ep2 君が笑った朝
耳の奥で、何かが弾けるような音がした。
目を開けると、そこは再び——6月21日の朝。
「……また、か」
机の上には昨日と同じノート。
窓の外には、鳩の影。
時計は午前8時4分を指している。
「真理を救おうとするほど、結果は悪くなる……?」
遥は唇を噛んだ。
もしかして、「好きじゃない」と言わせない限り、ループは終わらないのかもしれない。
そう思うと、息が詰まりそうだった。
大学の中庭。
真理は、友人たちと話しながら笑っていた。
その笑顔がまぶしすぎて、見ていられない。
「おはよう、遥。昨日は迎えに来るって言ってたのに、どうしたの?」
「あ……いや、その……」
記憶が交錯する。
昨日“だった”出来事が、今では“まだ起きていない”。
それでも、真理は無邪気に笑ってくれる。
「じゃあ、今日の放課後、埋め合わせしてね」
「え?」
「デート。久しぶりに映画行きたいな」
小さな奇跡。
未来を変えるチャンスが、また来たのかもしれない。
夕方。
映画館を出たとき、外はもう夕暮れだった。
街のネオンが少しずつ灯り始め、ガラス窓に橙色の光が反射している。
真理はポップコーンのカップを抱えたまま、くすくす笑っていた。
「ねえ、あのヒーローさ、最後なんであんなこと言ったんだろうね。“君が笑ってくれるなら、僕はそれでいい”って」
「……かっこつけたんだろ」
「そうかな。私、あれ本気だと思うな。あの人、本当に好きだったんだよ。だから、もう会えなくてもいいって」
その言葉に、胸がざわついた。
“もう会えなくてもいい”——あの事故の夜に聞いた、「もう好きじゃない」の響きとどこか重なる。
「俺は……そんなの嫌だ」
遥は小さくつぶやいた。
「会えないのも、好きじゃないって言われるのも、どっちも嫌だ。俺は、ずっと真理と一緒にいたい」
真理は少し驚いた顔をして、それからふわりと笑った。
「遥がそんなこと言うなんて、珍しい」
「そ、そうか?」
「うん。いつもクールで、私がちょっと拗ねても“気にするな”って言うのに。……今日は優しいね」
真理の笑顔が、夕日の光に溶けていく。
その光景が、なぜか夢のように儚く見えた。
しばらく歩いたあと、真理がふと立ち止まった。
風が髪を揺らす。
彼女はゆっくりと遥の方を向いた。
「ねえ、遥。……もし、私が“好きじゃない”って言ったら、どうする?」
「え?」
不意を突かれて、声が震える。
「そ、そんなこと、言うはずないだろ」
「うん、そうだよね。……ごめん。変なこと言った」
真理は笑った。
けれど、その笑顔は、ほんの少しだけ寂しかった。
信号が青に変わる。
人波に押されて歩き出す。
その途中で、真理がそっと手を伸ばしてきた。
小さな指先が、遥の指に触れる。
「……ね、手、つないでいい?」
「……ああ」
手のひらの温もりが、やけに現実的だった。
このぬくもりを、もう二度と失いたくない。
その思いが、胸の奥でゆっくりと焦げつく。
「今日ね、夢を見たの」
「夢?」
「うん。私がどこかで誰かを待ってて、でもその人が来なくて。ずっと同じ日を繰り返してる夢」
「……」
遥は息を呑む。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「でも不思議なの。夢の中でも、その人のことが大好きで。……名前は思い出せないんだけどね」
真理は笑って言った。
その笑顔の奥で、何かが壊れていく音がした。
「……真理、それ、どんな夢だったんだ?」
「うーん……忘れちゃった。変なの」
街灯の下、彼女の影が長く伸びる。
その影の端が、一瞬だけ途切れて見えた。
まるで、この世界そのものが揺らいでいるみたいに。
——“もし、私が好きじゃないって言ったら、どうする?”
その言葉が、何度も頭の中で反響した。
遥は彼女の手を強く握りしめる。
もう絶対に、離さない。
この瞬間を、終わらせない。
だが、空の色は静かに沈んでいく。
時間が、また巻き戻ろうとしていることを、遥はまだ知らなかった。
まぁ前回のお話と同じように変なとこあったらコメントやら誤字報告やらで教えていただけると幸いです。
それとぜひリアクションやコメント気軽にお願いしますっ!




