表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
決戦!  作者: ハシモト
8/13

夜摩矢

 林の中にぽっかりと空いた草地に、具足姿の男たちと、一頭の巨大な熊がいた。熊に見えるのは、毛皮を被った伊藤弾正だ。


「おのれら、たかが鍬持ち相手にこの失態。恥ずかしくはないのか!」


 そう喚く伊藤弾正の前で、高橋玄蕃が首を垂れた。その背後では、夜明け前の襲撃で怪我を負った者たちのうめき声も聞こえてくる。


「相手はこちらがくるのを完全に読んでいた様です。ここは一度引いて……」


「引く? 引いたら我らは何を食うのだ? お前か?」


 弾正の叱責に玄蕃の腰がひけた。たとえこけ脅しであっても、六尺近い大男の弾正が、熊の毛皮を纏った姿には迫力がある。


「鍬持ち如きになめられていては、我らの沽券(こけん)に関わる。すぐにとって返して攻めるのだ!」


 弾正は軍配を掲げると、林に集う野伏たちを怒鳴りつけた。


「どうやって攻めるのだ?」


 左馬介はそう告げると、顔を真っ赤にする弾正を見上げた。


「数はこちらが多い。正面から攻めれば良い」


「逆茂木もある。あそこの田は窪地で泥が深い。それに向こうの方が高台で、種子島まで備えている。砦を攻めるのと同じだ。それを正面から攻めるのか?」


「鍬持ちたちだ。何ほどのことがある!」


 弾正の言葉に左馬介は首を横に振った。


「間違いなく将がいる。こちらを十分に引きつけてから撃ってきたことを含め、中々の手練れとみた」


「左馬、臆病風に吹かれたか?」


「ならば、弾正殿が皆を率いて正面から攻めてみよ」


 土佐が言い放った言葉に、弾正は押し黙った。土佐の横では、夜を徹しての移動で眠いのか、甚左衛門が大きなあくびをして見せる。


「策が少しあれば、正面からの力押しも悪くはない。弾正殿、火責めだ。我らは動けるから風上が取れる。混乱した所を甚左に矢で狙ってもらえば、相手の陣はすぐにも崩れよう」


「待たれよ!」


 左馬介の策に、玄蕃が慌てた声を上げた。


「朝よりも風が強い。この風で火など使ったら、集落が全部焼け落ちますぞ。収穫が終わった(もみ)も全て灰になる!」


『お主だって、火を付けようとしていたではないか!』


 左馬介は心の中で玄蕃を怒鳴りつけた。しかし、それを口にしたところで意味はない。


「それは時の運だ。己の家が燃えるのをただ見ているわけにはいくまい。火が回れば持ち場を離れる者も出てこよう。奴らの統率が崩れれば我らの勝ちだ」


「これは戦などではない。刈取狼藉だ!」


 玄蕃は口から泡を飛ばして声を上げた。


「勘違いしているのはそちらだ。あの勝鬨を聞いただろう。これは戦だ!」


 左馬介が玄蕃に怒鳴り返す。


「一同静まれ。この程度の村を総撫するのに手間をとる様だと、米沢公から信頼を失うぞ。我らはあの鍬持ち達を、鎧袖一触に打ち砕かねばならん」


 そう声を上げると、弾正は林の中にいる野伏たちへ軍配を掲げた。


「竹を切れ。それを盾に括りつけて種子島を防ぐ。そもそも数は大したことはない。風上から矢を放ちつつ、逆茂木を跳ね除けて村の中へ突き進む」


 弾正は林の中に居並ぶ者たちをジロリと見回した。


「玄蕃!」


「ははっ」


「先陣はお主だ」


「そ、それがしが……」


 言い淀んだ玄蕃を無視すると、弾正は左馬介の方を向いた。


「左馬、土佐、甚左、お主らは搦手を抑えよ。逃げてくるものを一網打尽にするのだ。烏丸、太刀を持て!」


 背後に控えていた烏丸が、どこぞの落ち武者から狩った業物の大太刀を弾正へ差し出す。弾正はそれを抜くと、銀色に輝く刃を皆の前へ突き出した。


「一同、我らには毘沙門天の加護がある。何も恐れるものなどない!」


 太刀を掲げた弾正を、昇って来た朝日が照らす。


「オ――!」


 その異形な迫力に、野伏たちは熱に浮かされた様に声を上げた。それを覚めた目で見ながら、左馬介は土佐守や甚左衛門と共に腰を上げる。その背後で弾正は烏丸の耳元に口を寄せると、何やら耳打ちをした。


「――そうだ。わしの馬を使ってもよい。ぬかるな」


 その声は野伏たちのざわめきに紛れ、左馬介たちの耳には届かなかった。



 吹き抜ける風を手で遮りつつ、貞盛は村の境にある林を眺めていた。一見すると風に木立が揺れるだけに見えるが、貞盛の目は風とは違う別の動きを捉える。


「動いた。やはり奴らは飢えておると見える。陣立にも焦りがあるな」


「すぐにも攻めてきますでしょうか?」


 握り飯を片手に持ったまま、朝日が貞盛に問いかけた。


「朝方の夜討ちで恥をかいておる。すぐにも攻めてこよう。焦らして、向こうが力押しで来るのをを避けるべきだが、西の風がさらに湿気を含んでいる。雨になる前に攻めてきてくれた方がありがたい」


「さすれば、こちらも備えをいたしましょう」


 そう答えると、朝日は自分の顔ほどもありそうな握り飯を口の中へ放り込んだ。流石に一度に飲み込みきれないのか、目を白黒させる。


「焦るでない、飯を食うぐらいの時間はある。戦の前に飯を喉に詰まらせて死んだりしたら、末代までの恥どころではないぞ」


 貞盛が朝日の背中を叩いてやる。やっと飲み込むことが出来たのか、息を一つ吐くと、恥ずかしそうな顔をして貞盛を見た。貞盛は朝日に笑みを浮かべると、再び林の方へ視線を向ける。そして怪訝そうに小首を傾げて見せた。


「朝日、搦手の方へも動きがある。清兵衛殿へ伝令に行け。そちらも動くとな」


「承知仕りました。田所、ついてまいれ!」


 朝日が手についた米をなめながら、下男の田所を従えて村の反対側へと走っていく。それを見届けると、貞盛は逆茂木の手前で槍を手にする男たちを見回した。


「一同、心せよ。ここからが正念場よ!」



「左馬、どうするのだ?」


 村の裏手へ続くあぜ道に設けられた搦手に着くと、土佐守が左馬介へ声をかけた。搦手には全体の5分の1に満たない数がいる。どちらかと言えば大人しかったり、元々はそれなりの家に仕えていた浪人たちで、弾正がうざったく思っている者たちが中心だ。


 正面で怪我をするのを避けたいのか、あるいはこちらを監視するためか、弾正のお気に入りの烏丸もいる。


「土佐、甚佐、弾正たちは正面を抜けるだろうか?」


 左馬介の問いかけに、土佐守は首を傾げた。


「兵糧さえあれば最後は抜けよう。しかし我らには食い物がない。戦らしいことができるのは今日一日ぐらいなものだ」


「向こうは飯だけは腹一杯食っています。それに率いているのはあの弾正に玄蕃ですよ。とても抜けませんね」


 甚左衛門も左馬介へ肩をすくめて見せる。


「風は南西から吹いている。これは大雨の風だ。火責めが使えるのも、今日の朝のうちぐらいだというのに……」


 焦る心に、左馬介の口からもぼやきが漏れる。


「火責めするにも、ここは風下ですし、大人しく昼寝でもしてましょう」


 甚左衛門の提案に、左馬介は首を横に振った。


「搦手からも攻めねば落とせぬ」


「ならば矢でも放って、進むふりだけでもしますか?」


 甚左衛門があぜ道の先をある村の裏口を指さす。そこへ至る道はかなり急な坂になっており、両側を土手に挟まれている上に、村の入り口にはびっしりと逆茂木も置かれている。こちらを守っている村の男衆の数は少ないだろうが、水を張った田以外には障害物がない正面に比べると、明らかに攻めづらい。


『これでは城を攻めるのと同じだな……』


 左馬介は心の中でつぶやいた。そもそも城というのは外から攻めるものではない。内通者を出して、結束を乱して落とすものだ。そういう意味では、城攻めは城を囲む前に勝負が決まっているとも言える。


 他の村を総撫でにしている以上、鍬持ちたちがこちらに(くだ)ることはないだろう。しかし最初から中にいる必要はない。ここには柵も城壁もないから、外から忍び込める。


「土佐、俺が――」


「左馬、それは俺がやろう」


 土佐守が左馬介の言葉を遮った。


「この手の仕事は俺の得意技だ。そもそも俺は侍などではない」


「どういうことだ?」


 左馬介の問いかけに、土佐守がニヤリと笑って見せる。


「元は寺の小坊主よ。刃物を持つようになったのは、俺を手篭めにしようとした住職を切ってからだ。そこからはご多分に漏れずというやつだな」


「なるほど、それで博識なのですね」


 甚左衛門が妙なところで感心する。


「そうよ。お前達などより、よほどに学はあるぞ」


「ですが、元坊主にしては血を見るのが好き過ぎやしませんか?」


「それも人助けよ。さっさと極楽浄土に送ってやるのだ。違うな。夜摩天(閻魔大王)のところか?」


 そう答えると、土佐守は膝を叩いて笑い声をあげる。


「土佐、お前一人では荷が重い。俺と二人で忍び込み、相手の将を撃てば、後は力押しでいける」


「左馬、お前がいるとむしろ足手まといだ。そもそも人が多くなったら、見つかる可能性が高くなるではないか。それにここの有象無象は、お前でないととても率いいれぬ」


「ならば、せめて甚佐に背後から矢で守ってもらうべきだ」


「甚佐が守るべきはお主の背中よ。何せ我らは鶴殿に約束したのだからな。お前なら俺が将を討ち取った事ぐらい、動きですぐに分かるであろう」


 土佐のセリフに甚左衛門も頷く。


「左馬殿、あなたは我らの大将ですよ。乱破(攪乱)はそこの頭に蛆が湧いている男に任せましょう」


「そうよ。これは俺のような気狂いの仕事よ!」


 そう告げると、土佐守は肩に担いだ刀の鞘を、さも嬉しそうに叩いて見せた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ