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真夜中の異変




 瞼が自然と開き、そっと辺りを見回した。


 見上げるとオレンジ色の常夜灯がついていた。その灯りで周りの様子も少し分かる。広いとは言えない部屋の隅に寝ている自分、その反対側の壁に身を寄せて寝る暁人さん、窓側に寝る柊一さん。二人とも気持ちよさそうに寝息を立てていた。


 こっそり枕元に置いておいたスマホを見てみると、夜中の一時だった。カーテンのない窓からは真っ暗な空が見えた。雲が多いようで、月も星も見えない。


 困ったな、と一人顔をしかめた。目が覚めた理由は簡単だ、トイレに行きたくなったから。


 やや寒くなってきたせいなのか、時折こうして夜中にトイレに起きてしまう。今日は特に、ベッドではなく薄い布団を敷いただけの床で寝ているせいもあるかもしれない。


 ゆっくり上半身を起こした。


 まだ一時なのだから、朝まで我慢するという選択肢はない。トイレに行くしかないだろう。


 なるべくそばにいる、と言ってくれた二人だが、まさか夜中にたたき起こしてトイレに付いてきてください、なんて言えるはずがない。それに、トイレはこの部屋のすぐ前にあるので、さほど離れるわけでもない。私は一人で行くことを決意していた。


 とはいえ、幽霊が出る家で夜中に一人でトイレに行く……というのはあまりにハードルが高く、げんなりしながら立ち上がった。手早く終わらせて帰ってこよう、そう心で呟く。


 二人を起こさないようすり足で扉まで進み、ゆっくりとそれを開けた。しんとした廊下があり、そこは寒気がさらに強くなっているように感じぶるっと震える。


 廊下の電気をつけ、外へ出た。隣にはもう一つの子供部屋、それから一番奥は寝室になっているので、三石さんたちがいるはずだ。近くに人がいるという安心感は大きい。


 すぐにトイレへ入り用を足し終えた。必要最低限の動きでさっさと終わらせ、ふうと息を吐く。手も洗ってすぐに部屋へ戻り、何事もなく帰れたことにほっと胸を撫でおろした。


 二人の寝息だけが聞こえる静かな部屋に入りそっと自分が寝ていた場所へと戻る。まだぬくもりがそのままの毛布に体を包もうとして、手が止まった。


 どこからか、音が聞こえた。


 ぼそぼそ、という小さなものが、聞こえては消え、聞こえては消えを繰り返した。ああ人の話し声だ、となぜか冷静に思う。それも、ひとつじゃない。まるで誰かと誰かが何かを相談しているように、静かに話している。


 もちろん、内容までは全く聞き取れない。


 三石さんが体験したというエピソードが脳裏に蘇った。確かリビングにいるとき、老人のような声が聞こえ、しかも明らかに部屋の中から聞こえた……


 待って、違う。ふとそう思った。


 私が今聞こえている音は、そんな近くからは聞こえていない。どこか遠く、そう部屋の向こうから聞こえてきている気がするのだ。つまり、外だ。


 ゆっくり振り返ってみると、大きな窓が目に入る。その下には柊一さんが丸くなって寝ていた。声はその向こうから聞こえてくる気がする……。


 こんな真夜中に、話し声?


 私は引き寄せられるように立ち上がった。やはり内容までは分からないが、誰かがぼそぼそと抑揚なく話している。声を潜め、何かに警戒するように、そしてどこか暗い声で、淡々と何かを話している。


 ごくりと、自分が唾を呑み込む音が響いた気がした。


 いや、落ち着こう。昼間の事などもあって怯えてしまっているが、夜中に外で誰かが話し込む、ということは珍しいもののあり得ないことじゃない。酔っ払いが話し込んでるとか、何か緊急のことが起こっただとか事情があったのかもしれない。


 私はちらりと窓を見つめ、ゆっくりとそれに近づいた。


 窓が付いているのはこの家の玄関側になる。家の前は細い道路があり、住宅街のため車通りは少ない。特にこんな時刻では、車が走る音など全くなく、ほぼ無音だった。だからこそ、あの話声が響くのだ。


 ぼそぼそ、ぼそぼそ、何かを噂するような、探るようなそんな声ーー


 数歩窓に近づいたところで足を止めた。そこから見下ろした光景は異様なものだった。


 家には外灯が付いているようで、手前側はぼんやりとした灯りが見え、駐車場に並ぶ車の影が見えた。だがそれより向こうは灯りも届かないのか、真っ暗になっている。街灯らしきものは近くに見当たらない。


 そして細い道の真ん中に、人影があったのだ。


 それも一つ二つじゃない。道にずらりと一列に並ぶいくつもの影は、真っ黒でどんな顔をしているのかまでは見えなかった。


 だが……そのすべてが、三石家をじっと見つめている事だけは分かった。


 見られている。複数の人たちに。


 夜中に集まりこの家を見つめる影たちが、普通の存在であるわけがなかった。私は息を呑み、あまりの恐ろしさに目をそらしその場にしゃがみこんだ。


「しゅ、しゅ、柊一さ……!」


 震える手で、すぐそばに寝転がっている柊一さんに触れた。


 ここに現れる霊たちがこうしてこの家を見張っているのか。他の家には現れない理由も何か関係しているのだろうか? 何にせよ、間違いなく嫌な気を醸し出していた。お腹が大きい弥生さんのことが気になってしまう。


 柊一さんの肩を揺さぶったが、彼は起きなかった。もしや霊の力が何か影響しているのでは……と青ざめた時、背後から焦ったような声がした。


「井上さん、どうされました?」


 寝起きの暁人さんの声がしてほっとする。振り返ると、暁人さんが上半身を起こして驚いた顔でこちらを見ていた。


「あ、暁人さん、そ、外に……霊たちが、じっと見張るようにこっちを見ていて……す、すごく異様な雰囲気で……」


 しどろもどろにそう説明すると、暁人さんの表情が鋭い物になった。彼がすぐに立ち上がり、窓辺に立ち外を眺める。私はしゃがみこんだまま、小さくなって待っていた。


 ところが、


「……何もいませんよ」


 暁人さんのそんな声がして驚きで立ち上がる。外を見てみると、確かに道路には誰もいなくなっていた。静かな闇があるだけで、人影は一つも残っていない。


「あ、あれっ……」


 ほんのさっき見たばかりだというのに、消えてしまっていた。柊一さんを起こそうとしている時にいなくなってしまったのだ。でも、見間違いなどではないことは確かだ。


「あの、寝ぼけたとかじゃないんです……! トイレに起きて帰ってきて、なんか話し声が小さく聞こえた気がして外を見てみたら、人がずらっと並んでこっちを見ていて……!」


「井上さん、落ち着いてください」


 ややパニックになりながら言う私を、暁人さんは優しく止めると、同時に足元にいた柊一さんの頭を軽く叩いた。


「起きろ! 相変わらず目覚めが悪いな」


 呆れた暁人さんがそういうと、柊一さんが小さく唸った。なるほど、中々起きなかったのは、ただ単に起きるのが苦手だったからだったらしい。そういえば、初めて会った時私の部屋で寝た時も、起きてすぐはぼーっとしていたっけ。


「うう……ん」


「井上さんがあれだけ必死に起こしてたのに、お前は何をやってるんだ馬鹿」


「ええ? なに? なんか言った?」


 あくびをしながら柊一さんがそう言った。暁人さんはため息をつきながらその質問を無視し、私に向き直る。


「もう一度流れを聞かせてもらえますか」


「は、はい」


 私はトイレに目が覚めて帰ってきたところで、話し声のようなものに気付いて外を見たら、人影を発見したことを丁寧に説明した。暁人さんは腕を組んでじっと聞いてくれている。柊一さんも頭がさえてきたのか、胡坐をかいた状態で静かに耳を傾けていた。


 話し終えたところで、暁人さんが小さく頷く。


「なるほど……この家をまるで見張るように見ていた、ということですね……何人いたか具体的に人数は分かりますか?」


「あ、ごめんなさい、数えるまでは出来てなくて……でも、被害者の方は七名でしたよね? それぐらいだったと思うんです! しまった、数えられてたらよかったな……」


「いえ、驚いたでしょうし仕方ないですよ。状況的に考えても、やはりこの家に集まっている霊だと考えるのが無難でしょう」


「暗くて顔は全く見えなかったんですけど……間違いなく全員この家を見つめていました。その光景が本当に怖くて不気味で、私」


 寒気を覚えて腕をさすった。それに気づいた暁人さんが、私の毛布を手に取って肩にかけてくれる。その紳士的な優しさに寒気が吹っ飛びそうだった。なんて親切なんだろう。


 柊一さんが申し訳なさそうに言う。


「僕、中々起きなくてごめんね? 起きるの苦手でさ……すぐに起きて外を見てたら、僕も見れたかもしれないのになあ」


「い、いえ、仕方ないですよ。夜中に起こしてすみません」


「また遥さん一人に怖い思いさせちゃった。本当にごめんね。でも、こうなるとやっぱりこの家に集まる理由が知りたいもんだなあ。これだけの数がいるのになかなか僕の前には現れてくれないしね」


 肩をすくめて彼は言った。確かに、私の前でばかり現れてる。やっぱり引き寄せやすいという説は間違ってないのかも……いや、今は考えるのをやめておこう。


 暁人さんはため息をついた。


「外に出て見てみるか?」


「そうだね、一度見に行こうか。遥さん大丈夫?」


「あ、お二人が付いててくれるなら……」


「外は冷えてますから、温かくしていきましょう」


 そうして三人で外へ出て確認するも、そこにはひっそりとした道路があるだけで、変な物は何一つ見つけられなかった。


 戻った私たちは結局寝るしかなく、また布団に潜り込み、すっかり冴えてしまった目を無理やり閉じて、再度眠りについた。


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