判明
ぼんやりと外を眺めていると、細い道路に小さな人影を見つけた。自転車に乗っている少女のようだった。ピンク色の自転車に、ピンク色のヘルメットをかぶっている。なんとなくそれを目で追っていると、反対側から車がやってきた。それも、こんな狭い道なのになかなかのスピードが出ているように見えた。
速い車をよけようとしたのか、自転車が慌てた様子で端に寄るが、バランスを崩してよろけ、そのまま転んでしまった。が、車は何もお構いなく、少女を無視して走り去ってしまった。
「あ、大変!」
私がつい大きな声を出す。二人が驚いたように尋ねた。
「どうしましたか」
「女の子が車をよけようとして転んじゃったみたいで……大丈夫かな、スピード出しすぎなんですよあの車!」
焦りながら観察し続けるが、少女は地面にうずくまって動かない。それを見て、私はすぐさま部屋から飛び出した。
「井上さん!」
階段を駆け下り、玄関へと向かう。外に出ると目の前に、小さく泣き声をあげている少女が倒れていた。私は急いで駆け寄り、声を掛ける。
「大丈夫!?」
見てみると、少女の年齢は小学校二、三年生といったところか。地面にうずくまったまま涙を流している。履いているスカートから伸びた足の膝には、血が見えた。近くには自転車が倒れており、籠に入っていたと思われる手提げかばんが中身をぶちまけてしまっていた。
「起き上がれる? 痛かったよね。どこが痛む?」
優しく声を掛けてみるも、まだ泣き止みそうにない。すると私を追ってきた柊一さんたちも集まり、心配そうに少女を覗き込んだ。
「あー怪我しちゃってるねえ。可哀そうに」
「自転車を直すよ、ちょっとごめん」
暁人さんが自転車を起こしてくれ、柊一さんは荷物を拾ってくれている。私は彼女に訊いた。
「膝の手当てをしようか? 家に来る?」
だが、彼女は首を振ったのだ。そしてか細い声で答える。
「知らない人のおうちはだめだって……」
おおう、その通りだ。最近の子供は危機管理がしっかりしている。相手が誰であろうと、知らない人に誘われるまま家に入ってはいけない。誘った私が軽率だった。
とりあえずポケットからハンカチを出して、膝に当ててみる。柊一さんが困ったように頭を掻く。
「そうだよねえ、家に入るのはよくないよね。おうちどこ? せめて送るぐらいはしたいんだけどどうかな」
その提案に、少女は困ったように首を傾げた。私はまず、彼女の体を起こして立たせてみる。体中についてしまった砂を払い、膝以外に怪我はないか確認してみるが、とりあえず他に出血は見られない。とはいえ洋服で見えない部分は分からないのだが、ヘルメットを被っていたので、顔が無傷だったのはまだよかった。
しかし膝からは痛々しいほど出血があり、これは泣いちゃうよなあ、と顔を歪めた。
自転車を支える暁人さんが尋ねる。
「名前は言える?」
「……そら」
「そらちゃん。おうちはどのあたりなの?」
その質問に、ようやく涙が落ち着いてきた彼女が、少し迷いつつも指をさした。
それは私たちが先ほど追い払われた袴田さんのお宅だった。
調査のことは別として、そらちゃんをこのまま放っておくわけにはいかない私たちは、みんなで袴田さんのお宅を目指した。暁人さんは自転車を引き、私は痛そうなそらちゃんの体を支え、柊一さんは手提げかばんを持っていた。
そういえば、三石さんたちから聞いていた袴田さん家の家族構成は、小学生の女の子が二人いるということだった。そのうちの一人がこの子なのだろう。
家の前にたどり着き、暁人さんがインターホンに手を伸ばしたところで、ようやく泣き声が収まってきたそらちゃんが小さな声で言う。
「今は家には誰もいない。お母さんさっき出かけたから」
「え……そうなんだ。お父さんもお母さんも? きょうだいは?」
「今日はお姉ちゃんのバレエの日だから、お父さんが送りに行ってて……お母さんはさっきまでいたけど、少し出かけてくるからって」
そして、そらちゃんは柊一さんが持っていたカバンを受け取り鍵を取り出した。私たちと話した後、袴田さんは出かけてしまったようだ。
私は暁人さんと柊一さんの顔を見る。二人とも、少し困った顔をしていた。あれだけ家に入るのを嫌がられていた手前、家族の人が留守中にお邪魔するのはさすがに忍びない。あとで訴えるとか言われても困るし、親がいないのに家に上がるのはやはりよくない。
ただ、玄関に一歩足を踏み入れるぐらいは……ダメだろうか? それだけでも、柊一さんと暁人さんは何かがわかるかもしれない。
「えっとそらちゃん、自転車はどこに置いておこうか?」
「あ、そこに……」
「置いておくね」
自転車を玄関先に置いた暁人さんは、鍵を開けるそらちゃんを見守っている。私はごくりと唾を大きく呑み込んだ。さっき柊一さんがふざけて言っていた言葉を思い出したのだ。よっぽど見られたくないものがある、例えば死体とか……さすがにありえないと思うが、何か恐ろしい物が本当にあったらどうしよう。緊張してきてしまった。
扉が開き、中に入ろうとしたそらちゃんがよろめいたので、私は慌ててまた体を支えた。そしてそのまま、足を踏み入れてしまう。
その途端、爽やかな空気を感じた。
あれっと不思議に思うほどの清々しさだった。温かで、心地よさを感じるほどの素敵なオーラだった。三石さんの家のような、ピリッとした緊張感はまるで感じない。拍子抜けしてしまうほど、この家は禍々しい物は一切なかったのだ。
そらちゃんが玄関にどさりと座り込む音がしてはっとする。私は笑顔で彼女に声を掛けた。
「もう大丈夫かな? これ以上中には入れないから、私たちは帰るね」
「あの……ありがとうございました……」
「ちゃんとお礼が言えて偉いね。怪我はしみると思うけどちゃんと水で洗った方がいいよ。お母さんが帰っていたら手当してもらってね」
そう言って帰ろうかと振り向いたとき、唖然としている二人の様子に気が付いた。
柊一さんと暁人さんは、家の中を見ながら驚いたように目を丸くして立ち尽くしていた。恐ろしい霊が現れてもいつも平然としていた彼らが、こんな表情を見るのを初めて見た。
とはいえ、私には何も見えない。凄い悪霊だとかは勿論、むしろとても温かなお家に感じたほどなので、二人が一体何に驚いているのか見当もつかなかった。
「柊一さん? 暁人さん? どうしましたか」
恐る恐る話しかけてみると、ようやく二人が口を開いた。家の中を呆然と見つめながら、淡々と会話をする。
「どう思う、暁人」
「まあ……普通に考えればおかしなことじゃない」
「そうだね。でも今までのことを考えるとちょっと気になるよね」
「明らかに隠そうとしてたからな」
「それも必死に。無関係を装ってる」
「もし、他のも同じだったら?」
「……」
「……もしかして三石さんの家は……逆なんじゃないか?」
柊一さんが息を呑んだ。そして暁人さんを見て強く頷く。
「調べてみよう」
「見つからない場所だ、普段はあまり見ないようなところ」
「下?」
「下はだめだ、最近は収納になってたりする」
「じゃあ上だ」
分からないまま話が進んでいく。そして二人ともそらちゃんには少し微笑み、優しく声を掛けたあと、玄関から飛び出していった。
「あ! えーと、そらちゃんお大事にね!」
私はそらちゃんに手を振ると、何が何だか分からないまま慌ててその背中を追う。
そのまま柊一さんたちは三石さんの家に戻っていった。リビングにいた三石夫妻に声を掛けることもなく、すごい速さで二階へ上っていく。二人とも足が速い、私は全く追いつけない。運動神経の問題は勿論、足の長さもまるで違うのだ。三石さんたちも、ただならぬ様子に驚き、私の後を追ってくる。
二階につくと、二人は寝室や子供部屋をバタバタ出入りしている。一体何が起こったのかまるで分らない私は、三石さんと共にただその光景を眺めていた。
「柊一、こっち!」
「あった?」
暁人さんが子供部屋から声を出した。私たちが使わせてもらっているのとはまた別の部屋だ。覗き込んでみると、二人はクローゼットの前にいた。私が髪の長い女性と会った場所だ。
「あ、あの柊一さん? 暁人さん? どうしたんですか」
ようやく声を掛ける。クローゼットの中をじっと眺めている柊一さんが答えた。
「遥さんも気づいてたけど、この家には不思議な感覚があるでしょ?」
「はい、二人も原因はよく分からないって言ってましたね」
「ここに何かあるかもしれない、と思って」
長い指を伸ばし、ゆっくり天井を指した。そっちに目を向けてみると、白い天井の一部が他とは少し違うことに気が付いた。五、六十センチほどの正方形で枠のようなものが見える。
見覚えがある。実家にも確か天井に、あんな感じの枠があった。
「あれって、確か点検口ですよね?」
「そう、天井点検口だよ。床下にも点検口はあるけど、こっちは屋根裏が見えるようになってるんだ。確か設置は義務じゃなかったはずだけど、住宅会社はちゃんと設置してるところが多いよ」
「へえ……確かに実家にもあります。でも、めったに開けないですよね? 多分うちの家族は誰も見たことないと思います。あそこが何か?」
「そう、普通に暮らしてて、しかも新築を購入したての状況じゃあんなところ見る人の方が少ない。だからこそ、何か置くならここかなって思ったんだ」
「何か……?」
首を傾げていると、暁人さんが点検口に手を伸ばし開けた。奥には闇しか見えない。柊一さんは三石さんを振り返り声を掛ける。
「ちょっとここを開けさせてください。踏み台になりそうなものはありませんか?」
「あ、開けるのは構いませんが……踏み台かあ。あ、リビングから椅子を持ってくれば」
「あー手間ですね。いいや、暁人踏み台になって。僕が中を見る」
「え。俺が踏み台かよ……」
暁人さんは悲しそうに眉尻を下げたが、しぶしぶ背中を丸めて小さくなった。文句を言いながらちゃんと踏み台になるところが彼らしい。柊一さんは私を振り返り、優しく微笑んだ。
「遥さんは少し待っててくれる?」
「は、はい……」
まず二人がなぜここを見ようとしたのか、何があるのかという質問をしたいのは山々だったが、私は素直に頷いた。そして、柊一さんは暁人さんの背中に躊躇なく足を掛け、ひょいっと体を浮かせた。
「暁人、もうちょっと高く」
「それが人を踏み台にしてる人間の言い方か!」
「届かないよ」
「よい、しょっと!」
ついに柊一さんが、枠内に顔を突っ込んだ。ポケットに入っていたスマホを取り出し、ライトをつけて中を照らす。その様子を、私と三石夫妻は静かに見守っていた。一体何があるというんだろう、あんな場所に。
しばらくして柊一さんが無言で飛び降りた。その表情を見て、何かあったんだと悟る。彼は口を固く結び、どこか怒りを感じるほどのオーラを背負っていた。
背中を痛そうにした暁人さんが体を起こし、さすりながら柊一さんに声を掛ける。
「その様子じゃ、あったんだな」
「……だねえ」
静かに柊一さんが答える。短いその言葉からも、尋常ではない様子を感じた。弥生さんがたまらず尋ねる。
「な、なにがあったんですか!?」
二人がゆっくりこちらを見る。暁人さんは不憫そうに三石さんたちに告げた。
「霊を成仏させたとしても、俺はこの家は住み続けたくないですね」
「え……」
「とりあえず、片付けます」
決意の声で、暁人さんが言った。




