食べる除霊
「あ、あの、片瀬さんが戻るまでまだ横になって」
「お隣さんだ」
黒崎さんがそう呟いた。なんと、私のことを知っていたらしい。なんとなく恥ずかしくなり、顔を俯かせて言う。
「は、はい、井上遥と言います。隣に住んでます」
「お隣さんが、どうして僕の家に?」
「違います、黒崎さんが私の部屋にいるんです!」
「え? ああ……」
ようやく部屋を見回し、理解したようだ。そして再度私を見、彼は言う。
「君、僕に何かした?」
「えっ。何か、っていうか……」
「変だね。あんな凄いの食べたら、しばらく起き上がれないはずなんだ」
食べる、とは一体何の話だろう。疑問に思い聞き返そうとしたところで、早くも片瀬さんが戻ってきた。手にはラップに包まれたおにぎりを持っている。
「柊一! 冷凍しといたやつ温めてきた」
差し出すと、黒崎さんはそれを受け取り、丁寧にラップをはがした。両手でおにぎりを持ちながら、あむっとかぶりつく。無言で食べていく姿は、どこか小動物のようにも見えた。なんだか、つかめない人だな。
片瀬さんが私に申し訳なさそうに謝る。
「すみません、色々バタバタして」
「いえ、ご飯が食べられるぐらいまで元気になったのならよかったです」
「ほんとですよ。凄い回復の速さだ」
もぐもぐとおにぎりを食べつつ、黒崎さんは片瀬さんに言う。
「暁人、しょっぱい」
「文句言うな」
「暁人って他の家事は完璧なのに、なんで料理だけできないの」
「米を洗剤で洗いだすようなやつに言われたくないな」
私は座ったまま、二人の会話を黙って聞いているしかない。ずいぶん仲がいいみたいだなあ、片瀬さんもかっこいい部類の人だし、すごい二人組だ。
しばらくしておにぎりを食べ終えた後、片瀬さんが差し出したお茶を飲んだ黒崎さんは、ベッドの上で壁にもたれながらやっと私の方を見た。
「……ごめんね、話の途中だった」
柔らかく微笑んでもらったのを見て、なんとなく背筋が伸びてしまった。私が返事を出来ずにいると、片瀬さんが少し離れたところに胡坐をかいて座り込み、黒崎さんに言った。
「柊一、俺が説明する。昨日タクシーでここまで帰ってきた後、家の鍵をタクシーに忘れてしまったことに気が付いた。そこで声を掛けてくれたのが井上さんだ」
「へえ」
「柊一を見て、すぐに横にさせた方がいいって部屋を貸してくれた。この人もまた、見えるんだそうだ」
黒崎さんが私をじっと見る。なんとなく、彼の視線は苦手な私は、合わせることなくうつむいていた。
「で、お言葉に甘えて中に」
「入ったの? あんな状態の僕を連れて?」
「……柊一、井上さんは見えるだけじゃない。あの時のお前に触れて平気だった上、暗気を浄化できるみたいなんだ。今、お前がこの短時間で動くことが出来たのはこの人のおかげなんだ」
黒崎さんが目を丸くした。あんき、とは、あの黒いもやのことを呼ぶのだろうか?
黒崎さんは改めて自分の体を観察し、感心したように言う。
「それで僕はたった一晩でこんなに動けるのか」
「その疲れからか、井上さんはそのまま寝てしまったので今に至る。ただ、体調不良などはないらしい。話によると、家族も似たような力があるのでそういう家系らしい」
「……遥さん」
急に下の名前で呼ばれたので、どきりと胸が鳴った。顔を上げると、ようやく黒崎さんと目が合う。彼は心配そうに私を見ている。
「本当に体は大丈夫? ありがとう。女性のベッドに上がっちゃってごめんなさい」
「は、はい、お気になさらず! 私は全然大丈夫です」
「助けられたみたいだね。本当にありがとう」
優しい声色にドキドキが止まらない。何だろう、今まで出会ってきた人間とは違う特殊な人。綺麗だというだけではなく、オーラがあるのだ。凄い人から声を掛けてもらった、そんな感覚になっている。
片瀬さんが私に向き直った。
「そして、井上さんには何も説明してませんでしたね。俺たちはある仕事のパートナーなんです」
「お仕事の、ですか?」
「俺たちの仕事は除霊することです」
その言葉を聞き、きょとん、としてしまった。予想の斜め上の単語が出てきたからだ。
除霊、ってあの除霊だろうか? 幽霊相手に戦って、追い払ったりする、あの?
「井上さんも見える人ですよね?」
「え、幽霊ですか!? それはないです、黒いもやはたまに見ますけど!」
「そうなんですか? いや、タイミングなどが合わなかっただけかもしれません。暗気が見えるなら、幽霊も見えるはず。はっきり見えすぎて、生きてる人間と勘違いしているのかも。そういう場所へ足を運んだりしたら、きっと体験できる」
生まれてこのかた、心霊スポットなどにはいったことがないし、恐怖体験もしたことがない。暗気とやらはよく見たが、明らかな死者なんて見たことがないはずだ。……多分。
彼は続ける。
「俺と柊一はそれぞれ役割があります。俺は穏やかな霊の除霊を相手にします。行き先が分からなくてさまよってるとか、悲しんでこの世にいるとか、そういう霊ですね。そして柊一の役割は、悪霊相手です」
「悪霊、ですか……」
「俺には手に負えないほどの強い霊になると、柊一の出番です。彼は霊を食べます」
「食べる???」
信じられない言葉に呆気にとられる。でもそういえばさっき、黒崎さんも食べた、ということを言っていたような……。
片瀬さんは頷いた。
「食べる、と言っても、おにぎりみたいに口から入れるわけではないですけどね。悪霊を自分の体の中に入れて閉じ込めるんです」
「あっ! それで昨晩、あんなことに!? 悪霊が体の中にいたから、ぐったりして黒いもやも」
「そうです。言いましたが、体の中に入れると時間をかけて消化できます。でもその間、苦しいし痛む。強い相手であればあるほど、その症状は強く出てしまう。昨晩はかなり厄介な悪量だったので、意識すら失ってしまってたんです」
「それが、私が触れるとなぜか浄化出来た、ってことですか」
昨晩、ものすごいもやに包まれていた様子を思い出す。なるほど、体内に悪霊がいたからあんなことになったのか。やっと今回の全貌が見えてきた気がする。
納得すると同時に、そんな体当たりな仕事をずっとやってきたことに驚いてしまった。もはや命がけと言っても過言ではないのではないか? そんな辛い思いをしてまで、どうして除霊の仕事をするのだろう。やっぱり儲かるのかな。
私は考えながら言う。
「私もあんなことは初めてです。まあ、あんな状態の人に出会ったことがありませんでしたから……言ったように、母や弟も同じ体質なんですよね。黒いものが見えるのと、あとやたら幸運体質で。弟はともかく、母は浄化した経験はあるっぽいので、今度詳しく聞いてみようかなあ」
「井上さん」
真剣な声が聞こえたので驚き片瀬さんを見る。彼はいつのまにか正座に座りなおしており、そして勢いよく頭を下げた。
「不躾なお願いだと分かっています。これからもまた、柊一の浄化を手伝ってくれませんか」
こんな風に誰かに頭を下げられたことはない。驚きで固まってしまった。