飯を食ってるからな。金を払わなきゃ、こいつが泥棒になっちまうじゃねえか」
確かにミカは座敷に上がり、芸を披露している。正当な報酬をもらう権利はある。
黙り込むトビィを見て、ミカは得意そうに笑った。
「俺はこいつを盗人にしないために、こうやって金を受け取ってやってんだぜ。本当なら貴族のくせに食い逃げしやがったってエリュア中に言いふらしてやってもいいんだけどな。おい、おっさん、感謝しろよ」
空になった物入れを、貴族の男の腹の上に投げ落とす。
金を懐にしまい大きく伸びをすると、ミカは男のことは綺麗さっぱり忘れたような笑顔をトビィのほうに向けた。
「トビィ、飯食おうぜ。験直しにうまいもん食わせてやるよ」
第一話を読んでいただいてありがとうございます。
第二話も引き続きお楽しみください。




