ep4 他の誰かを選んだ君へ
朝の3に続き、もう1作品投稿しました
朝の光がまぶしいのに、どこか寒かった。
目を開けると、また同じ日付——6月21日。
「……戻ったのか」
真理を失ったあと、世界は何度もリセットされる。
それでも、もう何度目の“今日”なのか、遥には分からなかった。
ノートの余白には、震える字でこう書かれている。
> 「彼女を救うためなら、どんな方法でも構わない。」
そう書いたのは、いつの自分だったのか。
もう思い出せない。
――――――――
昼休み、学食の喧騒の中。
真理は、片瀬紘一と楽しそうに笑っていた。
いつもなら、遥の隣にいるはずの席。
そこに、彼女はいない。
「……紘一か」
彼は遥の親友で、気さくで明るい。
けれど今、笑うその姿がやけに遠く見えた。
真理が笑うたび、胸の奥が小さく軋む。
「おー、遥! 一緒に食うか?」
紘一が手を振る。真理も微笑んでいる。
その笑顔が、まるで何も知らない子供のように無垢で残酷だった。
「……悪い、用事あるから」
そう言って遥は立ち去った。
背中に残る笑い声が、やけに痛かった。
――――――――
夕方。
中庭のベンチ。
風が少し冷たくなってきて、真理の髪が揺れる。
隣にいるのは、紘一だった。
「なんかさ、最近、変な夢見るんだよね」
真理が呟く。
「夢?」と紘一が聞く。
「うん。誰かが、私の名前を呼ぶの。“真理、思い出して”って」
「……誰だろうな、それ」
「分かんない。でも、すごく悲しい声なの。聞くたびに、胸が痛くなる」
紘一は優しく微笑んだ。
「そういう夢って、疲れてる時によく見るんだよ」
「そうかなぁ」
「もし、嫌な夢見たら、俺に話して。……きっと楽になるから」
その言葉に、真理は少し照れたように笑った。
——その笑顔を、遥は遠くから見ていた。
声をかけることができなかった。
――――――――
夜。
大学の屋上。
風の音と、街の光。
遥はひとり、フェンスに手をかけていた。
「どうして……」
呟きが夜に溶ける。
何度も繰り返してきた。
救うはずの彼女が、少しずつ自分から離れていく。
まるで、“真理の心”が彼を避けるように。
ポケットの中で、スマホが震えた。
通知:〈藤原真理〉
——一瞬、心臓が跳ねる。
開くと、そこにあったのはたった一行のメッセージ。
> 「ごめん、今日は紘一くんと帰るね。」
指が止まる。
画面の光が、やけに白く冷たかった。
“彼女を救う”という言葉が、どこか遠くに霞んでいく。
自分は本当に、彼女を救いたかったのか。
それとも、自分の存在を確かめたかっただけなのか。
――――――――
数日後。
講義のあと、真理が遥の前に立った。
「ねえ、望月くん」
“くん”と呼ばれるたびに、胸が痛む。
「この前、ノート見たよ。あれ……誰の話?」
「……どのノート?」
「“君が忘れた恋を、僕は何度でも思い出す”ってやつ」
「……ただの物語だよ」
「そうなんだ」
真理は少し寂しそうに笑った。
「その“僕”が、少し可哀想だね。だって、忘れられても、また思い出そうとしちゃうんでしょ? そんなの、きっと苦しいよ」
「苦しくても……忘れられたくないんだよ」
遥は、言葉を絞り出す。
「たとえもう、好きじゃなくても」
真理は、何か言いかけてやめた。
風が吹いて、彼女の髪が頬をかすめる。
その距離が、永遠みたいに遠く感じた。
――――――――
夜。
遥は再びノートを開く。
ページの隅に、新しい文字が浮かんでいた。
> 『彼女は選んだ。
> 君ではなく、“安らぎ”を。』
「……安らぎ?」
ペンを持つ手が震える。
その瞬間、頭の中に誰かの声が響いた。
——“まだ分からないのか。君は彼女の記憶を歪めている。
君が望むたび、世界は書き換えられる。”
遥は顔を上げた。
鏡の中に、もうひとりの自分が立っていた。
微笑みながら、ゆっくりと口を開く。
「やっと会えたね。……“もう一人の俺”。」




