家の前にあったもの
柊一さんたちも同じように感じたのか、納得して話を切り上げる。
「ありがとうございました。あのおうちは買えなくて残念でしたけど、他にいい所を見つけようと思います」
「ええ、ええ。頑張ってね」
朝日野さんに頭を下げ、私たちはようやくその場から離れた。最後に一度振り返ってみると、彼女は鼻歌交じりに玄関を掃除しており、やはり怪奇現象などに悩まされている様子はないように見えた。
少し歩いて朝日野さんの家から離れたところで、私は恐る恐る声を掛ける。
「あの、柊一さん……」
「あの様子だと、多分あの家じゃあ何も起こってなさそうだったねえ」
「あ、あのう」
「ん? 遥さんどうしたの?」
「手をそろそろ……」
新婚という設定のために繋いだ私たちの手は、未だ繋がれたままだったのだ。話を聞くために仕方なかったとはいえ、かなり恥ずかしかった。だが彼は何も思っていないようで、思い出したようにパッと手を離す。
「ああーごめんごめん!」
「い、いえどうもごちそうさまでした……」
「柊一、新婚設定が一番もっともらしかったからしょうがないけど、勝手に女性の手を握ったりするもんじゃない。次からは許可を得ろ」
「分かったー」
許可って、許可って。そりゃ間違ってないけど、私に拒否するなんて出来ないよ。
口を尖らせた私に気付かないのか、二人は早速本題に入って行く。
「柊一の言う通り、あの家は何も起こってないと見て間違いないだろう。三石さんのお宅ほどのことが起きていたら、鼻歌歌いながら玄関掃除なんか出来るはずがない」
「普通の感覚ならそうだよねえ。他のおうちはどうかな? ピンポンして聞いてみてもいいけど」
「さすがにインターホンまで鳴らして訪問したら怪しまれる。通報でもされたらどうする」
「それもそっかー」
ゆっくり歩きながらそう話していると、ふと背後が気になった。立ち止まり振り返ってみるも、特に気になるものはない。道には誰もいないし、おかしな点もない。
「井上さん? どうしました」
「あ、いえ……なんか視線を感じた気がしたんですが、気のせいだったみたいです」
私は胸を撫でおろし、二人に駆け寄る。多分、あの家にいたから敏感になっているんだろう。
細い道を歩いていくと、宇野さんの家がすぐに見えた。やはりかなり広い土地だ。その前を通り過ぎようとしたところで、敷地内に人影を見つける。先ほど見た時にはいなかったはずなので、畑仕事でもするために丁度出てきたのかもしれない。ラッキーだ、と私たちは顔を見合わせて思った。
敷地はぐるりと黒い柵で囲まれており、その中の畑のそばに立っていたのは一人のおじいさんだった。恐らく八十歳前後。白い長そでの肌着と思われるシャツに、下は茶色い古びたズボンを履いている。肌寒さも出てきたこの季節に、ずいぶん涼しげな恰好をしていた。
やはり畑仕事をするつもりなのか、その周りをうろうろと歩いて観察している。
三人で近づき、柵の外側から柊一さんが声を掛ける。
「こんにちは!」
が、反応がなかった。宇野さんは畑の周りをゆっくり歩いて観察している。やや距離があるので声が届きにくいのかもしれない。今度は暁人さんが声を掛けた。
「こんにちはー!」
ようやく宇野さんがこちらを見た。不思議そうにしながら会釈をしてくれる。暁人さんが続けて尋ねた。
「ちょっとお話いいですか?」
宇野さんは少し首を傾げながらも、ゆっくりとした歩調でこちらに歩み寄ってきた。柵越しに見えた彼はやはり高齢男性で、深い皺が頬や額にくっきり彫られている。私たちをちらりと見た宇野さんは、暁人さんに尋ねた。
「なんでしたか?」
「こちら住まわれて長いですか?」
「ああ、もうずーっと長い事ここに住んでますよ。お若い方々が何の用ですか?」
「こっちの二人は新婚で、この辺りで新居を探しているんです。住みやすそうないいところだなあ、って思いまして。でも実際住む前にどんな場所か下見をしているんです」
さっきの新婚設定はまだ生きていたらしい。が、今回は手を繋がれることはなかった。柊一さんはにこりと宇野さんに笑いかけ、私も必死に表情を作って宇野さんに笑顔を見せた。
すると彼は、パッと表情を明るくさせる。
「おーそうなんですか。いや、最近はこの辺も若い人たちが増えてきたけど、やっぱり活気が出るから嬉しいことですねえ。ちょっと田舎だけど、静かで住みやすいとこだと思いますよ。少し前はもっと田舎で畑しかなかったんですがねえ、ここ最近は薬局だのコンビニだの色々出来てきたから」
一気に口数が多くなる。嬉しそうに話す宇野さんに、嘘をついていることに罪悪感を感じつつも、情報収集のために仕方ないんだと自分を言い聞かせた。
柊一さんが尋ねる。
「住まわれてどれくらい経つんですか?」
「いやあもう六十年にはなるかな?」
「そんなに!」
「昔は今ほど土地も高くなかったからねえ、無駄に広く持ってるんですが」
「広いですよね。畑も持ってらっしゃる」
「少し先にもっと大きな畑を持ってたんですわ。でも年で管理が厳しくなってきたから、全部売って今は趣味ぐらいの規模にしました。売ったところは全部住宅に変わってるようです」
高齢だが、耳も遠くなさそうだし、会話もしっかり成り立っているので認知症でもなさそうだ。しっかりされた方だ。
暁人さんが家を見回しながら感嘆のため息を漏らした。
「それでも広いおうちですよ。普通の家が何軒か建ちそうですね。ほら、ここのすぐ裏は新築の家が四軒並んでるじゃないですか。あれぐらいの広さは余裕でありそうです」
それとなく三石さんの家の話題を振った途端、それまでにこにこ顔だった宇野さんの表情が明らかに変わった。苦々しく彼は言う。
「すぐ裏のねえ……あそこに家が建つなんてねえ」
その言い方は、何かがあるんだ、と誰でも分かるような口ぶりだった。柊一さんがすかさず追及する。
「裏は何かあったんですか?」
その質問に、宇野さんは分かりやすく視線を逸らす。頭をぼりぼりと掻きつつ、困ったように話す。
「まあ、元々は長いこと駐車場だったんですがね。まあ、こんなところで駐車場なんてあんまり使う人もいなくてね。だだっ広い駐車場に車が数台止まっているような状況だったんだけど」
「駐車場だったんですね」
柊一さんは初めて聞いた、という反応を見せた。宇野さんは頷く。
「その時何かあったんですか?」
「いや、その時じゃない。それより前だ。いや、正しく言えば前の前、か」
宇野さんがやや声を潜めて言ったのを聞いて、やはり駐車場より以前に何かがあったのだ、と驚いた。柊一さんたちが言っていたことは当たっていた。
暁人さんが厳しい表情で訊く。
「何があったんですか?」
「駐車場の前は、ただの空き地で、子供たちの遊び場になってましたよ。今とは時代が違うからね、昔はそういう空き地がよくあって、子供は勝手にそこで遊んでいたものだ。でもその時から、あそこは妙な噂がありまして……」
「噂、といいますと?」
鋭い目で暁人さんが問うと、言いにくそうに宇野さんが答えた。
「夕方になると生きてる人間とは思えない何かが出る、って……」
「生きてる人間とは思えない……?」
宇野さんは周りを見回し、さらに声を潜め、厳しい顔つきで言った。
「空き地になる前は、あそこには個人病院がありました。寺田さん、という夫妻がやっていてね。二階が住宅、一階が診療所。とってもいい先生で、いつも人が多く集まっていました。でも、あんなことが……」
「あんなこと?」
ついに私も声を出して聞き返した。宇野さんはやや俯き、でもしっかりと答えた。
「近くに住んでたちょっとこう、精神的に異常のある男がいましてね。寺田さんたちは根気よくその男の診察もやってたみたいなんですが、逆恨みなのか何なのか、ある日昼間に病院に火を付けまして……私もすぐ裏だから早く気づいて、消防に連絡して消火活動に参加したんですが、火が付いたのが入り口付近だったみたいで、逃げ出すのに時間がかかったみたいで……何名かそのまま亡くなってしまったんです」
私は息を呑んでその言葉を聞いていた。つまり放火事件があったのだ。
「寺田さん夫婦も亡くなりましたし、中で診察を待っていた方も何名か亡くなって、結構な人数が犠牲になりました。男は逮捕されたけど、精神疾患があったから動機すらあいまいなままでねえ……。そのあと、しばらくしてただの空き地に。事情を知ってた大人たちは近寄らないように子供に言っても、子供は聞きませんからね。遊び場として使われていたんですが、さっきも言ったように夕方になると人影が現れるとか、誰かの声がしたとか噂が立つようになって」
「そんなことがあったんですか……」
暁人さんが悲痛な声を漏らした。放火事件があり、何人も犠牲になったとは。
ふと、三石さんたちの目撃情報には、子供や女性、老人のような人など、幅広くあったことを思い出す。やはり、その放火で亡くなられた人たちがいまだに残っているのだろうか。
「そこにまず駐車場が出来ましてね。使う人も少ないけど、駐車場になったことで子供たちは遊ばなくなり、変な噂もいつの間にか消えていたんです。最近新しい人もどんどん入ってきてるし、逆に私みたいな年寄りは減っていく一方ですから。だからまあ、穏やかになったと思ってずっと安心していたんですが、まさか住宅が建つなんてねえ。昔の話だし、何かがいるとしたら、もう静まってくれてるといんだけど」
私たちは自然と視線を合わせた。
やはり、駐車場になる前からここには何かがいたのだ。そこを住宅に変えてしまったため、三石さんの家でおかしなことが起きてしまっている。恐らく、放火により突然命を奪われてしまった悲しみで成仏できない霊たちがいるのだろう。




