夫が「おれの気を惹きたかったら自死してみればいい」というので自死してみたらすべてが終わり、そしてはじまった
「きみのことを愛しているとでも思っているのか? バカバカしい。一度たりとも愛したことなどない。それどころか、興味さえ抱けない。この際だからハッキリさせておこう。おれは、いままできみのことを愛したことなどない。そして、これからも愛することはないだろう。だから、事故や病気を装い、気を惹こうとしてもムダなことだ」
彼は、声高らかにそう宣言した。
「あの、あなたはいったいだれでしょうか?」
そう尋ねずにはいられなかった。
ガマンの限界だった。
「なんだって?」
彼は、驚いた表情で逆に尋ねてきた。
その彼の顔は、まぁまぁイケている。
美しさと可愛さが入り混じったようなそんな顔。
赤毛で碧眼は、ヤンチャっぽさも醸し出している。
世のレディたちの母性本能をくすぐりそうな、そんな顔。
彼のカッコ可愛い顔を見ながら、周囲を見まわした。
わたしは、寝台の上で上半身を起こして彼のカッコ可愛い顔を見上げている。
部屋の中には、彼だけではない。メイドが三名とスーツ姿の執事もいる。
だれもがわたしのことを驚きの表情で見ている。
「『あなたはいったいだれでしょうか?』、と尋ねました」
「それはわかっている。そういう意味じゃない」
『なんだって?』、と聞かれたから言い直したのに、キレられてしまった。
「あなたがだれなのか、さっぱりわからないのです」
「ふざけるな。今度は、いったいなんだ?」
彼のカッコ可愛い顔が、驚きから当惑へとかわった。
「ふざけているわけではありません。わからないからわからないと申し上げました」
ニッコリ微笑んでみた。
「おいおい、自殺未遂をした挙句に記憶を失ったとでもいうんじゃないだろうな? いい加減にしてくれよ」
「旦那様、奥様は頭を打ったのですよ。それで記憶が……。やはり、医者に診てもらった方がいいのではないでしょうか?」
彼は、やり場のない怒りを歩きまわることで鎮めようとした。その彼に声をかけたのは、執事だった。
「自殺未遂ですって? わたしが、ですか? なんてことかしら。わたしが自殺未遂だなんて、いったいなにがあったというの?」
視線を落とした。
上掛けは、シルクのよう。その端をつかむ両手を広げると、爪も皮膚もところどころひび割れている。それなのに、爪にはド派手で趣味の悪いネイルが施されている。
(いまのところ、体のどこにも痛みはないわね)
とりあえず、寝台の上で上半身を起こしているかぎりでは、体のどこも痛くはない。
「いいや。ただの演技にきまっている。自殺未遂じたい、おれの気を惹く為にそのふりをしていただけだ。まぁ、たしかに以前に『おれの気を惹きたいなら自死してみたらどうだ?』とは言ったさ。だが、『もっとも、それでどうということはない。ましてやおまえを愛するようになるとは限らない』とも言った。それなのに、ほんとうにするか? しかも、これで何度目だ? そのたびに先生に来てもらったり、王都の大病院に連れて行ったりと振り回されている。いい加減、うんざりだ」
彼は、寝台の横に置いてある椅子に荒っぽく座った。
「そこからダイブした直後は、大丈夫だと自分の足で歩いてここまで戻ってきただろう?」
「ええ、旦那様。奥様の寝室が二階で、そのバルコニーから投身自殺なされたのです。たしかに、バルコニーのちょうど真下にたまたま家畜用の干し草の束がつまれていましたが、それでも頭からダイブされたのです。干し草の塊でもそこそこのかたさがあります」
「いいかげんにしろ。とにかく、これ以上わが家の恥を知らしめることはない。記憶を失ったくらいなら、命に別状はない。ほらみろ、ピンピンしゃんしゃんしているじゃないか? 記憶だったらそのうち戻るかもしれん。というか、思い出さなくてもいいんじゃないか? こっちの方がやわらかくてやさしい感じがするだろう?」
「旦那様、いくらなんでもそれではマズいのではないでしょうか? いまはピンピンしゃんしゃんしていても、容態が急変するなんてこと、ままあることです。記憶喪失だって、そのせいなら深刻な状況を招きかねません」
「わかったわかった。様子を見て、かわったところがあるようなら、そのときには先生に来てもらおう。これ以上は、妥協できん」
彼は、わたしを睨みつけながら立ち上がった。
「まともな妻にかわってくれていたらラッキーだけどな。契約妻とはいえ、いままでの彼女はひどすぎた。国中に『悪女』や『悪妻』と知れ渡っているほどにな」
彼は、そう捨て台詞を残すと寝室を出て行った。
執事がわたしを見おろした。
肩をすくめるしかなかった。
事故、というよりか自殺未遂後に目覚めたばかりのわたしに「愛しているとでも思っているのか?」と抜け抜けと言い放ったのは、アンソニー・マクラーレン。わたしの夫で公爵家当主。
アンソニーとわたしは、契約結婚中である。
もともと王家の命令によって決められた結婚。おたがい、逆らうことができずに仕方なく結婚したにすぎない。
そのことは、わたしたち当人だけでなく王家だって知っている。それどころか社交界のだれもが知っている。
このことは、悪しき習慣のモデルケースとなった。
以降、そういう当人の意思に反する「運命の結婚」や「政略結婚」はできるだけ行わないよう、暗黙の了解がなされている。
そのお蔭で、わたしたちもほんものの結婚ではなく「白い結婚」。つまり、契約結婚で許されることになった。
期間を定め、どうしても無理な場合は解消してもいい、ということになったのだ。
数年は夫婦のふりをすること。公式の場でふたり揃えば、それ以外はだれとどうすごそうが自由。
というわけで、アンソニーはアンソニーの好みのレディたちと、わたしはわたしの好きなようにとおたがいがおたがいを干渉することなく好きな相手と好きなようにすごしていた。
問題は、わたしの性格だった。
気が強くて「ファースト主義」のレディなんて、男性からすれば手に負えない。
というわけで、アンソニーの公然の浮気にたいし、無言の圧をかけるようになった。
嫉妬からではない。自分が一番でなければならないから、という謎理由からだ。
無言の圧。
彼女、つまりわたしは、自死することで彼にとって一番であろうとした。
これもまた、死ねば一番になるという謎理論だ。
もちろん、マジで死ぬ気はない。あくまでも自殺未遂。というよりか、死ぬふりをするだけだ。
それはもうさまざまな死ぬふりをした。それこそ、「バタンと倒れて動かない」という子どもがする死んだふりまでおこなった。笑えたのは、笑い草や眠り草の過剰摂取。何日も笑いが止まらなかったり何日も眠り続けたりと、想定外なことが起こってほんとうに死ぬところだった。
そして、今回もそう。
なんと二階にある自室のテラスから飛び降りたのだ。
だが、心配はない。落下地点に家畜用の干し草の束を何十個と敷き詰め、万全の準備を行っての飛び降りだから。
しかし、やはり想定外のことが起った。
干し草がかたすぎた。結果、頭部を強打して流血沙汰となった。
さいわい、外傷はたいしたことはなかった。
が、失ったのだ。
記憶を、である。
自殺未遂以降、かわったのはわたしだけではない。
アンソニーもまたかわった。
以前、彼は王都にいる複数の愛人とともにすごすことが多かった。
わたしは、性格が悪いだけではない。アンソニーよりも優秀で要領がいい。だからアンソニー不在をいいことに、彼よりはるかに上手く領地経営と屋敷の管理を行った。
レディ遊びに耽る彼に対する嫌味でもあった。
その上で、彼が帰宅するたびに自殺未遂などなにかやらかした。
彼がいうように、彼の気を惹きたかったのだ。
もっとも、すべてが失敗し、逆効果でますます彼の心も体も離れてしまったけれど。
しかし、今回は違う。
今回、彼はずっといる。ずっといてわたしにつきまとっている。というか、監視しまくっている。
わたしがほんとうに記憶を失ってるのか、それとも演技なのかを暴きたいのだ。
記憶を失ったわたしは、性格までかわった。
つまり、以前の悪女、悪妻から聖女へと変貌を遂げた。
訂正。聖女は盛りすぎた。すくなくとも、以前とはくらべものにならないほどのレディになった。
とりあえず、屋敷の使用人たちや領地の人たちへの態度がやさしくなった。親切で公平で丁寧。だれにたいしても尊敬の念をもって接するようになった。
そして、それはそのままアンソニーにたいしても適応された。
以前、彼が帰ってくるたびに罵り合い、殴り合い、掴み合い、取っ組み合うほどの大ゲンカしたものである。それがいまでは穏やかに会話し、いたわり合い、尊敬し合うようになった。
とはいえ、すぐにそうかわったわけではない。
彼のわたしへの疑念が解けると、しだいにそうなったのだ。
わたしの方が先に彼にたいしてそのような態度を取ったので、彼も心を開き、許したといった方がいいかもしれない。
そして、あっという間に季節がかわった。
アンソニーは、一度たりとも王都に行っていない。
屋敷から離れることはなかった。
一度だけ離れたけれど、それはわたしと一緒に領地内を見てまわるついでに湖のログハウスに泊まったときのこと。
そのときもふたりして夜更かしした。星を眺め、焚火でマシュマロを焼き、ホットチョコレートを飲み、読書や会話を楽しんだ。
契約とはいえ、これが夫婦のすることなのかと内心で驚いた。
そして、やってきた。
契約の終了が。
わたしたちの結婚の終わりが。
アンソニーとわたしの関係が修復、というよりかはじまったばかりだというのに、もう終わりを迎えようとしているのだ。
この日、学校建設の予定地を視察し、関係者と打ち合わせをおこなった。
学校をつくることは、以前のわたしがアンソニーに許可を取らずにすすめていた計画のひとつだ。
どうしようもない悪女であり悪妻のわたしは、とくに子どもたちやお年寄りには気を配っていた。そのための施設づくりに力を入れていた。もちろん、それ以外、たとえば図書館や教会や市場の拡大など、領民のための活動も行っていた。
屋敷に戻り、アンソニーと彼の執務室で一息ついていたときのこと。
「ハル。おれたちの契約結婚のことだが、契約期間を延長しないか?」
「延長? だってあなたは、『おまえを愛するつもりはない』。そう宣言したわよね? だったら、わたしにも人生というものがあるもの。ムダな時間をすごすつもりはない。さっさと終了してつぎへつなげないと」
ニッコリ笑って言ってやった。
アンソニーは、わたしにたいしての認識をかえた。
というか、彼はいまやわたしを愛してしまっている。
わたしがそうさせたからだ。
「いや、あれは言いすぎた。記憶を失う前のきみは、ほんとうにひどかったから。きみから逃げたくて、王都で無為にすごしていた。しかし、その一方できみがおれの気を惹こうとしているところが可愛いなとも思っていた。そして、領地や屋敷をうまく経営しているところなどは頼もしい、とも」
「そうでしたか。ですが、それはいまのわたしがあなた好みにかわったから言えることですよね?」
微笑みのまま告げた。
彼のカッコ可愛い顔に、「おや?」というような驚きの表情が浮かんだ。
「いや、それは違……」
「違いません。わたしがこのマクラーレン公爵家の領地経営に奔走している間、あなたは王都でやりたい放題やっていた。それこそ、レディ遊びから賭博までさまざまなことを。レディたちへの慰謝料や賭博代や借金の返済金。それから、詐欺まがいの悪事の尻拭い。あなたに送った金貨は、すべてわたしが稼いだものです。マクラーレン公爵家の財産からではありません。この数年間に送った額ははかりしれません。そこでわたしは、王家や弁護士に相談しました。あなたへのすべての投資を返済してもらうにはどうすればいいか?」
微笑みをはりつけたまま、さらに続けた。
アンソニーの呆然とした表情が可笑しくてならない。
「わたしたちの結婚の契約が切れたと同時に、わたしはあなたを訴えます。そうすれば、あなたはマクラーレン公爵家の全財産でもって、わたしに償うことになるでしょう。というわけで、契約の延長はお断りです。すべてを失うあなたに、すぐにここから出て行けとは言いません。わたしは、そこまで悪女でも悪妻でもありませんので。身の振り方が決まるまでいさせてあげます。まっ、王都にいる複数のレディたちもあなたを訴えるらしいですから、王都にも行けないでしょう。だったら、この国から出ていくしかありませんね。公爵の爵位だけは残してくれるそうですから、それを振りかざして他国で貴族令嬢のヒモにでもなればいかがでしょうか?」
彼は理解出来ているのかいないのか、口をあんぐり開けたままわたしを見ている。
「奥様、王都より王家の使者と王家の管財人が参りました。滞りなく手続きは終わり、あとは奥様のサインをもらうだけだということです」
そのタイミングで執事が入ってきた。
そして、アンソニーの破滅を告げた。
そう。みんながグルだったのだ。
わたしが記憶を失うふりをし、彼にわたしを愛させる。そして、破滅させるという計画に乗ってくれたのだ。
すべてが演技。記憶喪失のことだけではない。
ろくでなしのアンソニーを懲らしめるために、最初から悪女、悪妻のふりをしていたのだ。
執事やメイドたちにたいしては、彼の前だけでひどい女主人のふりをしていたにすぎない。そして、執事たちはわたしから不当な扱いを受けているのかを涙ながらに語ってもらった。
すべてが仕組まれたこと。
いいえ。仕組んだことだった。
「ありがとう。ここにはアンソニーがいるから、居間でサインするわ」
立ち上がると扉へ向かった。
「アンソニー、あなたの推測通りよ。わたしは、記憶喪失のふりをしていただけ。もっとも、それだけではないけど。すべてふりだったわけ」
このときになってやっと、アンソニーの存在を思い出したかのように振り返って微笑んだ。
「愛だけがしあわせじゃないものね。あなたのお蔭で、ほんとうのしあわせを見つけたわ。わたしには、領地経営や商売があっているみたい。わたし、いまほんとうにしあわせなの。アンソニー、あなたもどこかでしあわせになれるといいわね」
とどめの微笑み。
最後にいまだ真っ白になっているアンソニーのカッコ可愛い顔を一瞥し、部屋を出た。
これからのアンソニーとわたしの未来を想像すると、笑いが止まりそうにない。
(了)




