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決戦!  作者: ハシモト
7/13

一の矢

 月明かりの元、かすれてきた虫の音を聞きながら、左馬介は掘っ立て小屋の外に立っていた。背後では鶴が腹巻の紐を結んでいる。


 左馬介は鶴が結び終えるのを待ちながら、高く昇り始めた月を眺めた。満月へ近づく月の前を何かが横切る。それは矢じりの形を作って月明かりの下を飛んでいく。


『雁だろうか?』


 左馬介はぼんやりと考えた。だが雁にしては大きく、羽ばたきもゆったりとしている。雁ではない、鶴だ。


「きつかったでしょうか?」


 紐を結び終えた鶴が、背後から左馬介へ声をかけてきた。


「違う。鶴を見ていた」


「鶴をですか?」


 自分の事だと思ったのだろう。鶴が当惑の声を上げる。


「ずいぶんと遠くへいったが、まだあれに見える」


 左馬介は豆粒より小さくなった鳥の群れを指差した。


「どちらでございましょう?」


 鶴がおろおろと指の先を探す間に、それは夜の闇の中へと消えて行く。


「もう行ってしまった」


 左馬介の言葉に、鶴は残念そうな顔をした。鶴も雁と同様に、異国からこの日の本の国へ渡ってくると聞く。彼らはまだ旅の途中なのだ。


「旅がしたくなったな」


「どちらまででしょうか?」


「海だ。海が見たくなった」


 左馬介は鶴の方を振り返った。


「鶴はまだ海を見たことがありません」


 鶴が恥ずかし気に下を向いて答える。


「春が来たら、お前と海を見に行こう」


「左馬介様の行くところであれば、鶴はどこまでもお供します」


「あれはいい。ともかく雄大だ」


「左馬介様……」


「何だ?」


 左馬介は言い淀んだ鶴に声を掛けた。


「海の水は本当に塩辛いのでしょうか?」


 鶴がまるで子供みたいに目を輝かせて見せる。


「もちろんだ。海水だからな」


「それは吸い物よりも辛いのでしょうか?」


「ハハハハ。それはお前が自分で確かめれば良い」


「無事のお戻りをお待ちしております」


「なに、土佐や甚佐とすぐに戻ってくる」


 そう告げると、左馬介は鶴が両手で差し出した鬼包丁を腰へ刺した。


 * * *


 天空高く輝いていた月が、西の方へと沈んでいく。東の空にはまだ朝の気配はない。左馬介たちが潜む、林の先にある村の家々も全く見えなかった。覆いを落とした油の明かりが無ければ、足元すら見えぬほどの暗闇だ。


 林の中では、戦を前にした男たちが出す、酢のような独特の匂いが立ち込めている。身につけている落武者狩や略奪で奪って来た甲冑が触れ合う、カタカタと言う音も響いていた。


「どうだ?」


 木立の影から村の方へ視線を向けた左馬介へ、土佐守が声をかけた。


「これでは全く見えぬのと同じだ。もう少し白んでからでないと仕掛けるのは難しい。同士討ちの危険もある」


「我らは野盗故に、弾正殿は夜討ちにこだわっておるのよ。もしくは、目障りな我らの背中を狙うつもりかも知れん」


「そう言えば、甚左の姿が見えぬと思っていたが、それでか?」


「あれは夜目が効く便利な男だからな。後ろから我らの背中を見てもらっている」


「敵へ打ちかかる前に、味方の矢を避けねばならぬとは厄介だな。そもそも、何で籤引きで順番を選ぶんだ? いつも通りに我らが先手であれば、なんの問題もなかろうに……」


「甚佐が言うには、左馬介、お前が鶴殿を得たからだそうだ。先手の方がいい女が得られると思っておるのよ。もっとも、あれほどいい女はそうそういるとは思えん。お前が死んだら俺がもらう」


 土佐守が左馬介へ、ニヤリと笑って見せる。


「だが、やはり夜が白むのを待つべきだ。俺が玄蕃に話をつけにいく」


「もう遅い。先手が動き始めたようだぞ」


 土佐守が林の向こうを指さす。そこでは先手の男たちが、忍び足で林から出ていくのが見えた。その手には刀ではなく、松明が握られている。先手を指揮する玄蕃は、先ずは村の家々に火をつけるつもりらしい。しかし、左馬介はその後ろ姿に危うさを感じた。


 こう暗くては身動きが取れない。そんな面倒な事をするより、もっと明るくなってから、火矢を使えばそれで済む


 チャプン……。


 不意に、先頭を進む男の足元から水音が上がった。泥に足を取られた男が、派手な音を立てて田に倒れ込む。その姿に、左馬介と土佐守は顔を見合わせた。


 ヒュ――!


 次の瞬間、トンビの鳴き声みたいな音が、夜の闇を裂いて響き渡る。鏑矢だ。続けて、赤い炎をまとった火矢が、先手の者たちへ降り注いだ。


 * * *


 貞盛は六尺を越える重籐弓に矢をつがえると、革の弓懸をした右手を引いた。藤を巻いた長弓が、ギシギシと音を立てる。


「朝日、次だ!」


 朝日が矢の油布へ火縄をかざすと、それは炎を上げて燃え上がった。


 ヒュン!


 矢は夜の(とばり)を引き裂いて飛んで行く。そして田んぼの端に置かれた藁を、炎の柱へと変えた。その赤い光が、野伏たちの髭面を煌々と照らし出す。


 野伏たちは、燃え上がる藁を呆然と見ていたが、やがて我に返ったように、泥の中を一斉に走り出した。元は鍬持ちだったのか、何人かの野伏たちは泥に足を取られることなく、村の入り口に置かれた逆茂木へ近寄ってくる。


「放て!」


 朝日の号令を合図に、村の男たちが手にした(つぶて)を野伏へ投げた。その多くは野伏たちの手前へ落ちたが、何人かの体を捉える。


「力むな。続けて放て!」


 背後に控えていた女たちが、礫を入れた籠を男たちの足元へ置く。それを手に、男たちは礫を投げ続けた。それが驟雨のごとく野伏たちの体を打ち続ける。


 しかし相手は普段から狼藉を働いている者たちだ。陣笠を前に、村の入り口に置かれた逆茂木へ取りつこうとする。楯を置き、その背後で弓を用意する者もいた。それを見た貞盛が、再び重籐弓に矢をつがえる。


 貞盛が放った矢は、弓を手にした野伏の顔を捉えると、頭ごと体から引きちぎった。貞盛は続けて矢を放ち、弓手を泥の中へ倒していく。


「朝日、頃合いだ」


 貞盛は逆茂木の上に身を伏せる朝日に声をかけた。飛び降りた朝日が軍配を掲げる。


「一の組、構え!」


 朝日の指示に男たちが一斉に動く。彼らは種子島を掲げると、逆茂木の背後へ並んだ。


「狙え!」


 男たちの動きが止まる。


「放て!」


 朝日が軍杯を振り下ろすと同時に、種子島の銃口から赤い炎が上がった。


 パ――ン!


 耳をつんざく音と共に、陣笠を前に逆茂木へ登ろうとしていた野伏が、真っ逆さまに泥の中へ落ちていく。


「一の組下がれ、ニの組前へ!」


 種子島を放った男たちが下がり、その背後にいた男たちが前へ進む。


「狙え!」「放て!」


 朝日の振り下ろす軍配に合わせて、再び種子島の銃口から赤い炎が伸びる。放たれた玉は、林に向かって逃げようとする野伏たちの背中を捉えた。


「朝日、弓を持つ者がいたらそれを狙え」


「承知いたしました」


 貞盛の指示に朝日がうなずく。


「一の組、前へ!」


 そう指図しつつ、手にした軍配を帯びに挟むと、従者の田所から種子島を受け取った。後ろ足を引いてそれを構える。朝日が息を止めて狙いを定めた時だ。


「ひっ、引け、引け――!」


 田んぼの先から裏返った声が聞こえた。見れば兜をかぶった男が、盛んに軍配を振りながら、野伏たちに指示を出している。


『大将か?』


 そうも思ったが、大将にしてはあまりにも落ち着きがない。それでも兜をかぶってるからには、一方の将ではあるのだろう。


「兜首を取ります」


 朝日は傍に立つ貞盛へ声を掛けた。


「不要だ」


 意外な答えに、朝日は目当てから視線を外すと、貞盛を見上げた。


「何故でしょうか?」


「あれなら、居てくれた方がこちらの役に立つ」


 怪訝そうな顔をする朝日に、貞盛が含み笑いを漏らして見せる。


「あれは評定大将だ」


「評定大将……でございますか?」


「評定の場では威勢がいいが、戦さ場では腰が引ける男よ。こちらとしては数に劣るゆえ、力押しで来られるのが一番困る。居てくれた方が都合が良い」


 朝日は貞盛に頷くと立ち上がった。侍烏帽子から溢れた黒髪を風になびかせながら、林の方へ逃げていく野伏たちを眺める。


「朝日、お前の初陣は我らの勝ちだな」


「勝ちですか?」


「何をしておる。すぐに勝鬨をあげよ」


 朝日は慌てて腰から軍配を取り出すと、それを村の者たちの前へ差し出した。


「皆の者、勝鬨をあげよ!」


 男たちが拳を天に掲げる。


「エイ、エイ、オー!」

「エイ、エイ、オー!」

「エイ、エイ、オーー!」


 朝日の声に合わせて男たち、いや、女子供も含めて、村の者全員から声が上がった。貞盛は緊張した面持ちで軍配を掲げる朝日に笑みを浮かべると、歴戦の将らしい鋭い視線で林の奥を見つめた。


 * * *


 左馬介の視線の先では、種子島に撃たれた先手の者たちが、泥をかき分けるようにこちらへ戻ってくるのが見えた。玄蕃を始め、皆が恐怖に顔をゆがめている。


「これはまずいな」


 土佐守がまるで他人事みたいにつぶやいた。


「おい、鏑矢を打て。搦手(からめて)からも攻めさせろ」


 それを聞いた土佐守が、左馬介へ首を横に振る。


「もう遅い。これは完全な負け戦と言うやつだ」


 どう言う訳か、そのまま腹を抱えて大笑いを始めた。


「ハハハハハ!」


 林の中に潜む野伏たちが、ひたすらに笑い転げる土佐守を呆然と眺める。


「土佐、甚佐の言うとおり、頭に変なものでも沸いたか?」


「変なもの? 何を言っているのだ。こんなに楽しいことはない。だから笑っている」


「楽しい?」


「負け戦だろうが戦は戦だ。刈田狼藉などではない。そうだろう、左馬!?」


 そう問いかける土佐守の目は、沈む月の光を浴びて、爛々と輝いている。左馬介は土佐守がなぜ笑っているのかを悟った。


「そうだ。これは間違いなく戦だ!」


 左馬介は土佐守と二人で、腹を抱えて笑い出した。

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