ep6 嘘の始まりと選択
六月の風がやわらかく吹く。
真理は図書館の奥の閲覧室で、一冊のノートを見つけた。
古びた茶色の表紙。
ページの端に、黒いインクで小さく名前が書かれている。
> 望月遥
——それが、彼と出会う最初の瞬間だった。
ページをめくると、整った字で数式と奇妙な記号が並んでいた。
物理でもない。化学でもない。
けれど、どこか「祈り」に似たリズムがあった。
『時間の回帰は、想いの強度に比例する。』
そんな一文が書かれている。
「……なんだろ、これ。」
そのとき、背後から声がした。
「それ、俺のノートなんだけど。」
振り向くと、少し不機嫌そうな顔の青年が立っていた。
真理は慌てて立ち上がる。
「あっ、ごめんなさい! 勝手に見ちゃって」
「別にいいけど……読んでも分かんないだろ、それ」
「うん。でも、綺麗な字だなって。」
彼は一瞬きょとんとしたあと、照れくさそうに視線を逸らした。
「……そう言われたの、初めてだ。」
それが、望月遥だった。
――――――――
それから、図書館で会うたびに二人は少しずつ話をした。
勉強の話、映画の話、将来の話。
遥は無口だけど、真理が話すと必ず最後まで聞いてくれた。
静かに、心が惹かれていった。
けれど——真理には、ひとつだけ隠していたことがある。
彼女は、生まれつき“夢の中で未来を垣間見る”体質を持っていた。
小さな予知。
それはほんの数秒先のことだったが、確実に起こった。
そしてある日——夢の中で、彼女は“望月遥の死”を見てしまった。
研究室で崩れ落ちる彼の姿。
血のような光、壊れる世界。
そして声が言った。
「彼を救うなら、君が嘘をつけ。」
——だから彼女は、“最初の出会い”を作り替えた。
彼のノートを偶然見つけたふりをして、話しかけた。
彼が興味を持つように、合わせて笑った。
本当は、出会うはずのなかった二人。
けれど、真理は運命を変えたかった。
“彼を救いたい”という願いが、世界の回路を少しずつ歪めていった。
その歪みが、後に“ループ”を生み出すことになるとも知らずに——。
——現在。
夜の公園。
ベンチに腰かける真理が、静かに空を見上げていた。
風が髪を揺らし、街灯の明かりがその横顔を照らしている。
「真理……」
遥が声をかけると、彼女はゆっくり振り向いた。
その瞳は、もう遥を“知らない”はずなのに、
一瞬だけ、懐かしさが宿った気がした。
「君に、話さなきゃいけないことがある。」
遥はそう言って、ポケットからノートを取り出した。
あの日、真理が最初に手に取った、あのノート。
ページの隅には、震える字で書き足されていた。
「彼女の嘘は、世界を生んだ。」
真理はページを覗き込み、かすかに微笑んだ。
「この字、懐かしい感じがする。……昔、どこかで見たような。」
「真理。俺は君を何度も救ってきた。
でも、そのたびに君は俺を忘れていった。
それが、俺の願いの代償だったらしい。」
「……代償?」
「俺は君を生かすために、君の“記憶”を奪ったんだ。」
沈黙。
夜風が二人の間をすり抜ける。
真理は膝の上で指を絡め、俯いた。
「じゃあ……私は、何度も死んでたの?」
「……ああ。」
「どうしてそんなことまでして、私を……?」
遥は、少し笑った。
「それが、俺の罪だから。」
真理が顔を上げる。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「私、ずっと誰かに嘘をついてる気がしてた。
でも思い出せなかった。……きっとそれ、遥くんのことだったんだね。」
遥は頷いた。
そして、ノートを真理の手に渡す。
「このノートを破ったら、ループは終わる。
君はもう苦しまずにすむ。
でも——君も、俺も、もう出会えなくなる。」
真理はしばらく黙っていた。
ページを指でなぞりながら、目を閉じる。
やがて、そっと笑った。
「ねえ、遥くん。私ね、さっき夢を見たの。
ずっと繰り返してる夢。
でも、最後にあなたが笑ってくれる夢だった。」
「……それは、いい夢だな。」
「うん。だからもう、いいのかもしれない。」
真理はノートを胸に抱き、ゆっくりとページを破いた。
光が溢れ出す。
風が吹き抜け、世界が白く染まっていく。
——音が消えた。
遥は手を伸ばした。
「真理っ……!」
光の中で、彼女の声が響く。
「ありがとう。……嘘をついてでも、あなたを救いたかった。」
涙がこぼれた。
世界が崩れ落ちていく中、遥は最後までその言葉を聞いた。
――――――――
静寂。
目を開けると、そこは見知らぬ街角だった。
通りを歩く人々、穏やかな午後の光。
どこか懐かしい旋律が耳に残る。
通りの向こう。
小さなカフェの窓辺に、ひとりの女性が座っている。
白いワンピース。
ページをめくる指先。
——藤原真理。
彼女は、まるで初めて会う人を見るように遥を見つめた。
そして、穏やかに微笑んだ。
「すみません、どこかで……お会いしましたか?」
遥は一瞬だけ言葉を失い、それから笑って答えた。
「……いや。でも、君のことを知ってる気がする。」
彼女も微笑み返した。
午後の風がふたりの間を通り抜けていく。
まるで、“やり直しではない始まり”を祝福するように。
ここは元々第一部最終話にする予定だったんですが、第二部作れるほどのお話を考えるのむずかったんであと2話程で終わる予定です。
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