一輪の小さな花は確かに「ありがとう」と僕に言ったんだ
こちらは汐の音様のフリーイラストからインスピレーションを受けたお話です。
「ねえ、花は好き?」
突然、目の前に現れた彼女は唐突にその問いかけを僕にした。
日曜日の昼下がり。
公園で一人ベンチに腰掛けて読書をしていると、白ユリを持った女性が隣に座ってそう尋ねてきたのだ。
とても綺麗な女性だった。
クリッとした大きな瞳にくっきりとした眉。
艶やかな唇に色白の肌。
ただそこにいるだけで絵になる美しさを放っている。
けれども、その表情にはまるで生気が感じられず、全体的な存在感が希薄だった。
僕はゴクッとつばを飲み込んだ。
「花……ですか?」
「ええ、花」
「好きですよ?」
特になにがというわけではないが、そう答えた。
別に花は嫌いではない。
「そう……」
女性はそう言うなり、黙りこくってしまった。
いったい、なんなんだ。
見れば彼女、少し寂しそうな顔をしている。
「何かあったんですか?」
僕は読んでいた本を閉じて尋ねた。
女性は僕の方をチラリと見たあと、ひとつの方向を指さした。
そこには一輪のしおれた花が地面から生えていた。
あたりには何もなく、その花だけが地面から顔を出している。
けれども土の養分が足りないのか、日の当たりが弱いのか、はたまたその両方か。
元気がなさそうにクシャッと頭から折れていた。
「あの花が……どうしました?」
「かわいそう」
女性は言った。
「かわいそう?」
確かに、まあ、かわいそうだ。
この公園の周りは木々で生い茂っているし、花壇もあれば芝生もある。
あの花だけがなぜかポツンとそこにある。
おそらく何かの拍子にそこに種が落ちたのだろう。
けれどもあそこは地面も固いし、日光もあまり射さない。
植物が育つには不十分な環境だ。
あの花が咲いてること自体、僥倖だった。
「そ、そうですね。かわいそうですね」
ただ、だからといってどうすることもできない。
まさか移植しろとでも言いたいのだろうか。
スコップもないのに。
それに残念ながら僕はそんなに植物に詳しくはない。
どこがベストポジションなのかもわからないのだ。
変に移植して枯れてしまっては元も子もない。
「残念ですが、僕には何も……」
僕の言葉は彼女にはまったく届いてないようだった。
無感情のその目で、じっと僕を見つめている。
「………」
正直、居心地が悪かった。
僕は別に悪いことをしてるわけではない。
けれども、なんだかすごく悪いことをしているように感じた。
「わ、わかりました。あの花の位置を変えればいいんですね?」
そう言うと、彼女はかすかに(本当にかすかにだが)笑った。
自宅に戻った僕は、本をかたしたあと、スコップを持って公園に行った。
本を読んでいたベンチに彼女はいた。
相変わらず感情のない表情で白ユリを持ちながら座っている。
「スコップを持ってきました」
彼女はうんともすんとも言わなかった。
多少なりとも何か言って欲しい。
そう思いつつ、しおれた花のまわりをザクザク掘っていく。
公園って市の管轄だったか。
勝手にこんなことしていいのだろうか。
そんなことを思いながら丁寧に地面を掘っていき、花を持ち上げた。
そしてどこかいい場所はないか辺りを探す。
すると女性はまた、ひとつの方向を指さした。
小鳥たちがさえずる木々の根元だ。
「うん、あそこなら日当たりも良さそうだし、地面も柔らかそうだ」
僕は持ち上げた花を静かに運び、木々の根元に穴を掘って植えた。
そしてついでに持ってきたペットボトルの水をかけてあげる。
本当は肥料もあげたかったのだけど、さすがにそれはなかった。
まあ、元あった場所にあるよりははるかにいいだろう。
大したことをしたわけではないのに、なんだか僕は一仕事終えた気分だった。
「移し変えましたよ? これでいいですか?」
ベンチにいる女性に声をかけたつもりで振り向くと、なぜか彼女は姿を消していた。
「あ、あれ?」
どこだ?
どこに行った?
時間にすればものの数分だ。
その間に彼女の姿はすっかり消えていた。
「おかしいな」
辺りを見渡して頭をかく。
まるでキツネにつままれたようだった。
彼女はいったい、何者だったんだろう。
ポリポリと頭をかく僕の足元で、何やらささやき声がした。
ぼそぼそと小さく何かをつぶやいている。
下を向くと、植え変えたばかりの花が、なぜか僕に頭を下げてるように見えた。
そして僕にお礼を言っているようにも感じられた。
「ありがとう」
確かにそう聞こえた。
不意に、ベンチに座っていた彼女とこの花が重なった。
感情をあらわさなかった彼女が、今、満面の笑みを浮かべて僕に頭を下げている。そんな気がした。
「……まさかな」
そう思いつつも、僕はその花をふんわりと指で撫でた。
そして立ち上がると、今度は栄養満点の肥料を持ってこの花に会いに来ようと誓った。
おしまい